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ある休日。ヒマラヤユキノシタ、ジャック・ブレル、光る海の雲、うれしそうな水仙。

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1月のある休日。


朝、7時半に起きて、
母をのせて、クルマでスーパーに買い出しに。

安くて品数豊富で混むスーパーなので、
いつも朝一番で行く。



家に戻って、しばし、庭散策。

玄関先で、ヒマラヤユキノシタが咲いている。


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一月は、真冬でも、寒い季節でもない。

ヒマラヤユキノシタが咲く季節。



それにしても、一月の光は冷たくてきれい。

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今年は水仙、たくさん咲いた。




朝食。

その前に、gla_glaのちいさなグラスで、
グレープフルーツジュースを一杯。

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これは、随分前に、京都の俵屋さんという旅館で、
朝一番に、まずは、とグレープフルーツジュースを
出されたので、その真似。




加藤登紀子さんがうたう、ジャック・ブレルのうたを
ぼんやりと聞きながら、ゆっくり朝食。
(あまり、よくないときほど、ゆっくり朝食。)

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すこし休んだら、

父と妻とわたしで、菜園のつちづくり。

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寒いかな、と思うけど、
鍬で土をもりつけるだけで、すぐに身体があつくなる。



ところで、これは、土をならすものなんだけど、

柄がまるごと、木で、使い込まれてるからか、
ものすごく手触りがいい。

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見た目も美しい。

木ってすごい。ここをプラスティックとかにしてはいかん。





見上げると、紅梅も芽吹いてきた。

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芽吹く、って言葉、素晴らしい。







今日は、庭仕事、軽めで終了。
さて、身体もあたたまったついでに、
そのまま、妻と、海まで、ウォーキングへ。




すぐ、着く。

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寒くて、空気がクリアで、光る雲がとてもきれい。

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海辺の公園の花。菜の花。

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海からかえって、
ひろってきた貝殻を
せっけんで洗う。




お昼は、ピザをかりっと焼く。
アンチョビ入れるところが、こだわり。

スティングのベルリンでのライブを聞きながら。

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食後、スティングのライブを聞きながら、
お風呂にお湯を落として、
海でひえた身体をじっくりあたためる。
真昼の悦楽。




のんびりして、
夕方、母がつくってくれたぎょうざの具を、
妻と、黙々と、皮につつむ。

私は、つつみ方、まったく上手くない。

美味しくて、きれいなぎょうざがつくれる人間になりたいものだ。。


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ぎょうざの具を皮につつみながら、
ふと庭をみると、
水仙が、一月のあかあかとした夕陽に、
うれしそうに照らされていた。





そんな、ごくふつうの、静かなある休日。



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by ayu_cafe | 2011-01-30 23:43 | 海辺の生活 | Trackback | Comments(8)

よしもとばななさんにいただいた手紙。

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10代の頃、

ロッキンオンの書評で、「キッチン」という新刊本が
紹介されていた。

いまでも、その書評の内容を覚えている。

「ここでは、なにもおこらない。
激しい描写も、深いトラウマもない。

でも、ただ、一緒においしいものを食べて、にっこりと笑う。
それだけで、こころとこころはぶちぬかれ
バイパスされる。」



すぐに「キッチン」を買って読んだ。
(だから、わたしのキッチンは初版です☆)

びっくりした。

これは、いままでの、いわゆる、文学、作家
というものとまったくちがう、と思った。

なにか、文学的なカチカチとした細かいマナーを
びゅんとすっとばして、
なおかつ、がっしり、核心をつかんでいる。

同時代の文学だと思った。


若かりし10代、

「カツ丼の出前に来たの」

のところにはじめて出くわしたときは、
感極まって天井を見上げてしまった。



みかげ、という主人公がリアルすぎて、
生すぎて、

しばらく、本棚においた、キッチンの背表紙の
タイトルを見るだけで、
そこにそのひとがいるみたいで、恥ずかしかった。





そして、すぐに、あろうことか、

手紙を書いた。

あろうことか、そのころから

たくさん書いていた自分の詩まで同封した。きゃー。



詩を読んでもらいたかったのではなく、

すっとばしかた、と、核心のつかみかた、
姿勢の良さ、が、自分の表現したいことと
(おそれおおくも)すごく似ていすぎたので、
びっくりして、送った。

同じならわしののろしをあげるような感じ。。




そして、あろうことか、返信が届いた。




まあ、その一字一句、よしもとさんの文学そのものだった。

すっとばしていて、つかんでいて、姿勢がいい。


詩に関しては、

「町蔵のような詩」(ちがうか。)

