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夜が深く長い時を越えて You′ve got to get into the groove.

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これを読むとなぜか、
もっと自由にもっとやわらかく
もっと傷つきながら
もっと貪欲に、
ことばを、音楽を、風景を、
表現を求めていいんだ、と思える。

やるせなく悩ましい日々、
夜が深く長い時、
我ら時を行く。
You′ve got to get into the groove.

小沢健二 ひふみよ





転載させていただきます。




小沢健二「ひふみよ」雑感44






ある光

ーーで、「ある光」はサビのところを弾き語りでちょっと歌っただけだったね……。

「この線路を降りたら全ての時間が魔法みたいに見えるか? 今そんなことばかり考えてる なぐさめてしまわずに」「この線路を降りたら虹を架けるような誰かが僕を待つのか? 今そんなことばかり考えてる なぐさめてしまわずに」 この16小節だけでしたね。確かにもの足りないっちゃもの足りない。フルレングスでやろうと思ったらやれない理由はないはずなんです。あの手練のバンドで技術的にできないはずもないし。またはやりたくないならぜんぜん触れなくてもいい。「ある光」のこの特殊な扱いは、かえってこの曲の重要さを際だたせることになったと思います。それが何を意味してるのかはわからないですけど。

ーーうーん、でも単純にもっと聴きたかったよね。

まあそれはそうですよね。でもどうかな、この16小節を聴けただけで満足って気もしてます。フルで聴いたら胸がはりさけてどうしていいかわかんなくなっちゃうと思うし(笑)。

時間軸を曲げて(新曲)

そして「ある光」に続いて演奏されたのが「時間軸を曲げて」という新曲。

ーーどことなく「ある光」っぽい気がしたね。

確かにそうかも。曲調もシリアスだし。ただ歌詞に関してはこれまでと一線を画す表現が多かったですよね。「ありがとうという言葉で失われしものに誓うよ 磯に波打つ潮よりも濃く 我の心はともにあると」って。他にも蛇遣いがどうとか砂漠がどうとか。そもそも一人称が「我」ってどういうことだよ、って話ですけど。

ーーうん、でもこの曲すごくかっこいいよね。

ですよね。ぜひ音源リリースしてほしい。

ラブリー

でも英語の歌詞を日本語に置き換えるっていう目的はあったにせよ、「感じたかった僕らを待つ」が今の気持ちを高らかに歌うための歌詞だっていう話は、実際そうなのかもなって思いました。

ーー「僕らを待つ」って、何が待ってるの?

すごくあっさり言うと、恋人だと思います。本当の恋人と本当の思いを伝え合って感じ合う、そんな時間を待ってるってことじゃないかな。

ーー「完璧な絵に似た」のほうは?

「CAN'T YOU SEE THE WAY?IT'S A」の置き換えとしてはバッチリなフレーズだし、意味的にもすごく合ってますよね。やっぱり「感じたかった僕らを待つ」相手は「完璧な絵に似た」誰かじゃなきゃって思う。または「完璧な絵に似た」世界に飛び込んでいきたいってことだと思う。このコンサート自体が完璧な絵に似た数時間だったっていうのも感じるし。

愛し愛されて生きるのさ

ー一最後にこの曲を持ってくるのニクいよね。これも英語のコーラスが日本語に変わってたでしょ。「You′ve got to get into the groove」のところ「我ら時を行く」だっけ?

そうですね。意味的には「そして毎日は続いてく」「過ぎて行く日々を ふみしめて僕らはゆく」的な感じですかね。それにしても「家族や友人たちと」のところの盛り上がりったら。なんで僕らあのセリフ部分そんなに好きなんだろう。好きすぎる。

ーーそういえば、この曲を演奏する前に小沢健二は「もう1曲の、感じたかった僕らを待つ曲です」って言ってたと思うんだけど……。あれどういう意味?

うーん、これも僕なりの解釈なんですが「自分を待つ本当の恋人とまだ出会っていない」っていうのが「ラブリー」と「愛し愛されて」の共通点だってことを言ってたんじゃないかな。

ーーん?

「ラブリー」は「いつか誰かと完全な恋に落ちる」ことを夢見てるけど、自分はまだ「夜が深く長い時」の中にいて「誰かの待つ歩道を歩いて」る状態を歌った曲ですよね。この解釈はほぼ異論のないところだと思います。で、「愛し愛されて」の主人公にも恋人はいないんです。

ーーあれ、でも「君の住む部屋へと急ぐ」って歌ってなかった?

恋人の部屋に行くために「突然ほんのちょっと誰かに会いたくなるのさ」なんて言い訳を用意する必要はないでしょう。ふぞろいな心を抱えたまま、やるせなく悩ましい日々を過ごしてる。そんな思いを歌った曲が「愛し愛されて生きるのさ」なんです。愛し愛されて生きることが何よりも大切なことだっていうのはわかってるし、そんな気持ちを愛すべき相手と感じ合いたいって強く思ってるけど、今はまだ「感じたかった僕らを待つ」時期だっていう。

ーーなるほど。

そう考えると、セリフ部分の意味合いもはっきりしてきますよね。「深夜に恋人のことを思って 誰かのために祈るような そんな気にもなる(日がいつか来る)のかなんて考えたりするけど」っていうことだと思う。それで、これから本当の恋人になるかもしれない、そんな相手がまぶしげにまつげをふせて、ほんのちょっと息をきらして走って降りて来てくれるんですよ。それは素晴らしいことですよね。愛し愛されて生きることの大切さをずっと信じてたからこそ生まれた景色だし。そんな希望に満ちたこの曲で、このコンサートが終わるのは本当に感動的だと思います。

アウトロ

ーーいや、しかし本当にこの「ひふみよ」っていうツアーは改めて振り返ってみても、ものすごい内容だったね。

うん、完璧ですよね。思い切って言ってしまえば、僕は小沢健二が過去にやったどのコンサートよりも素晴らしかったと思う。過去の曲に関しても、どの曲もただ昔をなぞって演奏してるんじゃなく、小沢健二が当時のオザケンを解体して再構築しているような。楽曲が持っている美しさはそのままに、現在の視点で新しいメッセージを注入して、新しく生まれ変わらせているような。そんな印象を受けました。

ーー何回も観て気づいたことはあった?

んー、セットリストは基本的に同じとはいえ、やっぱり初日の緊張感はハンパなかったです。ステージも客席も、張り詰めた空気が満ち満ちてた気がする。逆に中野サンプラザとNHKホールは地元ならではの親密なムードがありましたよね。5月24日、中野サンプラザのアンコールで小沢健二が客席を指さして「岡崎京子が来てます!」って言って涙を流したのも驚いたし。あのときに会場全体を包んだ驚きと温かさが混ざり合う感じは、ちょっと言葉では言い表せないです。
by ayu_cafe | 2012-03-01 09:11 | Trackback | Comments(0)