ソフィアコッポラ
サムホエア


とにかくこのシーンが
素晴らしい。



親子でギターのゲームやるところ。

ギターってなにが重要かって
持ったときの構え、だと思うんだけど
この親子、めちゃくちゃ構えが
決まってる。


このシーンの間中、
映像の奇跡がしばらく続く。



ソフィアコッポラって
サブカルの七光りの
雰囲気写真集MTVかなと思ってたけど
全然ちがう。
ほんとにごめんなさい。



サントラをやったフェニックスの
メンバーが

主人公が乗るフェラーリの
モーター音をじゃましないように
なじませるように
音をつけた


っていってたけど、
なんて素敵なんだろう。



監督は、あのフェラーリのモーター音に
すごく雄弁になにかを語らせている。
どんな音楽よりも。






駐車場に置いたフェラーリに
親子がもどり、フロントのガバーを
開けて荷物を入れるところを
うんとひいた俯瞰でとっている映像も
素晴らしい。

3-4×10月の北野アングルみたい。

いや、この時代のアングルかな。




これ以降見る作品で
安易に事件がおこり、感情がはきだされ、
ドラマになってしまっていたら
安易だな、つくりものだなと
すぐに感じてしまうだろう。



あのイタリアのTVの
アッパーぶりもリアル。
ほんとあんな感じ。




なにより
あれだけセレブな設定の
主人公の虚無に
なんのセレブでもないこちらが
アジャストして
しまう作品の強さがすごい。



娘の完璧な可愛らしさと美しさも
すごいけど

主人公のスティーブンドーフの
足場のないたたづまいと
表情が素晴らしい。

役者と作品の幸運な結婚。



解説を読むとストーリーや
ラストの意味付けは
あるんだろうけど
あんまりそこは理解できなかった。


むしろ、虚無感の中で
なにかを、どこかを
誠実に探そうとするのが
見えるか見えないかというレベルの
上品なスティーブンドーフの
演技に、元気がでた。



カリフォルニアの病理でも
退廃でもない。
虚無とすら言い切ってしまうのも
乱暴な気がする。



ひとりの女の子が
雨の日に感じるような
おぼつかない気持ちを
自分の人生をニュートラルに
使用して作品にした。




あのホテルでギターをひいて
歌ってくれる年老いたボーイさん、
ソフィアが小さい頃から
ほんとにあのホテルでソフィアに
歌ってくれてたボーイさんだって。




ソフィアほどのセレブレティが
自分に素直になって
自分の時代感(われわれの時代感)で
かたよりなく、つくろいなく
作品を紡ぎ、
世界の隅の疲れた会社員に、
最小限のセリフと音楽で
元気を届けてしまう。

それゃヴネツィアで賞獲るよ。


スタイルを追い抜いて
形式を追い抜いて
きちんと個人がある。
きちんと迷える人間がある。

そして映像は美しい。
だから、映像は美しい。


























お隣さんちとの境界線に、
ブロック塀や、木の柵ではなく、
両親は、あろうことか、
みやこわすれを植えている。



「境界線はあるだろうけど、
もっとおおらかに」


なんて教えられてるような気がしたり。。


すくなくとも
これを見ていてると、

つまらない自分の自尊心とかを
きりきり守って、
価値観のちがいや、すれちがいに
自分の能力と経験の足りなさから
きりきりしてしまうことが

みっともなく思えてくる。



「わかりあえない」との境界線に、
「苦々しい現実」との境界線に、
なんとか、みやこわすれを植えるようにして、
ぜんぶわかりあえなくても、
ぜんぶ受け入れなくてもいいから、
前に進めないものか。

























この季節に、
パリの北駅から電車に乗ってオーベルシュルオワーズに行った。

ちょうど、「すずらんの日」だったので、

北駅でも、オーベルでも、たくさんテーブルが置かれ、
たくさんすずらんを売っていた。


「フランスでは5月1日を『 JOUR des MUGUETS~スズランの日』とも呼び、
愛する人やお世話になっている人へ スズランの花を贈る習慣があり、
贈られた人は幸運が訪れるといわれている」




今年は、すずらんがよく咲いた。
林になって奥まで続いている。



幸運か。。
と林になって連なる幸運の花を見て思う。


苦しむことができる幸運。
迷うことができる幸運。
失敗できる幸運。
非難される幸運。
カムバックできる幸運。
憧れることができる幸運。
別れを悲しいと思える幸運。


たしかに幸運は連なっている。
きれいな光の中で無言で。
奥へと続いている。














オノヨーコさんの言葉。


























この七里ケ浜の坂の下にせりあがる海の景色が
昔から好き。

アルファは、だいぶひさしぶりに幌を開けた。
ちょっと不調だった。






母は、
デラセーラや、アマルフィカフェの
あの階段をすいすいのぼれるように
なってほんとによかった。





庭をするときの手袋をプレゼントした。





















49日に親戚が集まった。
母と叔父(母の弟)の家族は近くの
温泉に一泊した。

翌朝、叔父は、
旅館の近くを散歩した。

矢車草が咲いているのをみつけ
少し摘んで、母にあげた。


花の好きな祖母が育てた
花の好きな姉と弟。


























「なにが起きたの?」


「原子力発電所が爆発したんだよ」


(黒澤明 「夢」)






takashi morizumiさんの
ツイッター

大飯再稼働だって。もう一度、この写真を見て欲しい。ボロボロの福1の4号機。プールに入った使用済み燃料は1350本,地震が来たらプールの壁が崩壊して全てがおしまいになる。こんな事になった原因も、解明できないで再稼働なんて許せない。



渋谷陽一さんのブログ

民主党内において「脱原発」の動きが失速し、再稼働に大きく舵が切られている、という記事。
まさになし崩し、何の中長期的な政策ヴィジョンもないまま事態は進んでいる。
こうした議論の基本となる電力不足についてだが、多くが基準が曖昧。最新号のサイトで世田谷区の保坂区長が話してくれたエピソードが、とても象徴的。

電力が足りないと言うなら、リアルタイムでデータを出せと要求しても東電は出さない。執拗に言い続けたら、データがある場所を見せてくれた。そこではデジタル表示でリアルタイムのデータが見る事ができた。何故、これを出さないのだと質問すると、

このデータを打ち込む人材の余裕がないという返答だった。

そんなもの、ビデオカメラを置いて無人でいくらでも中継出来るでしょう、と保坂区長は呆れたと語っている。
言うまでもなく、全てを隠したいという意志が、こうした笑い話に近い、でも全く笑えない状況を生んでいる。












会(お)うてまうと、
もう別れるときのこと考えて、
胸んトコいっぱいになんねん。



なんや会うてても
半分くらいから
もう別れるときのこと
ばっか考えてまうねん。



今はもう
会うこと考えただけで
怖ぁなるんよ






松本大洋
「Sunny」


人生と成長と才能が結晶した作品。

ひとはここまでのものが
つくれるようになるのか。


過去や日々の困難が
こうゆうものに結実するのであれば、
困難にも
なにかの価値があるのかもしれない。









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