と丁寧に、いなしてくれていた。


町蔵というのは、その当時は、パンクロッカーで
いまは、町田康という名前で、芥川賞作家。

悩める10代にとっては、とにかくうれしかった。



わたしが、あるシーンに対して、

「あそこで、RC(サクセション)の曲を想い出しました」

と書いたら、

よしもとさんが、

「marvy(当時のRCの新譜)よかったです、買った?」

と書いてくださって、くらくらした。


このリアリティーだよ、やっぱり、すごいと思った。


いまでこそ、ツイッターやブログで、
有名な人とのラフな会話ってありえるけど、

20年以上も前に、この「買った?」はすごい。



ちなみに、この時、わたし、受験浪人生だったんだけど、

よしもとさん、

「わたしも風邪をひいて、浪人な気分になってしまいました。
自分が“待ち”だと人は弱気になるものですね。本当。」

と書かれていた。

小説じゃん、これ。



最後に、当時、一冊しか世に本が出ていない
よしもとばななさんは、

手紙をこんな風にしめくくっていた。



「私も立派な作家になれるよう日々努力しますので、
そちらさんも、がんばってね。」












数十年後、
わたしは、岡村さんと、一冊の絵本を
講談社さんから出版できた。
護国寺の講談社さんで、契約書に署名する時、
よしもとさんもこんな風に出版社で
署名したんだろうな、と思った。



わたしは、よしもとさんに二通目の
手紙を書きたいな、と思っている。


でも、それは、メールやツイッターの
ダイレクトメッセージのような
すぐに「つながって」しまう方法ではなく、

手紙のような方法でもないような気がする。


すぐにつながれるから、
むやみにはなしかけたくない。


たぶん、日々、悪戦苦闘し、
日々、花がきれいだとか思うことが、

わたしの二通目の手紙なのかもしれない。

弱音や愚痴は出るかもしれないけれど、
弱音や愚痴でその手紙をしめくくりたくない。

長い手紙になりそうだけれど、
ひとりの作家と出会うということは、

無言の長い手紙をやりとりしあう
ことかもしれない。


だから大丈夫。

いろいろなことがあるけれど、

つながっている。

「買った?」って、

いまもバイパスは、ここにある。
by ayu_cafe | 2011-01-26 08:12 | non category | Trackback | Comments(12)

曇った空のしたで、正解もわからず、突き進む。*「宇宙戦争」のこの解説、凄い。*

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宇宙戦争、さっきTVで観終わったあと、

この解説を読んで、圧倒される。

台所で洗い物をしてくれていた妻に、

読んで聞かせたら、特にラストの解釈で、

「ぞっとしたっ」と言っていた。



以下引用させていただきます。(ネタバレを含みます)




********************************




■宇宙戦争Add Star
matterhorn2005-07-04

 予告編やCMスポットと本編との枠組みがあまりにも食い違っている、という『スチームボーイ』以来の不幸な例として盛り上がっているのがスピルバーグの『宇宙戦争』で、「そのとき父は愛する家族を守ろうと思った」というCMのナレーションは確かに間違ってはいないけれど、その後に「しかし・・・」と続けるべき部分こそが映画では重要なのであって、トム・クルーズが家族とか地球を守る映画だなんて思って観に行くと、『スチームボーイ』を科学批判のヒューマンアドベンチャーだと思って観に行くくらいその落差に戸惑う。スピルバーグも大友克洋もけっしてそんなお茶の間サイズの人じゃない。むしろダコタ・ファニングのひきつけを起こしそうな表情目当てで劇場に行った人だけ正解にたどり着けたというなんとも痛快な映画だった。

 『宇宙戦争』は明瞭に「911以降」の映画で、道に落ちたビデオカメラのモニターに映った映像のカットによって惨劇が開始されるという演出が、なによりこの映画がスピルバーグ流の「911への宣戦布告」であることを物語っている。テロ以降のパニック映画にとってどんな先行映画より意識すべきなのは、間違いなくあの崩れ落ちる貿易センタービルの映像であって、あの映像に勝負し、あの映像を乗り越えるという覚悟がなければパニック映画なんて撮ってはいけないのだ。スピルバーグは道に落ちたビデオカメラのモニターから視線を転じ、そのフレームの外の強度を容赦なく描こうとする。そこにはくだらない言説に彩られた物語の誘惑とか解釈なんかが入り込む余地のない陰惨極まる強度そのものだ。物語や解釈に頼っていては、あの「911映像」を強化しこそすれ、けっして乗り越えることなど出来ない。パニック映画に課された使命は、そんな文芸作品の甘っちょろい感傷ではなく、それ以上の恐怖と陰惨さを描くことで「911」をすら忘却させることに他ならない。


