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苺、食べました

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長谷部千彩さんのブログから。
http://blog.honeyee.com/chasebe/archives/2011/03/31/no-9.html




No. 9:苺、食べました

March 31, 2011


オフィスに着くなり、Yが口を開いた。
「福島の農家の人が自殺しましたね」
「え?」
仕事のメールの対応に追われ、朝、私には新聞を読む暇がなかった。
ああ、ついに自殺者が出たのだ、と思った。

Yの話によると、その方は、地震で母屋や納屋は壊れたものの、
畑と約7500株のキャベツは無事で、ホウレン草の出荷停止措置が取られた後も、
(出荷停止品目となっていない)キャベツの出荷はできる、と、意欲を見せていた。
しかし、二日後、キャベツの摂取制限指示が出る。
翌日、その方は「福島の野菜はもうだめだ」という言葉を残し、首を吊ったという。

家に帰って新聞でその記事を探すと、
青々と実った大きなキャベツが畑一面に広がっている写真が掲載されていた。
その方は、有機栽培にこだわって30年以上前から土壌改良を重ねてきたという。
経済的打撃ももちろん深刻だが、加えて人には自分の生業に対するプライドというものがある。
そのことを考えると、どれだけ深い絶望に呑まれたか、想像するに余りある。
そして、こんなにも多くの人が言葉を発している時期なのに、
それでも人ひとり救えないのか、と思うと本当にやるせない。
震災に加え、原発事故によって長期化するであろう問題を抱え込んだ農業従事者に対し、
(経済的補償はもちろんとして)精神的サポートは必要ないのだろうか。

私は普段から「頑張ろう」「頑張れ」という言葉をあまり使わないから、
いまこの時期においてもその言葉を口にすることはほとんどないし、
たぶん、これからも使うことはあまりないと思う。
馴染みのない言葉はどうしても体から出てこない。
でも、たとえば、風評被害を受けて困っている生産者に、
「あなたが作った△△食べました、おいしかったです」と手紙に書いて送りたい、
という気持ちには駆られる。
食べていないものをおいしいとは言えないけれど、実際おいしかったらそれは書ける。
ニッポン、という大きな枠だと、私の気持ちはぼやけるけれど、
相手が個人ならば伝える自信はある。
その反面、「おいしかったです」では駄目なのかな、とも思う。
私は、自分の書いた文章が好きだと言われたらとても嬉しい。
好きだと言ってくれる人がいるなら、もう少し続けて書いてみようかなと思う。
だから、私はよく茨城産の苺を買っていて(いつも行く八百屋さんでは茨城産が安いから)、
原発事故後も食べて続けているけれど(調べたら問題ないようだったから)、
もしも、あなたの苺はおいしいから好きです、という言葉によって、
少しでも明るい気持ちになってもらえるなら、伝える意味はあるのではないか、と思うけど、
そんな言葉、何の足しにもならないといわれたら、その通りだとも思う。
わからない。
by ayu_cafe | 2011-03-31 10:56 | Trackback | Comments(2)
Commented by ayamlin at 2011-04-03 10:46 x
おはよ。
そうそうこれも読んだよ。
読んでからいろんな人に話した。
30年も育てた大地を一瞬で汚されてしまった、この人は
いったいどんな絶望的な悲しい気持ちだったか。
会社の人と話すと、震災の話は極力避けてるんだ、っていうひとがいる。
自分を守るために、そういう対応も必要だよね。
卑怯だといわれるかもしれないけど、自分の精神病んでしまったら、
頑張るにも頑張れないから。
でも、私は目を離すことができない。いや。できるところは目を離してると
思うのだけど。。。。
野菜も水も軽度に汚染されている。
東北や茨城などのものを買うことが大事とわかっていても、やっぱり
胎児に放射能がいくのが嫌で買えない。
こんな状況になる一旦を作った中曽根さんは、自民党は人事じゃなく、
責任を感じて、より一層力を尽くしてほしい。なぜしないの?
なぜ民主党だけにさせて、できるのかい?って傍観してるんだろ。
小沢さんだって東北出身のくせに。。。。
Commented by ayu_cafe at 2011-04-06 10:13
あやさん
震災の話は極力避けてるって
印象的だな。
日本人はよくもわるくも
やさしい国民なのかな。
このおとなしさ、静けさは、
精神がまいるのを避けようとする
日本人の防衛本能なのかな。
これほどの、ことが起きても
調整と利権のよのなかに
また戻るのかね。