ayuCafe

<   2007年 11月 ( 4 )   > この月の画像一覧

霜月・「冬の日の幻想」

b0072051_22521514.jpg



ある金曜日。
山梨の叔母から携帯に連絡があり、
祖母の体調がかなり悪いとのこと。

施設に往診に来た医師からは、
できることはすべてしました、
と言われたらしい。
部屋も亡くなりそうなひとが
移される看護部屋に移されたそう。

かなりせっぱつまっている叔母に、
「じゃ、今日なるべく早く行くから。」
と言って電話を切る。

クライアント先に出かけて打ち合わせをひとつ。
大詰めの競合プレの社内打ち合わせをひとつ
終えて、家に電話をいれると、
すこしだけ容態が持ち直したらしいとのこと。

いま、すぐどうの、という状態ではなさそうなので、
日曜日に一緒に作業しようと思っていた
デザイナーに、目安となるデザインラフと
コピーをざっくり仕上げて、トス。
最悪、月曜も休んでもいいように
各仕事の段取りをつけてから、電車に乗ったら、
終電だった。(う〜ん、現実はシビア)

なぜか、このところ絶え間なく押し寄せる
社長様からの競合プレ参加の要請に、
かなり体調を崩し、歯もいたくなってきていた。

ともあれ、家でちょいと仮眠して、
キンと冷えた早朝、
ブラックパール号で出発。
喪服を持ってこうか、一瞬迷ったけど、
やめた。


祖母は、かなり咳き込んで苦しそうだったが、
それでも、だいぶ落ち着いたらしい。
点滴も無事血管に入ったらしいし、
ハチミツのお湯も飲めるようになった。
施設は風邪がはやっていて、
スタッフは、みんなマスクをしていた。

どこまで、見えて、どこまで、
認識してるかわからないので、
ベッドの隣にすわって、
祖母の手を握っていると、
なんとも、うれしそうに笑ってくれた。

昔から祖母は感情表現が豊かで、
こんなふうに喜んでくれるなら、
こんどはなにをしてあげようか、とよく思った。
多分、ものすごく影響を受けているんだけど、
自分は、こんな風に
とろけるように笑えないな、と思う。

お昼すぎ、叔母、母の看護の甲斐あってか、
だいぶ回復した。

実は、この日、母の誕生日を前倒しで
するはずだった。
父母と妻と4人で、新宿で
ベルト・モリゾ展を見てから、
クラッシックのコンサートに行く予定だった。

演目は、チャイコフスキーの
「冬の日の幻想」。
パリでさきさんと行ったコンサートが
あまりにもよかったので、
クラッシックのコンサートにみんなで
行きたくてしかたなかった。

券はわりと直前に電話でとったので、
会場で、支払い、受け取るはずだった。

ま、でも事情が事情なので、
キャンセルの電話を窓口に入れる。
計4万近く、まだ払ってないけど、
しかたない、行けないけど、払おう、
と思って、電話で受付のひとに
事情を説明する。

受付の人は、「しばらくおまちください」
と言って、しばし、保留。
そして、「お待たせしました」と戻って来て、
こう言ってくれた。


「そういったご事情であれば、
今回は特別にお支払いは結構です。
どうか、お大事になさってください。」


最後の言葉にびっくりして、
慌てて丁寧にお礼を言ってから
電話を切った。

仕事は右往左往で、体は疲れていて、
目に見える確かな進歩や充実なんて
よくわからなくて、
施設の空気は重くて、祖母はぜいぜい
いっていて、母も叔母も疲れていて。。
だけど、こんな一言って
すごくうれしい。

ああ、こんな一言のような仕事が
いつかできればな、と思う。
そして、こんな一言のように、
生活できれば。

もちろん、いつでもこんな風に支払いまで
キャンセルできるわけではないだろうし、
たまたまやさしい受付の人だったの
かもしれない。

でも、わりと単純にいいことは
信じる性格なので、
きっとこういう受付のひとがいる
コンサートは、いいコンサートなんだろうな、
と思った。

ほんの少しだけ、優雅に弦がたゆとう
澄んだ響きの「冬の日の幻想」が聞こえた気がした。




というわけで、
母の誕生日には、芸もなく、エルメと、
ロクジュウペケ歳らしく、
ワイルドかつ情熱みなぎる花束をあげた。



霜月



b0072051_014747.jpg
by ayu_cafe | 2007-11-29 00:04 | | Trackback | Comments(6)