■最悪の現実と最高のトム・クルーズAdd Star
matterhorn2005-07-04

 「自分より頑張っている人に頑張れなんて言えないよ」とは映画『耳をすませば』で主人公の雫が友人に漏らす一言だが、この映画のトム・クルーズを観ながら思うのは、やっぱりこの一言である。どこかにたどり着くべき正解があって、その希望の光射す方向に近づき、また遠ざかる様にハラハラするのが、スリリングの鉄則だとすれば、この映画には最後の最後まで「到達すべき正解」を予感させる情報が主人公にも、また観客にも与えられない。つまり観客である僕らは画面の中で逃げ惑う彼らの正解をスクリーンの外において知りつつ「頑張れ」と呼び掛けうる傲慢な見物人ではなく、どうすれば彼らが助かり幸福になるのか、なんら有効な手助けを与えてやる事が出来ない無力な傍観者であることを強いられるのだ。

 そこでは、息子と離れてしまうことが良かったのかどうか、船に乗ってボストンへ向かうことが良かったのかどうか、確実にその是非を判断すべき材料が一向に与えられぬまま、観客はただ生の方向に突き進むトム・クルーズの締まりのない引きつった表情を眺めるしかない。そのような絶望的な状況下においてトム・クルーズの表情の締まりのなさは否応無く「自分より頑張っている者」としての崇高な輝きを帯び始める。惨殺の現場からほとんど唯一のように逃げ延びることに成功し、火だるまになった電車がゴーっと通り過ぎるのをただ眺めるしか無いとき、そんな彼を眺める僕らの精神は彼の半開きの口元に限りなく近づいていることに気づく。諦めて居直る事でも、無闇に希望を持つことでもなく、ただテンパるしかないことで特権的にトム・クルーズは、観客である僕らと「主人公/観客」の関係を取り結びうるのだ。そこには最悪の現実を介して築かれたトム・クルーズと観客との最高の関係がある。


■ああ無情なるエンディング(ネタバレ含)Add Star
matterhorn2005-07-04

 取ってつけたようなナレーションによる説明で始まった映画は、取ってつけたような解説で終わる。もしこのオチや解説が物語の放棄に思えるとしたら、逆にそういう人間は幸福だと思う。この映画における惨劇は最初から最後までほぼ一貫して曇り空の元で展開する。それは、晴天のもと行われた『ガメラ』でのギャオスとの戦いより、吹雪の中行われた『ガメラ2』におけるレギオンとの戦いがどれだけ真に迫る強度をたたえていたかを理解した上での怪獣映画史的教訓が踏襲された演出のようにも思える。しかし、物語のラストシーン。それまでの曇天と一転して空があまりにも不自然に晴れ渡っていたのは何故か? そして辿り着いたボストンの妻の実家が、あまりにも美しく一切の破壊を許していなかったのは何故か。そして何より、生き別れて火の海に消えた息子がほとんど無傷で彼の到着を出迎えたのは・・・。

 そう考えた時、あのエンディングを素直に現実であると考え、その伏線の無さやあっけなさに杓子定規な憤慨を覚える人間は、あのラストがたたえる不穏なまでの不気味さを軒並み無視することが出来るあまりに幸福な人間だと云えるだろう。あそこが天国であり、既に死んでしまった妻の家族と息子が、トムと娘を迎えに玄関まで来ているように見えてしまうのは、けっして悲観的すぎる解釈ではあるまい。あの時、トムが玄関から離れて家族を見ていたのは、トムが既に人を殺してしまって素直に天国に行けなかったからではないのか? そして娘は父よりも先に死に、父親は未だトライポッドの籠中あるいは赤茶けた荒野で生死の境を彷徨っているからでは? 妻が放つ「ありがとう」の一言は、無事娘を送り届けたことではなくて、自らの殺人や飛行機事故やトライポッドによる惨劇を最後まで見せようとしなかったトムの父親としての心遣いに対して向けられたものだったのではないか。

