祖父は、京都、西陣に住み込んで、友禅を学び、
それから東京で、着物の模様絵師として
仕事をしていた。
妻に、娘たちに、それぞれ絵を描き、
着物をプレゼントした。

これは、そのうちの母のもの。





着物の絵に手が込んでいるかは、
その繊細さや、グラデーションでわかる、
と母は言っていた。






祖父に絵を習い、日本画家になった叔母は、

最近は、色を厚くぬらないと売れないけど、
本来は、繊細な濃淡を描くべき、と言っていた。






それしても、数十年前に描かれた
この着物の鮮やかさと繊細さと生命力は、なんだろう。






わたしにとっての祖父のイメージは、
弱ったり、困ったりした「お年寄り」ではない。






ぐずぐず迷走している今の私よりも、ずっと「生きている」。
ずっとずっと先で、ばちばちと生命の火を燃やしながら
鮮やかに、繊細に。






わたしは、まだまだだ、と思う。
そう思えるのは、唯一幸せなことだと思う。







それは、庭一面の花や樹を育てていた祖母にも思う。

ぜんぜんまだまだだ。

その人が、今、存在しているかどうかに関わらず、
悲しい、淋しい、という感情に関わらず、
また、作品を残す残さないに関わらず、
その人の、人間の、存在、能力、生命としての運動、その軌跡、
というのは、圧倒的だ。

生きているか亡くなっているか
老いぼれているか、とは、まったく関係なく、

わたしは、全然ぜんぜんまだまだだ、という
幸福な焦りのみを感じる。


なぜなら、祖父は亡くなっているのに、
こんなにも「生きている」から。



















朝露をはらってのぼってゆく虹がしばらく僕たちを目かくしする


ラナンキュラス
ミモザ ガーベラ
クリスマスローズ
ダリア シンシア

朝 未だ 青く
庭は 奥深く
草花 かさなる
うれしそうに

朝露を はらって
のぼってゆく虹がしばらく
僕たちを 目かくしする




マトリカリア
アマリリス スズラン
グラジオラス
ヒヤシンス ギリア

新しい風が
起こるように芽吹く
狂おしい静けさ
そのただ中

朝露を はらって
のぼってゆく虹がしばらく
僕たちを 目かくしする























リサラーソンカレンダーの

二月は、白くま。


微笑んではります。












できるだけふるいまぶたをあけてみる
そこには海があるはずなんだ 



ゆびさきのきれいなひとにふれられて
名前をなくす花びらがある



「はなびら」と点字をなぞる 
ああ、これは桜の可能性が大きい



からたじゅうすきまだらけのひとなので風が鳴るのがとてもたのしい



拾ったら手紙のようで開いたらあなたのようでもう見れません



思い出に降ってる雨を晴らそうと
まずは蛇口を締めてまわった



大切に仕舞っておいた便箋に
文字が生まれてゆくのをみてた



こん、という正しい音を響かせて
あなたは笹の舟から降りる










笹井宏之さんのうた。


1月24日の命日には、
ツイッター上に、静かに
#sasai0124というハッシュタグができて、
たくさんのひとによって
笹井さんのうたが
音もなく降り積もっていった。

