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カテゴリ:中村勘三郎( 4 )

『人に褒められようと思っちゃダメだよ。 芸というものは自分を信じて突き進むからこそ磨かれるものだ』

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「でも、役者には結果がありません。
その後の判断は、お客様がしてくださるものだしね。

だから、何が何でも稽古を続けて、
あとは自分を信じるしかない。


おじいさん(六代目菊五郎)が亡くなる少し前のことですよ。
病気になって入院しているときに、
お見舞いに来てくれた花柳章太郎さんに、

『章ちゃん、人に褒められようと思っちゃダメだよ。
芸というものは自分を信じて突き進むからこそ磨かれるものだ』

と言ったんだそうです。

この言葉は、どんな瞬間にも僕の心の中にありますね。」


中村勘三郎
by ayu_cafe | 2013-02-06 01:44 | 中村勘三郎 | Trackback | Comments(0)

春風のためのけいこ

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坂東三津五郎さんによる 中村勘三郎さんへの弔辞から。




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 長い付き合いでしたが、性格があまりに違いすぎたせいか、
ケンカをしたことがありません。
芝居も踊りも持ち味が違い、20代から8回も演じた棒縛。
はじめの頃は、お前たちのようにバタバタやるもんじゃない、
春風が吹くようにフワッとした感じでやるものだと、
諸先輩から諸注意を受けましたが、
お互いに若く、負けたくないという心から、
なかなかそのようにできなかった。


 それが、お互いに40を超えた7回目の上演のとき、
「やっと先輩たちの言っていた境地の入り口に立てた気がするね」
と握手をし合ったことを忘れません。
長年の経験を経て、お互いに負けたくないという意識から、
君には僕がいる。僕には君がいるという
幸せと感謝に生まれ変わった瞬間だったように思います。



 君がいてくれたおかげで、この56年間、本当に楽しかった。
ありがとうね、哲明。
君は交友関係も広く、活動の場も広かったから、
さまざまな人の心に、さまざまな思いを残したと思うけど、
僕は50年間一緒に芸を勉強し続けた友人として、
不屈の信念で体に宿った魂。人の何倍もの努力によって培った芸のすごみで、
誰にもマネのできぬ芸の境地に立った歌舞伎役者だったことを、伝え続けたいと思います。

 君のマネはできないし、やり方は違うかもしれないけれど、
(勘九郎の本名)雅行くん、(七之助の本名)隆行くん、七緒八(なおや)くんと一緒に
これからの歌舞伎をしっかり守り、戦い続けることを誓います。

 これで、しばらくは一緒にやれなくなったけれど、僕がそちらに行ったら、
また、一緒に踊ってください。

そのときのために、また、けいこしておきます。



坂東三津五郎




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この現実のためのけいこを今日もする。

いつか、この日々が、この気持ちが、

フワッと吹く春風のようになるまで。


人の何倍もの努力をした人間の余韻は
それはそれはまばゆくて太陽のようだ。

この現実のためのけいこを今日もする。


それは、挑みがいのある
春風のためのけいこ。
by ayu_cafe | 2013-01-16 06:28 | 中村勘三郎 | Trackback | Comments(8)

自分のつらさに甘んじていないか。 18代目 中村勘三郎 1955ー2012

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中村勘三郎のドキュメンタリー。

渡辺えり子を演出にむかえた創作劇と
古典歌舞伎を同じ日に演じる勘三郎は、
稽古ももちろん、同時進行。
彼は、その古典の稽古の時に、
先輩の老歌舞伎俳優を呼んで、
レクチャーを受ける。
その時の彼の目つきが凄かった。

緊張と、重圧に対峙する
強い意志と、そして、
大御所とは思えない謙虚な精神。

腹をくくって、折り目正しく
現状に立ち向かう。



中村勘三郎は、平成16年に最初の
ニューヨーク公演を行った。
世界の舞台芸術のメッカ、
リンカーンセンターの敷地内に、
平成中村座を建設し、あたり一帯には、
漢字ののぼりをはためかせた。

彼は、オリエンタリズムとしての
伝統芸能というショーではなく、
ドラマを持ってニューヨークに来た。
通し狂言を一本、演出は現代劇の串田和美。
当初、関係者はほとんど反対した。
「やめとけ」「失敗したらどうする」と言われると、
彼は、「失敗したら腹を切る」と答えた。