 ハリウッドは勿論それが夢オチであることをバラさないけれど、僕は映画を見終わった後、しばらく口がきけなかったのだ。あまりに凄いものを見てしまった気がして。と、書いてる今でも思い出しながら少し震えが来るほどだ。解釈は如何様にも出来ると思う。例えばあのトライポッドを国家とか権力とかのメタファーで読むことも出来るし、圧倒的な敵を前にした人間という繋がりで太平洋戦争時の日本人を思い起こしても良いと思う。でもそれは完全な後付けのものであって、見ている最中は只ホントに怖くて悲しくてやるせなくて仕方がなかったのだ。これほど「強い映画」はそうそうないんじゃないか、と断言してみたい。





********************************





たしかに、ラスト、不自然なほど空は晴れていた

たしかに、ボストンの街は、不自然なほど破壊されていなかった。

たしかに、ボストンの妻や、家族は、みんな無事で、

途中、戦火の中、はぐれた息子は、なぜか都合良く、

先に、ボストンの家にいた。

そして、トムクルーズのお父さんは、離れたところから、

ボストンの家族を呆然と見ていた。



そうか、死んでいるからなのか。


青い空は、天国の予告なんだ。







スピルバーグは、やっぱり暗い。

AIもやりきれなかったし、

グレムリンも、オーブンに入れちゃうし。。




そして、われわれは、

曇った空のしたで、正解もわからず、突き進むのものなんだな。

あのわけのわからなくなった「輝く」トムクルーズみたいに。



スピルバーグは、おそらく、暗いのではなくて、

リアルなんだろうな。



「宇宙戦争」。

火だるまになって、踏切を通りすぎる列車の映像と、

ティムロビンスの、

「目をみひらいて、頭をフル回転させた奴だけが生き残れる」

っていうセリフと、

どうしようもない、ヒーローではないトムクルーズが

とてもよかった。


すくなくとも、わたしの現実には、届いた。


生きているということは、曇り空の下にいることで、

正解の見つけづらいもので、

安易な青空や、安易な再会は、死、なんだ。


スピ先生。よくわかりました。がんばります。
by ayu_cafe | 2011-01-23 00:39 | ayuCafe 映画 Bar | Trackback | Comments(0)

なかったかもしれない生。

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ある朝、里親さん探しサイトをやっていらっしゃる女性の方が、海岸を散歩していたら、

海岸で、何かに襲われて亡くなっている何匹かの子猫を見つけました。

よくみると、袋か箱かなにかの奥に、

生きている子猫がもう一匹。

女性の方が、保護して、ネットで飼い主を募集。

妻が、その写真を見つけて、ひとめぼれ。

うちにやってきました。



クリスマスにうちに来たので、もみ、と名前をつけました。



もみは、よそのひとがいないと、内弁慶炸裂。

私は、追いかけられたり、手をかまれたり、

足をはがいじめされたり。

でも、こわがりで、大きな音が苦手。

宅配屋さんが来ても、すぐに奥にひっこみます。




たぶん、極端なほどの臆病な性格のせいで、

もみは、生きのこることができたのかもしれません。



箱かふくろの奥に逃げ込んで、

もみは、兄弟たちが亡くなるところを見ていたのでしょうか。






ともあれ、今日も生命は、ふあふあで、ふかふかです。



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12月のもみの誕生日(来た日を誕生日にしました。)には、

父が、ウクレレで、もみのために、

happy birthdayを弾いてくれました。



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毎年、もみを保護してくれた女性の方には、

妻が、もみの写真をレイアウトした、

その方用の年賀状をつくり、お送りしています。








なかったかもしれない生。

なかったかもしれない今日。

なかったかもしれない明日。





かくいうわたしもいままで、

わりといろんなことがありました。



どこか空の上のほうで、誰かが、われわれの

運命のなりゆきとかを眺めているんでしょうか。



だとすれは、

上を向いて言っとかないといけません。



「まだまだ生きてるぜ☆」
by ayu_cafe | 2011-01-21 03:53 | non category | Trackback | Comments(6)

melencolia. マリアエレナ

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マリアエレナ


おはよう また会えた

夏のきれいな朝に

まっさらに残ってる

大切なものだけが



夕映えの裏側で 

声をひそめたことも

風に揺れるオーロラの

七色のきぬずれも



マリアエレナ 水のさざめき

マリアエレナ 海のめざめ






おはよう 鳴り止んだ

虫の音をひきついで

眠り込む世界中が 

やすらかであるように



美しくて とてもいいものが 

まっている 光る雨の向こう

からだだけ ちょうど それだけの

夢をつかいはたそう



マリアエレナ 水のさざめき

マリアエレナ 海のめざめ








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バンドでやってた曲の詩を
また、恥ずかしげもなくアップ。。


