みやこわすれの境界線。
お隣さんちとの境界線に、
ブロック塀や、木の柵ではなく、
両親は、あろうことか、
みやこわすれを植えている。
「境界線はあるだろうけど、
もっとおおらかに」
なんて教えられてるような気がしたり。。
すくなくとも
これを見ていてると、
つまらない自分の自尊心とかを
きりきり守って、
価値観のちがいや、すれちがいに
自分の能力と経験の足りなさから
きりきりしてしまうことが
みっともなく思えてくる。
「わかりあえない」との境界線に、
「苦々しい現実」との境界線に、
なんとか、みやこわすれを植えるようにして、
ぜんぶわかりあえなくても、
ぜんぶ受け入れなくてもいいから、
前に進めないものか。