彼は著書の中で、こんな風に書いてる。
「絶賛か拒絶かどちらかになるような
気がしてしかたがない。」
そして、こう続ける。
「私はだからこそやりたい、と強く思った。」



中村勘三郎のニューヨーク公演を
ニューヨーク・デイリーニースは
こんな風に評した。

「彼は伝統に甘んじていない」



話しの合うひとに甘んじていないか。
他人の不備に甘んじていないか。
日々の忙しさに甘んじていないか。
自分のつらさに甘んじていないか。







※ 以前投稿したものに
書き足しました。
by ayu_cafe | 2012-12-05 07:59 | 中村勘三郎 | Trackback | Comments(4)

腹をくくって、折り目正しく。

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渋谷のセルリアンタワー39階で、
会社の納会パーティがあった。

私は、祖父が絵を描き、
祖母が縫った大島紬を着ていった。


きっかけは、クリスマスに放送していた
中村勘三郎のドキュメンタリーだった。
内容は、圧巻だった。
渡辺えり子を演出にむかえた創作劇と
古典歌舞伎を同じ日に演じる勘三郎は、
稽古ももちろん、同時進行。
彼は、その古典の稽古の時に、
先輩の老歌舞伎俳優を呼んで、
レクチャーを受ける。
その時の彼の目つきが凄かった。

緊張と、重圧に対峙する
強い意志と、そして、
大御所とは思えない謙虚な精神。

腹をくくって、折り目正しく
現状に立ち向かう。

その目つきを見て、
そうだ、うちに、おじいちゃんの
着物があった。
それを今年最後に着ていこう、と思った。


中村勘三郎は、平成16年に最初の
ニューヨーク公演を行った。
世界の舞台芸術のメッカ、
リンカーンセンターの敷地内に、
平成中村座を建設し、あたり一帯には、
漢字ののぼりをはためかせた。

彼は、オリエンタリズムとしての
伝統芸能というショーではなく、
ドラマを持ってニューヨークに来た。
通し狂言を一本、演出は現代劇の串田和美。
当初、関係者はほとんど反対した。
「やめとけ」「失敗したらどうする」と言われると、
彼は、「失敗したら腹を切る」と答えた。

彼は著書の中で、こんな風に書いてる。
「絶賛か拒絶かどちらかになるような
気がしてしかたがない。」
そして、こう続ける。
「私はだからこそやりたい、と強く思った。」



着物を着て、びしっと帯をしめ、
扇子を帯に差す。
草履をはき、姿勢を正す。
気持ちがひきしまる。

祖父の描いた絵は、内側の
着物に描かれていて、外からは見えない。
祖父の色彩の繊細な濃淡と、
祖母の縫いの強さを感じる。

人間ってどうしても今を
気にしてしまって、
年月を俯瞰して見れない。
祖父母に対しても、どうしても
晩年の印象が強い。

ところが、この着物に生きている
祖父母の鋼のように、植物のように、
精鋭な精神性は、いったいなんだ。

はじめは、久しぶりに、
祖父母と、外出しょうか、
なんて甘いことをちょっと思った。

でも、その着物を通して、
全身に感じられたのは、
人間の意志によって紡がれた文化だった。
そして、その文化からは、勇気を感じ、
その文化に対する畏怖から
謙虚にならざるをえなかった。

それは、パリに生きた芸術家や、
イタリアの建築の曲線や、
アルファロメオの加速感や、
京都の旅館で、一品づつ運ばれる料理に
触れた時と同じ感情だった。


中村勘三郎のニューヨーク公演を
ニューヨーク・デイリーニースは
こんな風に評した。

「彼は伝統に甘んじていない」


そういえば、と思った。
会社に甘んじていないだろうか。
家族に甘んじていないだろうか。
現状に甘んじていないだろうか。


セルリアンタワー39階からの
夜景はきらびやかで、
コンボのジャズバンドが演奏し、
ビュッフェでは、分厚い
ローストビーフが切り分けられていた。

最後に、ベストドレッサー賞が
4組発表され、その中に私も選ばれた。
そういうつもりではなかったので、
びっくりした。
賞品は、一万円分の商品券だった。

ざわついた会場で、ずっと、
色彩の濃淡と、縫いの強さを
静かに謙虚に感じていた。
by ayu_cafe | 2007-12-30 07:56 | 中村勘三郎 | Trackback | Comments(4)