ああ、南米のパブロ・ネルーダや、
南ヨーロッパのガルシア・ロルカ、
サルバトーレクアジーモトみたいな
詩が書きたい。。
by ayu_cafe | 2011-01-19 07:49 | Trackback | Comments(0)

美しいうね。美しい仕事。 *土をつくる1*

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1月のある休日。

庭の手伝いをしました。


上のうねは、菜園の土をつくってるところ。

以前、土はつくるもの、と書きましたが、

まさに、その仕込みをこの季節にやります。



これだけのうねを掘ると、

あせびっしょりになります。


非常に腰の入った仕事だと思います。


カンナ屑が、大工を育てる。

という名コピーがありますが、

うねが、育てますね。

毎回、父の掘るうねは、凄みがあって

ひそかに見とれます。


ちなみに上手いデザイナーの文字組み、
知識と経験と配慮に富んだライターの文字校正も見とれます。

腰の入った仕事。







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庭の枯れ葉を集めて、袋に入れて、うねに入れます。

どうしてこの季節か。

枯れ葉が、ほんとに、カサッカサに乾くんです。(湘南では、この季節に。)

で、集めやすいのと、多くをうねに入れやすいので。



この枯れ葉をあつめるときの、感触、

まるで、重みのない、カサッカサの枯れ葉の音、

これは、雪を踏む音や、海の波の音みたいに、

かなり心地よくてやられます。エレクトロニカ。



枯葉というのは、その軽さ、色、音、造形、もろさ

とても惹かれます。




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と、惹かれてても、作業が進まないので、

枯れ葉をこの袋に入れて、

どんどんうねに、入れて行きます。


菜園のうね、は、いま、三つあるので、

結局、20杯(袋)くらい入れました。




ちなみに、ふくろは、父が

きっちり補強しています。(北の国から的スピリッツ)


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どさっと放り込んだ枯葉を踏み固めます。

↓(現在、耳の治療法を模索中の)父。(北の国から的ビジュアル)

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この踏み固め方も、かなりの腰の入った仕事で、

びっくりします。

若造はかなわない。



こんな感じで放り込んだ枯葉を。。。

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ここまで、びしっと踏み固めます。

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ローラーをかけたみたい。リスペクト。




他のうねも、ローラーのごとく、ふみかため。

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この上に、肥料、EM菌、土を重ねて行きます。

今日は、枯葉をしくところまで。



最後に、まわりの土に水をかけます。

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こうすることにより、翌朝、この水が冷えて、

凍り、霜柱になったりして、土に凍った分の隙間ができ、

土が細かくなります。


土が細かくなることによって、

野菜などを植えた時、根が生えやすくなります。


つまり、水が凍り、土をほぐしてくれる。


朝の凍える寒さ、さえ、美味しい野菜のための恩恵なんですね。



水をかけ終え、ひとまずの作業が終わったうね。

美しい。

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きちんとした仕事は、どんなものでも美しい。







6月には、このような状態になり、
トマト、かぼちゃ、きゅうり、ゴウヤなどがわさわさ実ります。

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絶望してる場合ではありません。









ひと仕事後、冬の庭散策。



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冬の陽が射す水仙の茎は、ほんとうにきれい。




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ずっと介護していたシクラメンの花が咲いた。
土も入れ替えました。



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鳥になにかあげるときは、この籠に。

鳥達、朝から、待ってるときがあります。



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福寿草が出てきた。

これをふまないように、枯葉を集めました。





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梅が咲いた。







冬の色彩の恵み、玄関のシクラメン。

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そして、エリカの花。

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鋭く冷たい空気の中の植物の美しさ。
by ayu_cafe | 2011-01-17 00:12 | 土をつくる。 | Trackback | Comments(2)

「婆ちゃんの背広に謝れ。背広にくにしょってるんだ。謝れ。嫌(や)んだば殺せ。」*奇跡の復刻「俺節」*

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「あや...まれ...
婆ちゃんの背広...に謝れ...
オラァ...背広に故郷(くに)しょってるんだ...
離さないべしゃ!!
二度と婆ちゃんに顔合わせらんねべっしゃ!!
謝れっ!!嫌(や)んだば殺せ」





