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“あらゆる試練に耐えた誠実” カーネーションの花言葉。

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カーネーションというドラマを作った
渡辺あやさんは、

この花言葉に惹かれて
ドラマのタイトルにした。



あらゆる試練に耐えた誠実。



世の中にはすごい言葉がある。

また、その言葉を生み出さざるを得なかった
状況についてもしんしんと考えてしまう。




渡辺あやさんのコメントから。


そこから立ち上がった糸子が得ている幸福感、
人生に対する構えや哲学をいかに私自身が学び、見る人に伝えていくかが、
この物語の一番大事なところだと感じたんです。
もちろんその哲学は、糸子がこれまでの人生で築いてきたものの中にある。
そしてそれが老いという時間の中で、どんどん研ぎ澄まされる。


行き着くのは、死生観という難しい話。
とはいえ、あれだけ明るく自分の人生を駆け抜けた糸子だから、
死んだくらいで暗くなってる気がしない。
その死後もまたきっと明るいんだと思ったんです。
それが伝えられてこそ、糸子の一代記は終われると感じました。







めったに受けないという講演から。
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/176.html




 私のプロフィール

 ほとんど講演を断ってきた私が今回引き受けたのは、聞いて下さる方が私の話を補ってくださると思えたからです。私は、脚本家であり、島根にすむ二児の母でもあります。日本がバブルのころに学生時代を過ごし、卒業して就職。そこで主人と出会い、主人の仕事の関係でドイツのハンブルグで4年間本当に楽しく過ごしました。ところが、主人が家業を継ぐことになり、島根の田舎で赤ちゃんと二人の生活をすることになりました。その生活が楽しくなく、めそめそしている生活を卒業したいと思い、物語を作り始めました。さらに、作品を人に見てもらいたくなり、岩井俊二監督に見てもらいました。

厳しいコメントでへこむこともありましたが、面白さに目覚めた私はそのコメントにくらいつき、プロの脚本家をめざしました。それから9年。脚本家と家庭生活を今も両立させています。

 父の謎

 私の父は小学校の教師をしていました。父は、変わった人で、あの人が小学校の教師かと思えるほど、大人としても父としてもダメな人でした。そんな父が、教師としては優れていて、子どもにも保護者にも慕われていたのです。私には、そこが父の謎でした。

 父は、急に学校に行かなくなり、長い時には三か月も休みました。家でごろごろ寝ころんで酒ばかり呑んでいるのです。そんな父にもかかわらず、子どもも保護者も学校に戻ってほしいと望み、退職し10年たっても挨拶に保護者や子どもたちが家に来るのです。

 父が担任すると、子どもたちが生き生きしだし、日を輝かせるのです。他の先生が父に方法を尋ねても、何を言っているかさっぱりわからない。まるで長嶋茂雄のようなのです。父の教え子がしっかり手を挙げているのを見て、どうしたらいいかと尋ねたら、「小指を見せて」といえばよいといったそうです。しかし、他の人が同じことをしても、うまくはいきません。そこまでいくには、その前に父と子どもたちとの間に何かあったはずです。父は、「担任して3日以内に子どもの声と顔を覚えないと、1年間ぐだぐだになる。」といっていました。それには、相当の努力があったはずです。その父の理想と現実に無理が生じ、学校に行かなくなるということも起きたのでしょう。

私の場合、お客は初めから見るつもりですから集中してくださるし、美男美女を配置したりするなど、さまぎまな工夫もできます。それに対して、子どもは集中したいとも思っていませんし、まして勉強ですから、父も含め先生は優れたエンタテイナーだと思います。

 「その町のこども」が父に受けたわけ

 父は、水戸黄門のような筋がはっきりしたものしか見ない人でした。その父が、私が2010年に作った「その町の子ども」という阪神淡路大震災を題材にした作品に反応し、DVDを何回も見るのです。どうして父にヒットしたのか、理由がわからなかったのです。森山未来さんと佐藤江梨子さん演じる二人が、1月16日夕方に新神戸駅で出会い、街を歩きながらお話しするというものです。ドキュメンタリーのカメラマンが撮影し、二人にはセリフが聞こえにくくてもいいから、自分本人でいてほしいといいました。父も、生の子どもを相手にしていましたから、この作品を芝居っぽくせず生っぼいものにしたところに、響くものがあったのではないかと思います。

 人の生きる力になる作品を作りたい

 父もそうであったように、私も人の役に立つ・人の生きる力になる作品を作りたいと思っています。まず、そんな力がドラマにあるのかということですが、2007年「天然コケッコー」を見て、風邪をひいていたけれど体調がよくなったという人が何人もいました。その時、ゆったりとした作品は2時間見ることで体調にも影響すると確信したのです。これは逆に怖いことでもあります。どんな作品が人に生きる力につながるかはとても難しいことだからです。太っている人に、「太っていないよ」といえば、太っている人を悪くいうことにもなります。傷つけることにもなります。

 カーネーションという1回15分、40時間の作品を作るときに考えたのは、正直な作り方をしようということです。そのことで感じが悪くなっても、視聴者に怒られてもそうしようと思いました。理由があったわけでなく、直感的にそう思いました。不自然な解決に向かうと淋しいし、へんに変わると裏切られたと思うし、嘘に触れると傷つくものです。広告もそうですし、政治家の話もそうです。ですから、自分が作るときは正直でありたいと思ったのです。立派でなくても嘘をつかない作品にしたかったのです。

 上手な整体師はツボから少しずれたところを押すそうです。そうすると、患者のほうが体を動かして、整体師の指をツボに持っていくそうです。作品で自分の考えを視聴者に届けるときも、相手が取りに来て下さるようなものにすることが、生きる力になる作品だと思います。カーネーションがどうだったかは分かりませんが、輝いたスタッフの姿を見られたことは自信になりました。

 父は、最後に障害児学級を担任して退職しました。最後にもった肢体不自由児のユー君のお母さんが、「この子が障害を持ったお蔭で家族が一つになれた。だから、障害を持てて良かった」といわれたといいます。そのユー君が少し歩けるようになり、卒業式では父が名前を呼び、ユー君が証書を取りにいったそうです。父は、淡々と言ったがそこに美しいものを感じました。作品は自分が作れる準備ができたとき、向こうからやってくるように思います。

これで、終わります。
 







死んだくらいで暗くなってる気がしない。




立派でなくても嘘をつかない作品にしたかった。




作品は自分が作れる準備ができたとき、向こうからやってくる。
by ayu_cafe | 2013-05-15 08:08 | 花と樹と庭のこと | Trackback | Comments(0)