いろいろなひとがいて
いろいろな時間がある。














睦月の夜の貨物列車


睦月の夜の貨物列車
オオイガワをすぎたところ
果樹園が夢見るすきに
早足に通り過ぎる

夜更けの湯船で
車両の響きが聞こえた
冬の夜を通過する
その列車についてく


睦月の夜の貨物列車
コオリヤマをすぎたところ
水田の凍るため息
ふりむかず 速度はやめる

夜更けの台所
車両の響きが聞こえた
氷の夜を通過する
その列車についてゆく


睦月の夜の貨物列車
ナホトカをすぎたところ
晴れ渡る雪の夜を
ツンドラの風より速く

夜更けの本棚で
車両の響きが聞こえた
かなたを通過する
その列車についてゆく









********************



寒い夜更けに、しんとした家の中で聞く
貨物列車の音が好きで曲にした。

列車の音や揺れは、
なんであんなにメランコリックなのか。

メランコリアは、本来の意味では
あたまを抱えるような憂鬱なのかも
しれないけど、

わたしが、思うメランコリアは、
夜更けに遠くで聞こえる
貨物列車の音のようなものかもしれない。

かなたで揺れる音。

かなしいうれしいなつかしい
こいしいきたいあきらめ

それらの真ん中あたりで揺れる情感。

それが、わたしなりのメランコリアで、
そういう
夜更けに遠くで聞こえる貨物列車の音
のような音楽がつくりたい。



列車は、きんと硬く冷えて
宿命であるかのように無心で急いでいる。

どこかとても遠くへ急いでいる。

















【詞書き】
祖父は家の蔵の中で津波に呑(の)まれ、
遺体は流されずに済んだのだが、
なかなか火葬できなかった。
寒い時期だったのであまり腐らなかったが、
火葬の直前に顏を見て、
悲しくなるよりも気持ち悪いと感じてしまい、
祖父に申し訳ないと思った。

気仙沼高校 畠山 海香さん




彼女は、

気の効いた言葉を知らないので、
思ったことを書いたと言っていた。













大村しげさんの「京暮らし」で、

ななくさがゆのことが書いてある。



********************



このおかいさんは、
昔から万病をはらうといわれている。

その祝いうたは、

唐土(もろこし)の鳥と
日本の鳥が
渡らぬさきに
ななぐさなずな


ほんまは、この祝いごとは、
早朝の四時ごろするらしいけれど、
大方は、前の晩にすましてしまう。

鳥が渡らぬさきというのは、
未明のことをいうのやそうな。
神事はすべて清浄な闇の中で行われるのや、と。



********************



ななぐさなずな、

という祝い歌は、七草のうちのなずな、をとりだして
ななぐさ、と続けた音の響きがくすぐる。
な、の連なりが気持ちいい。


しげさんの文章の

神事はすべて清浄な闇の中で行われる

は、とてもかっこいいし、
ななくさがゆって、神事か、と知ると
余計にありがたい。




しげさんの「冬の台所」という本の
冒頭にも、すごく好きな文章がある。


********************


こうしてじっとォ底冷えに耐える工夫が、
性になって、わたしも京のおんなである。

そして、つらさを忘れて生きるすべを、
冬の台所で学びもって、煮炊きをしていると、
湯気にも心があたたまる。


********************






おかゆは、土鍋でつくると
あつさが身体に美味しくしみわたる。

土鍋ってすごい。
熱の伝わり方がちがう。
すぐにさめない。


すべての料理は、
からだをあっためる神事かもしれない。



ななくさがゆは、
うめぼしと、
ことしの大根のつけものと一緒に。











一度咲き終えて、もうだめかな、と思っていたシクラメンを
毎日、父方のおばあちゃんの言う通り世話をして、
ふいにつぼみがまたあたまを持ち上げ、ふくらみはじめたのが年末。






そのつぼみの美しさに驚きました。


なんてクリーミーなのか。








ひらきはじめも、感動的に美しかった。










反り返ります。













下に向いたつぼみがどんどん赤く色づくのは、
次々にランプが灯るような感じ。





どんどん咲いていきます。

もう静かな祭り状態。
ひとりシクラメン応援団となり、
がんばれがんばれ
ラッセラーラッセラー、と
励まします。











あるとき、一枚づつ上に反り返っているのに気づきました。




最後の一枚は、ゆっくりゆっくり上を向くとき、
その場に居合わせたのですが、
感動的だった。













大寒の夜、

うちのシクラメンは、なぜか、全開、絶好調です。

















カーネーションのオープニング、
あれ、ミシンをだんじりに例えていて、
劇中の名セリフ、

「 男は だんじり引かなあかんように
女はオシャレせなあかんねん!」

を表現しているんだ。


今ごろ気づいた。。
















月待ち雪


雪の匂い
晴れてゆく夜空
月待ち雪の暗さに
こころ鎮まる


君と遠く
離れた場所で
月待ち雪の冷たさ
つつまれ眠る


音が消えて
結晶がきしむ
月待ち雪と一緒に
月明かり待つ










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月待ち雪、は、京都の小さくて古いお香屋さんで
見つけたお香の名前。


初めて見たとき、すごい詩情だな、とびっくりした。


京都の旬のお菓子やお香に、ぽつりと静かにつけられた
絶対的な詩情がすごく好き。


あのお香屋さんの古い木戸を、ガラガラと
横に開けるときの音を思い出す。

あれは、古い棚にぎっしりとつまった
詩情の扉だった。



メロディは、ドビッシーの月の光。









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