「ねえ...あなた、歌、歌ってくれるか?
あなたの歌...
故郷(クニ)の海な、想い出す。
いい歌な。」





「一粒のお米だって、ただじゃないのよ。」





「確かに、声、節回し、感情移入...
どれも申し分なかった。

まだ若いようだが、それはそれ...
その齢なりの解釈で、
自分の中の風景を聴かせてくれた。

しかし、若いが故に、
どうしても流しのクセがついちまう。

“悲しい酒”を美空ひばりで歌い、
“なみだ船”を北野波平で歌う...

しかし、それでは、仏をつくって
魂を入れず...


つまり...

きみの風景の中に、きみが居なかったって

ことになるね。


以前は、ただがむしゃらに声を張り上げてるだけだったが、

それはそれで“きみ自身”だったよ。」







「この際、きっぱり言っとくがな!
俺のようなしがねえ演歌師が
教えられることは、たったひとつだ!!

そいつは誇りだ!!

歌と心中できる誇りだ!!

誇りだけでまっすぐ生きられるんだ!!

みちくさ食ってんじゃねえ!!」






***********************




よりによっておしゃれなパルコブックセンターで、

「俺節」と20年ぶりくらいの再会。

よりによって平積みだった。

ついに来たか...「俺節」の時代が。。


大根さんにドラマ化して欲しい。

大谷さんに「俺節」フェスやって欲しい。



コージとオキナワが
間借りしてるみれん横町の大家さんの

バーの名前が、「ダチュラ」っていうところが好き。






背広に故郷(くに)しょってる。


自分の中の風景を聴かせる。


誇りだけでまっすぐ生きられる。
by ayu_cafe | 2011-01-15 18:20 | non category | Trackback | Comments(2)

宇多田ヒカル。祈り。願い。救済の予感。

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宇多田ヒカル。

ヘッドフォンから、脳にダイレクトプラグインしているみたいな
itunesの時代のクリアな音像。

サーバーがダウンしそうな感情量。


この時代の幸運。





彼女の著書から。


※これを、書き写していると、気持ちが落ち着く。




***************************



0〜8才

引っ越し、引っ越し、たくさん引っ越し、空港、飛行機、

飛行機の中楽しい、ハサミ使うのがうまいってほめられて嬉しい。

自分のバースディーパーティーで急に悲しくなって

すみっこに座る、心配されて余計悲しい、大人のいい争い、

大人の会話、大人の笑い声、ママ大好き、ママこわい、

お父さん大好き、お父さん嘘つき、消えたい、

テーブルの下にいると落ち着く。

ママの公演のステージのそでからずっと見ている。

ママ泣いてるみたい、お客さんの方を向いてる、私の方は見ていない。



有名であることは、いやなことにしか思えなかった。

いろいろな目的の人がいつも私達のまわりには、たくさんいて、

私はその人たちが嫌いだった。


お金や人間関係のトラブルが絶えなかった。


親は普通の生活をしていなかったし、激情的で、世間からいつも

異分子扱いされていた。

娘の私からしても、なんて非常識な人たちなんだって

理解に苦しむことが多かった。


夜、寝る前に、「明日から日本に帰ることにした」と告げられ、

クラスメイトにお別れも言えないまま引っ越す、みたいなことが

普通にあった。

そんな親に対して自分の無力さを思い知らされ続けた私は、

おとなしくて頭の良い子に育った。


トランプカードで神経衰弱、パズル、読書、お絵描き、

空想ごっこ、ぬいぐるみと遊ぶのが好きだった。



だんだんくやしい時も悲しい時も、泣かない子になった。

母の前で泣くと、ひどく怒られたから。

悲しくて泣いてるのは私なのに、なぜか彼女の方が

傷ついて、泣いて、私を責めた。

すると私は泣く気が失せた。泣くよりももっと深い悲しみを知った。

彼女に悪気は無いんだ、って分かってしまう自分が、

体の芯からひんやりしていくようで、こわかった。



親の前ではもちろん、人前では決して泣かないことにした。

慣れれば、音を立てずに泣くのは案外簡単だった。

ドアの開け閉の際に音を立てないよう注意するのと同じだった。



9才の時、怒りとか不満といった感情が完全になくなっていることに気づいた。


外界になにも求めなくなっていた。
(わたしの求める救済はそこにはないんじゃないかな・・・。)