美しく編まれたレースを指でなぞるような音楽。 ジェーン・バーキン オーチャードホール

b0072051_10574945.jpg



フランスから帰ってきてから、
ちょいと嵐のような日々が続いた。
電通、博報堂、というサッカーで言うなら
ブラジル、アルゼンチンクラスの
競合相手と戦い、ソニーや
マガジンハウスがラインアップされていた
競合プレゼンを戦い、いくつかの
ルーティンワークの企画を練り上げ、
別チームのプロジェクトに生じていた
問題が深刻化したので、
まるごとスタッフが入れ替えになり、
それを引き継いだ。

ソニーなどと戦った競合プレは
勝ってしまったので、
これはこれで奮闘しないと。。

いずれも有能なスタッフと
仕事ができたので頼もしかった。


そんな嵐の合間、ふっと風がやんだような
タイミングで、かけこむように、
渋谷のオーチャードホールの席についた。


ジェーン・バーキンを見るのは
はじめて。


会場の照明が落ち、彼女と
最小限のバンドのメンバーが出てくる。
彼女の服装は、かっこいいんだか、
そっけなさすぎるんだか、わからないほど、
かっこいい。


曲がはじまる。声を聞く。
鳥肌がたつ。

次々に曲が続く。
旧型のiPodのハードディスクが
焼けこげるほど、なんども聞いた曲たちが。

はじめて声を聞いてよくわかった。
この声は、伴奏の上に乗っかっている
ウイスパーではない。
この声の中には、生命の濃厚な鼓動が
宿っていて、おおらかで、確かな
タイム感がある。つまりグルーブがある。

そして、高音をひっぱっている間の
声の豊穣な魅力。

終盤、ピアノだけでやった「マノン」は、
作ったセルジュのよりも、カヴァーした
誰のバージョンよりもよかった。

ほんとうにセルジュの書くメロディは
きれいだな、と思った。
間に合った、と思った。
書いてもらった本人の声で聞けたんだから。

それは、
無垢で、危うくて、ほのかで、
香り高く、繊細で、

まるで、
美しく編まれたレースを
指でなぞるような音楽、だった。


そして、音楽にひきこまれ、
いろいろなものがよみがえり、
いろいろな場所に連れ戻された。

パリの冬の空気、人いきれ、
車の往来、排気ガスの匂い、香水の匂い、
地下鉄の匂い、カフェの匂い、
セーヌの川沿いの並木をゆさぶる
風の冷たさ。暖房の効いた室内の暖かさ。


最初に自分でパリに行ったとき、
まっさきに行った、
モンパルナスのセルジュのお墓。
あの時の冷えた空気、お墓につくまでの
並木道、お墓のまわりにぽつぽつといた
フランス人。
埋葬の日、ここにジェーンとシャルロットと
カトリーヌ・ドヌーブとイザベル・アジャーニ
なんかがいたんだな、と思った。


凱旋門の屋上。
放射状にひろがる景色の中で、
ホテル・ラファエルを探した。
セルジュとジェーンの行きつけの老舗ホテル。
セルジュが、娘のシャルロット・ゲンズブールの
誕生日に、家具から、食事、
従業員の服装まですべて白で統一させた、
白のパーティを開いたホテル。


こんなようなことは、
いくらでもよみがえってくる。


夜のモンパルナスタワー。
今、歌っている「手ぎれ」という曲が
流れていた。
あと、5分でエッフェル塔の
イルミが激しくまたたくから、って、
友人のぽさんと妻とわくわくしながら待った。


年末に出かけたギャラリージェフロアの
おもちゃ屋さん。
ショーウインドウにセルジュのフィギアが
飾られてた。
斜め向かいの、有名な映画関連のお店では、
ショーウインドウに、発売されたばかりの
ジェーンの写真集が飾られてた。


