キンモクセイのせいで 〜「帽子」に学ぶ〜
先週、山梨のいなかに行く前の日、
NHKで緒形拳さんの追悼番組として、
「帽子」というドラマを再放送しているのを
偶然途中から見た。
はじめは、なんとなく見ていて、
そのうちTVの前に身を乗り出して
見てしまった。
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緒形拳さんは、好きでもきらいでも
なかったけど、この最晩年の作品を見て
圧倒された。
「帽子」は、広島のいなかで、
学生や、船員のひとがかぶるような
手作りの帽子をつくっている
おじいさん(緒形拳さん)のはなし。
おじいさんは、一人暮らし。
もうかなりの年で、ものわすれもたびたび。
なんとか東京にいる息子が家に帰ってきて
帽子屋をついでくれないかな、と思ってる。
たまにさびしくなって高校生くらいの孫に
電話をかける。
家にやってくるホームヘルパーの若い男の子に
世話を焼かせる。
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このおじいさんの演技がすごかった。
ほんとに、こんな困ったお年寄り、いるいるいる、
と思った。困るけど、憎めない。
世話を焼くと、勝手なことを言う。でも憎めない。
地方のお年寄りの方言での困った言い回し、
からだの自由の利かない動き、
服装に気をつけなくなった高齢者のたたずまい。
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終盤で、ホームヘルパーの男の子に
一緒に東京に行こう、って誘う。
男の子は、行きたがらない。
新幹線のホームで、心配そうに男の子を待つ。
発車直前に、男の子が階段をかけあがってくる。
そのとき、緒方さんは、ほんとにうれしそうに、
小首をちょっとかしげてとろけるように笑う。
人間が「どうしょもなく可愛い」、と感じてしまう。
そんな笑顔されたら、なにも言えなくなるじゃん、
って笑顔。
演技がどうとかはよくわからない。
でも、そのお芝居を、その日常の一挙一動をみて、
はやく自分のおばあちゃんに会いたくなった。
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ドラマ自体も非常によくできていた。
脚本は、今村昌平さんのもとで
ずっと緒形拳さんと一緒に仕事してきたひと。
ホームヘルパーの男の子と一緒に東京へ行って
帰ってくるときのがらんとした新幹線に、
二人でだけくっついて座っている画面も最高によかった。
最後の最後に出てくる、幼なじみの役の
田中祐子さん(エボシ!)は、
あたりまえのように圧巻だった。
緒方さんと田中さんが公園ではなすときの
蝉の声や、午後の光もとてもよかった。
田中さんは、緒方さんが丁寧につくった
帽子をずっと箱に入れて持っていた。
「これがあったから今日まで頑張れたよ」って
緒方さんに言う。
田中さんは、それからしばらくして亡くなる。
ドラマの最後は、緒方さんが、
田中さんのセリフを思い出しながら、
また黙々と帽子を創るシーンで終わる。
ものづくり、つくりもの、というのは、
時に、約束であり、勇気であり、
時に、言葉以上の、実生活以上の「関係性」になる。
それは、けしてはなやかなものでなくてもよくて、
丁寧に、静かに、真剣につくれば、
かならず、ひとを強く結ぶ。
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緒方さんの晩年の映像を見るたび、
驚くほど、やつれていてしのびなかった。
でも、このドラマを見て、そうは思わなかった。
やつれて、老いて、自由のきかなくなった人間、
それが、不思議だけど、すごく魅力的に見えた。
そこに、つまらない役者の自意識はなくて、
正とか負ではカテゴライズできない人間そのものが
ごろんと「生きて」いた。
人間が生きて、いろいろあって、
おもいのこすこともあって、
死ぬまでに会っときたいひとがいて、
ものをつくって、
大切な関係を紡いで。
そういう静かな作品を、
まるで帽子屋さんのように、
役者とスタッフは黙々と静かにつくった。
それをNHKは、追悼番組として静かに再放送した。
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もともとはNHK広島の開局記念として
つくられた番組。
DVDなんて出ないだろうな。
録画しとけばよかった。
でも、またこの季節、
キンモクセイがあたりに匂いだせば、
その匂いと連鎖して、
あの「どうしょもなく可愛い」笑顔を思い出すと思う。
またこの季節、キンモクセイの匂いのせいで。