ayuCafe

糸のような生命線をワイヤーに。毎日0から。祈るように。

糸のような生命線をワイヤーに。毎日0から。祈るように。_b0072051_7312922.jpg


仕事をしていても、ふつうに生きていても感じるのは、
コミュニケ−ションというのは、
ほんとに、糸のようにか細い生命線みたいだな、ということ。

一瞬で、ぷつりと切れてしまう、糸。

たしかに、目が覚めるようなスルーパスで、
ゴールするようなコミュニケーションもある。
わたしが携わっている広告という職種で言えば、
一枚のアイディア&デザイン&コピーでこころをつかむ、
といったところか。。

でも、今、もっと地に足がついて、
もっと広く深く、もっと地道に、もっと長い時間を共にし、
もっと、親身に、関わらないと、コミュニケーションは、
成立しない場合が多いと、いくつかの仕事をしていて実感する。

でも、これは、多くの職種において、当たり前のこと。
丁寧なコミュニケーション(仕事)を怠るとひどい目に遭う。


利益の追求と丁寧な仕事の両立は難しい。
じっくりと丁寧にやっているうちに
会社が潰れてしまうかもしれない。

その環境で、そのトラブルのただ中で、その納期までに、
できうる最善の“丁寧な仕事”を果たす。

いつも、最高に満足、とは限らない。
でも、理想と丁寧をあきらめない。

なぜなら、そうやって理想と丁寧をあきらめずに
仕事をする、ということで、自分が得るものは莫大だからだ。
それは、その職種に限ったノウハウだけでなく、
生きるノウハウとして筋肉になる。


コミュニケーションは、生もので、いつも状況が変わる。
ずっと安泰ということはない。
でも、どこかで、無意識に、安泰かも、と思ってしまっている。
でなければ、安易に、批判や、愚痴や、悪い態度が出る訳がない。
明日、どう変るか分からない相手に、状況に、甘えているのだ。

ひとは20代でも平気で死ぬし、会社は簡単につぶれる。
クライアントとの関係は、その会議が最後かもしれない。
一緒に暮らしているひとが、
帰ってみたら家にいないかもしれない。

今日あるものが、明日あるとは限らない。

先週ある会議で、ベテランのアートデレクターが、
いくつか出した案をクライアントに評されて、
「はい、勉強になりました」と言っていた。

半分冗談で半分本気のコメントだと思うけど、
毎日0から、吹けば飛ぶような、糸のような生命線を
なんとかつないでいくのがコミュニケーションだとつくづく思う。

コミュニケーションって、
わかりあえる相手とするのものではなくて、
ひとつもわかりあえない相手に、
わかりやすくするものだと思う。

であれば、一つ一つ丁寧にやる以外ないじゃん、
と思う。

丁寧にやらなければいけない、
という規則があるのではなく、
今、それ、丁寧にやっとかないと、後がないのだ。


コミュニケーションは、いたるところにあらわれ、
それが総体となって、はじめて関係性を築く。

広告で言えば、
余白とり方、
文字組の美しさ、
データの正確さ、
メールの改行の間隔、
何重かのチェックのシステム、
効率的な進行、
電話の応対

それらは、すべて、生命線。

明日なくなるかもしれないものの。
そして、とても多くを自分にもたらしてくれるものの。


糸のような生命線をワイヤーにするべく、
毎日0から挑戦する。
圧倒的な不安と、わずかな自信とともに。
毎日0から。
祈るように。


そうやって得た筋肉は、
必ず、どこへ行っても使える、と思う。
by ayu_cafe | 2008-11-03 22:17 | 仕事もしてます | Trackback | Comments(2)
Commented by ne-san at 2008-11-05 07:14 x
日々変わるモノを相手に丁寧なコミュニケーション。
それ、わたしも一緒。
しかも相手は正真正銘の生もの(笑)
手を抜くと、取り返しのつかないことが起こりうる、
という緊張感があります。
Commented by ayu_cafe at 2008-11-05 22:16
ねーさん、ありがと。
まずは、全部読んでもらって。。笑

ねーさんが遠く北の方で、命の現場で、
いつも奮闘しているのは、なによりの励みです。
ほんとお知り合いになれてよかった。
思い出して、がんばろ、と思えるひとが
いるのって、なによりの宝ものかもしれません。