冬の朝のヴェルヌイユ通り。
セルジュとジェーンとシャルロットが
暮らしていた家を見に行った。
壁一面に落書きされたセルジュの詩の
数々が、音もなくささやき合っていて、
家の前には、無造作に
高級車デイムラー・スーパーV8が
縦列駐車されていて、ボンネットの上に
プラタナスの枯れ葉が落ちていた。


そういえば、パリで会ったさきさんは
このあたりで、シャルロット本人を見たって
言ってた。とんでもなく細かったって。
さきさんと行ったコンサートはよかったなあ。


さきさんと同じ日に会った、ちはるさんは、
ジェーンとパーティで話した、って言ってた。
「ジェーン・バーキンさんですよね」
って声かけたらしい。
ちはるさん、奮闘してるかな。


ムフタールのサバンナカフェでは、
coCoさんと、ぽさんと
アコーディオンのライブを見た。
日本人のtakaさんが、セルジュの
「ジャヴァネーゼ」をやってくれた。
パリで「ジャヴァネーゼ」が聞けるなんてっ、
と感動した。店主のリシャールさんも
気持ちよさそうにメロディをハミングしてた。


「ジャヴァネーゼ」は、セルジュと
ジェーンの曲の中で、いちばん好きな曲。
今日のコンサートでは、結局、歌わなかった。
でも、よかった。
歌ってたら、きっと感極まって
号泣してたよ。危ない、危ない。


彼女が去り、客電がついてから
しばらく、
なんていいものを見てしまったんだろうと
内心ニヤニヤしてしまった。

人間ってスゲー魅力的じゃん、と思った。

彼女が60歳でも70歳でも80歳でも
聞きに来たいな、と思った。


そういえば、彼女、NHKのフランス語会話に
ふらりと出演して、日本のファンへメッセージを
と言われて、
「(キスの音。) 日本語でキスをするって何て言うの??」
って答えてたらしい。


ロビーでは、ジェーンとコラボした
香水が売られていて、テスターが配られていた。

みんながその場で試しているので、
コートにほのかにいい香りがついた。

きもちのいい冬の街を、駅まで、
ずっとその香りと一緒に歩いた。


b0072051_1103729.jpg
by ayu_cafe | 2007-11-24 11:01 | ayuCafe Music Bar | Trackback | Comments(2)

残像。モンマルトル。

フランスの1週間 月曜日2


b0072051_23424018.jpg




b0072051_2343799.jpg




b0072051_23434966.jpg




b0072051_23441417.jpg




b0072051_23443515.jpg




b0072051_23445510.jpg




b0072051_23451629.jpg




b0072051_23454449.jpg




b0072051_23462421.jpg




b0072051_23493293.jpg




b0072051_23495458.jpg




b0072051_23502314.jpg




b0072051_23504617.jpg




b0072051_2351671.jpg




b0072051_23512697.jpg











モンマルトル、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの前で、
ムフタールに住むcoCoさんに携帯で電話する。
「いま、モンマルトルバス待ってんの。
 なかなか来ないんだよ」
「会えるの土曜日になっちゃうけど
 なにとぞよろしくー。パリ、そんなに
 寒くないね。」
暖かい午後の日差しの降り注ぐバス停の前。
会話も、光も、風車も、空気の冷たさも、
なにもかもが、その場で、強い残像になる。




フランスの1週間 月曜日2


b0072051_112145100.jpg
by ayu_cafe | 2007-11-18 23:47 | フランスの1週間 | Trackback | Comments(4)

ずっと見上げながら育った階段をのぼる。

フランスの1週間 月曜日1


あれは、たしかパリ訪問3回目の時。

12月30日に母と妻と
モンマルトルのラパンアジルに
シャンソンを聞きに行った。
はじまるのが夜の9時すぎだったので、
タクシーで直接行った。

タクシーの窓から、夜のパリの街を
眺めていた。
不意に、夜の街並の先に、
急勾配の階段がちらっと見えた。
ああ、モンマルトルの丘に
近づいているんだな、と思った。
と同時に、なぜか、ものすごく
なつかしいものを見てしまったような、
とてもよく知っているものを
見てしまったような感覚に襲われた。