そう感じはじめると、外界の出来事にいちいち心を振り回されるのは、

時間とエネルギーの無駄にしか思えなかった。

「間違っている」と感じる他人の行動や世界のあり方を、

理解しようとするのをやめた。「どうして?」なんて問うことは、

無意味に思えた。外の世界のことは、ただ「知る」だけでよかった。



自分の内側の世界のほうが大事だった。

そこには、自由があった。想像と思考は無限で、最強だと思った。


うちに秘めた想いには、神聖なものが宿るようだった。



「諦め」という屍を苗床に、「願い」と「祈り」という雑草が、

どんどん私の心を覆い尽くしていった。

絶望が深くなればなるほど、この雑草もたくましさを増すようで、

摘んでも摘んでもまた生えてくる、やっかいなものだった。



でも、「願うこと」「祈ること」は、「求めること」と決定的に違う。

それは、「希望」と「期待」の違い。

それに、願いと祈りをなくしたら私になにが残るだろう。

人ではいられなくなるだろう。


ならば雑草よ、好き放題に生えるがいいっ!


8才までに形勢された、私の基本姿勢です。



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10代の始まり


安心は他人に与えられるモノじゃない。

種が実を結ぶまでゆっくり、大切に育んで、

自分で自分に分け与えるモノだったのか〜。ふー。

浅瀬で溺れてたんだな私。


それに気づくまでの過去の出来事全てに

かたっぱしから感謝した。

世界の全てが有り難い、尊い。

私も世界の一部。だから安心。

窓を開けて爽やかな風を肌に感じてるみたい。

いつまでもこの窓は開けておこう。

いつも、この風を感じていたい。



そんな雰囲気ではじまった10代。


25才の今は、もう内と外を区別していない。

どこにも家はない。

私が私の家。

世界が私の家。




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最初の2年


もやもやを振り払うたったひとつの方法は、

たとえば、歌を創る、文章を書く、写真を撮る、絵を描く、

といった創作活動なんじゃないか、

それもまた逃避のひとつであるけど、

闇雲にエネルギーを無駄使いするのとは大きく違う。


創作行為って不思議。ただのストレス発散とは違って、

内なるプロセスなのに、自分とは別の、形あるものが残る。


なにかを残すために「創造」するんじゃない。

「作品」は「創造」の副産物に過ぎない。


自分の作品を見てそう思う。




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大学、結婚


今思うと、私は自分のアイデンティティーを、それと真逆の方法で

保ってきたんじゃないかと思う。

「人でありたい」という気持ち以外に、

自分がどういう人か?なんて考えたことがなかった。

いつも全部でありたい、と思って生きてきた。


男であり女であり、赤子であり老人であり若者であり、

子であり母であり、黒くあり白くもあり、無力であり無敵であり、

下品であり上品であり、歌うことが大好きであり大嫌いであり・・・。



両極とされることは個別の円に見えても、見る角度や、それぞれの

円の深さを知ることによって、全ての円が重なり合う

素敵な領域があるような気がしてならなかった。



全部でありたい、という気持ちは、「自分を定義する」ことの逆なのかもしれない。

自己定義は、ただ自己を制約するものを羅列するだけのように思える。

自分はああだこうだと、内と外の境界線をはっきりさせる考え方には

興味がわかない。


むしろ世界の全てと共通したい。



素晴らしい会話に夢中になってる時、どこまでが自分でどこまでが相手か

分からなくなる瞬間がある。

友だちと大爆笑している時、私の一部はもうそこにいない。



世界を自分の「内」と「外」で分別し出すと、

自然からも本能からも離れて行く気がする。

なんでもないと同時になんでもある存在になりたい。

そんな感覚をずっと持ってた。

そんな救済の予感をずっと追っかけてた・・・。



すでに自分はこの世界の一部なのだから、万物と共感、融合することは、

決して自己の喪失ではない。


その帰途に音楽が位置する。


メロディーは、誰かの心の原風景。

懐かしい場所からのメッセージ。

リズムは、死へ向かう生命の行進の音。

歌は祈り、願い、誓い。

音楽は慈悲。


それ以上、音楽の難しいことは知らなくてもいいと思う。





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さっき、久しぶりに、passionのピアノバージョンを聞いた。


「前を向いてれば、また会えますか」


と慈悲深い音楽が鳴っていた。
by ayu_cafe | 2011-01-12 01:49 | non category | Trackback | Comments(8)

家族と日常の力。*石田さんちの大家族2011*

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石田さんちの大家族。

石田さんちの番組が、いわゆる大家族もの、

っぽい感じがしないのは、

あの、お父さんと、お母さんの、なにか

人間的な品性みたいもののせいかなと思う。




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お母さんが、おばあちゃんが認知証との診断結果に、
「それなら、それで」とおばあちゃんちのコンロをIHに変える。


お父さんが、家庭と仕事とどっちが大事ですか、と聞かれ、
「今はこう(仕事の比重が大きい)だけど、
しょうがない、ずっとこうだよ、バランスとれてるひとなんて
いる?」と答える。


お母さんが、思春期の末っ子の暴言を受けとめる、受け流す。
世界で唯一、わがままが言える場所を、という方針を変えない。


お父さんが、「だまっていれば、つけあがるし、
うるさく言えば離れていくし、どうすりゃいんだよ」とぽつり。
(これは、妻と大笑いしてしまった、同じこと、夜な夜な言ってるので。)


そして、お父さんが、最後に言う。
「子供に一定以上を言うとただの愚痴になる。
子供がもし失敗してもそれは過程にすぎない。
子供は、いつも、過程。」




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うん、人間的な品性というのは、つまり、

愚痴を言うとか、自分の都合で誰かを悪く言う、責める、

自分だけを守る、ということがない、から、そう思うのかな。


そして、あるものごとに、必要以上に、

ひっぱられすぎない。ところも、そう思うのかも。




だから、部屋がとっちらかっていても気にならない。

精神性というのは、かくも高貴なものか。。




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しかし、こんなもの(番組)が、あったら、

家族もののドラマなんて作りづらいだろうなあ。



作家がつくりたくてもなかなかつくれない、

味わい深いシーンの連続ではないか。




久しぶりに実家に帰ってきた長男が

反抗期の末っ子に、あまりお説教はせず、

スエット姿で、腕相撲して、末っ子をころっと負かす。




四男が、実家に帰ってきて、お父さんに、

髪を切ってもらう。

(昔からやってもらってたし、お父さん、元美容師だし。)


※このシーン、お父さんの手つきもにぶってなくて、
すごくいいシーン。
マイクリーなら、どんな映像にするだろう。




おばあちゃんが、急須のふたに、

ジャーのお湯をそそごうとして、照れ笑いする。



自宅でねころんでいる長男に、一歳の子供が、じゃれて、

長男が足でからかう。



家を出ている長女と飲食店で久しぶりに会い、

話しをしようとするお父さんが、

カメラを気にして、筆談しながら、がんばれよ、と言う。



長女とお父さんの別れ際、

駅のエスカレーターにのってこっちにむかって手をふる

お父さんに、長女が、あぶないよ、と笑う。



彼女が出来た三男が、タロット占いで、マザコンと言われ、

それを、聞いたお母さんが、にやっと笑う。



兄弟がふざけて、すね毛にガムテープをはって

ベリッとはがす。悲鳴と笑い声。





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もちろん、ご両親の品性もあるけど、

そもそも

おばあちゃんのところひとつとっても、

編集が上手い。



家族や日常って、いくらでも、暗くおもく、切り取れる。


でも、そうしない、それを売りにしない。


家族や日常を、じっくり、気丈に、軽やかに、

切り取る。


そして、地に足のついた太い強さが伝わる。

元気がでる。



これは、そういう優れた作品だと思う。



この家族が、この制作チームが、

これから、いろいろなことに試される様子を、

悩み合い、協力し合う様子を、

自分のことと充分に重ねながら、

ずっと見て行けたらいいなと思う。





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by ayu_cafe | 2011-01-11 00:48 | ayuCafe TV Bar | Trackback | Comments(6)

目の前の困難だけが君の現実なの?*音楽のような建築。カサ・バトリョ*

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想像力の範囲をどこに設定する?

現実の範囲をどこに設定する?

世界の範囲をどこに設定する?

希望の範囲をどこに設定する?


目の前の困難だけが君の現実なの?

音楽のような建築が、問いかける。



バルセロナ、カサ・バトリョ。

植物の洗練と豊穣。透明な海の光。

そこにいる間中、愛しか感じなかった。
by ayu_cafe | 2011-01-09 12:27 | ayuCafe 建築 Bar | Trackback | Comments(2)