なんだろう、この感覚、と不思議に思った。

旅行から帰ってきて、しばらくして、
その謎が解けた。

それは、山梨のおばあちゃんの家に行って、
ふと天井近くを見上げた時だった。

そこには、模様絵師をしていた
祖父の油絵が何枚かかけられていて、
一緒に、母の弟(私の叔父)の
絵もかけられていた。

その母の弟の絵が、ユトリロの模写で、
モンマルトルの階段の絵だった。

私は、小学校にあがるまで、この
山梨の家で祖父母と暮らしていた。
祖父の描いた絵や叔父の描いた絵は、
ごくふつうに家中に飾ってあり、
ちいさなこどもにとっては、
まあ、壁の模様みたいなもので、
まったく意識していなかった。

寒い冬の朝、布団から出て着替えるのが
おっくうな時も、暑い夏の午後に、無理矢理、
昼寝をしろ、と言われて、ぜんぜん
眠れなかった時も、おばあちゃんや
おじいちゃんが、隣にいる気配を
感じながら、うとうとと眠りに
落ちて行くときも、ぼんやりと
無意識にながめていたのが、
この階段だった。

ああ、なんだ、そうか、と思った。

これは、なつかしく
おもわないわけがないな。


ユトリロの絵やモンマルトルの街が
すごく好きになってしまうのも
なんだか、納得できた。


それから、何冊かユトリロの本を
読んでいると、あの絵が、
サクレクールの裏のコタン小径という
ところだとわかった。

パリに行ったとき、モンマルトルは、
毎回行ってたけど、
いつも、ここは、行き逃していたので、
今回こそ、と思って、
まず、最初にこの階段へ向かった。

バスを乗り継いで、カツラ屋さんが
並ぶ通りを少しのぼった。

PASSAGE COTTIN
と無愛想に書いてある看板を見つけた。

そして、その先に、ずっと見上げて
育ったあの階段があった。

あたりはしんとしていて誰もいなくて、
ひんやりとした10月の空気の真ん中を、
白い階段がすっとのびていた。

ゴクリとつばを飲み込んで、
胸が高鳴るのを感じながら、
しばらく階段を見上げた後、
ゆっくり静かにのぼっていった。

階段はとても狭くて親密で、
きれいな緑の木々が、なにかを
包み込むように茂っていた。

母の弟(私の叔父)は、10代で
バイクの事故で亡くなった。
それ以来、おばあちゃんは、
亡くなった息子と自分が大好きだった
緑茶を絶った。
だから、いつも紅茶を飲んでた。

母の弟は、あの絵を描いた時、
会ったこともない甥っ子が
妻と一緒にその階段をのぼっていく、
なんて思いもしなかっただろうな。

なにかは思いもしないところで、
つながり、思いもしないところで
広がってゆく。

階段をのぼる前に、若い子が数人、
手前の家に入っていった。
彼らに言いたくなった。
ねえ、ねえ、君らより、
ずっと前から、この階段をながめて、
育ったんだぜ、って。

階段をのぼりながらいろいろなことを思い出した。
山梨の山のふもとの家の水の冷たさ。
水路を勢いよく流れる水のおと。
おばちゃんの鼻歌。
おじいちゃんがお風呂に入っているとき
歌う歌。蝉時雨。北風がうねる音。
ぶどうの匂い。稲穂の匂い。
クレヨンの匂い。父母の東京の匂い。
いとこたちの騒がしさ。

そう、自分にとってパリは観光地や
ヴァカンスの目的地じゃなかった。
すくなくともこの階段は。

妻も気にいってくれたみたいで、
階段の途中で、写真とって、
と言うので、撮った。
自分も撮ってもらった。

地元のひとは、
人気のない、普通の階段で
なにしてるんだろう、と
思ったかもしれない。

なんだか、なんでもない砂場で
夢中になって遊んでいる
仲のいい子供同士みたい
だったかもしれない。


ま、でも、たいした話ではありません。

気がつかないだけで、
入り口は、ずっと前から目の前にあった、

というだけの話です。




b0072051_3233331.jpg





b0072051_3235066.jpg











フランスの1週間 月曜日1
by ayu_cafe | 2007-11-12 03:38 | フランスの1週間 | Trackback | Comments(16)