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クローズリー・デ・リラのタロウ・オカモト。

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とぎれるのが惜しくて、この本を読みながら道を歩いて行った

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パリに行ってからは、フランス語に慣れる意味もあって、
まず小説に取り組んだ。
スタンダールの「赤と黒」が最初に読んだ本だ。
「パルムの僧院」なども面白くて、
徹夜して一気に読んでしまった。
また、アンドレ・マルローの「人間の条件」が出版され、
評判をよんだ。
アトリエからモンパルナッスのキャフェなんかに出て行く途中も、
とぎれるのが惜しくて、この本を読みながら
道を歩いて行ったのを思い出す。





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不思議なもので、自分が求めているときは、
それにこたえてくれるものが自然にわかるものだ。

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哲学書ではニーチェ、キェルケゴール、ヤスパースなど、
実存哲学に熱中した。
当時はまだサルトルはあわられていなかったし、
実存主義という言葉はなかったが、
われわれ若い仲間の間では「実存的存在」という言葉が、
強い連帯の絆になっていたようだ。
不思議なもので、自分が求めているときは、
それにこたえてくれるものが自然にわかるものだ。
それにはかなりたくさん読まなくちゃいけない。





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カンデンスキー、モンドリアン、ドローネーなどと
一週間おきに集まって、芸術論をたたかわせたのも、
「クローズリー・デ・リラ」というキャフェだった。

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ぼくはパリ時代は昼も夜も、ほとんど毎日、
キャフェへ出かけていった。
一杯のコーヒーで何時間ねばってもいい。
そういう店でコーヒーを飲んでいると、必ず誰か友達がやってくる。
すると、お互いに「やあ」「やあ」と挨拶して話し合ったり、
議論したりした。

火花が散るような、生きがいのようなものをずいぶん感じた。
当時のぼくは二十歳そこそこで、若かったが、
そのキャフェで世界の歴史に残るような思想家や芸術家と
毎日のように出会い、対等に話し合った。
それがぼくの青春時代の大きな糧になったことは確かだ。

マックス・エルンストやジャコメッティ、マンレイ、
アンリ・ミショーなどシュール系の画家や詩人、
ソルボンヌの俊鋭な哲学徒だったアラン、
のちに芸術批評の大家になったパトリック・ワルドベルグや、
写真家のブラッサイなんかもモンパルナッスの「ル・ドーム」や、
「クーポール」で毎日顔をあわせる仲間だったし、
カンデンスキー、モンドリアン、ドローネーなどと
一週間おきに集まって、芸術論をたたかわせたのも、
「クローズリー・デ・リラ」というキャフェだった。





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「あさって、興味深い会合があるんだ。
よかったら一緒に行かないか。」

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ぼくの一生を決定したとも言えるジョルジュ・バタイユとの出会いも、
考えてみればキャフェがきっかけだった。
いつものようにル・ドームでパトリック・ワルドベルグと
おしゃべりしていると、マックス・エルンストが
ふらりとあわられた。
ぼくらの席に腰をおろした彼は、コーヒーを注文すると、
ポケットから一枚のちらしを取り出してぼくの前に置いた。
皿の上に切り落とされた豚の頭がのっている絵。
いささか不吉な感じで目を惹いた。

「あさって、興味深い会合があるんだ。
よかったら一緒に行かないか。」

エルンストに誘われて、「コントル・アタック」(反撃)
の集会に参加したのは1963年の冬のことだ。
フランス国内の反動的な国粋主義右翼、また台頭してきた
ヒットラーやムッソリーニの全体主義、一方、ソ連の
スターリン主義の強圧的な官僚制、
それらの右も左もひっくるめた反動に
激しく抗議する会合だった。





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セーヌ河の河岸を入った細い通り、
グラン・ゾーギュスタン街の古い建物。

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セーヌ河の河岸を入った細い通り、
グラン・ゾーギュスタン街の古い建物。
そこの屋根裏にアトリエ風のかなり大きなスペースがあった。
ジャル・ルイ・バローの持ち物で、
後にピカソがそこを使って、あの巨大な「ゲルニカ」を
描いたところだ。

3、40人ぐらい集まったろうか。尖鋭な知識人ばかり。
アンドレ・ブルトンや、サド研究家として有名な
モーリス・エイス等が人間の自由と革命を圧殺する全体主義を
激しく非難する。
やがてジョルジュ・バタイユの演説になった。

決してなめらかな話し方ではない。
どもったり、つかえながら、しかし情熱が
せきにぶつかり、それを乗り越えてほとばしり出るような
激しさで、徹底的に論理を展開してゆく。

ぼくは素手で魂をひっつかまれたように感動した。
会は熱狂的に盛り上がり、みんなの危機感、
そして、情熱がひとつになった。
解散するとき、司会者が緊迫した声で言った。
「みなさん、十分気をつけて帰ってください。
右翼が待ち伏せていて、襲われるかもしれません。」

暗いグラン・ゾーギュスタン街をモンパルナッスの方に
向かってエルンストと肩を並べて歩いた。
一言も口をきかずに。





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コメディ・フランセーズの前のキャフェ・リュック。
あの古めかしい劇場の見える側の席で、
彼は先に来て待っていた。

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それ以来、ぼくはバタイユに対する共感をソルボンヌ
の仲間たちや、心の通う友達に話さずにはいられなかった。
彼の書いたものを貪るように読んだ。
そのうちいつの間にかぼくのことがバタイユに伝わったらしい。
「ぜひ会いたい」というバタイユのメッセージをもらって、
ぼくは心躍る思いで指定の時間にでかけた。
今でもよく覚えている。
コメディ・フランセーズの前のキャフェ・リュック。
あの古めかしい劇場の見える側の席で、
彼は先に来て待っていた。
最初からとてもうちとけた、心を許した雰囲気になった。
ぼくはあの夜の感動を語った。

バタイユは
「今日、すべての体制、状況が
精神的にいかに空しくなっているか」と
あの時と同じように熱っぽくトツトツと憤りをぶちまけた。
そして、「体制に挑む決意をした者同士が結集しなければならない。
力を合わせて、世界を変えるのだ。
われわれは癌のように、痛みを与えずに社会に侵入して、
それをひっくりかえす。無痛の革命だ。」
バタイユの眼は炎をふき出すように輝いていた。





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ちっぽけな安逸。

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その後、ぼくはバタイユを中心に組織された
コレージュ・ド・ソシオロジー・デ・サクレ
(神聖社会学研究会)のメンバーになり、
表の討論に参加すると同時に、ごく限られた同志だけの
秘密結社にも加わった。
その第一歩がこのリュックでの、
長い、突っ込んだ話し合いだったのだ。
あの頃ヨーロッパの情勢はナチスの無気味な拡大、
左翼人民戦線の結社など、
世界対戦を予感させる緊迫した気配だった。

きらびやかに着飾ったマダム、落ち着いた紳士たち、
キャフェのなかはシックで華やかだったけれど、
外には不穏な遠雷がとどろき、次第に迫ってきていた。

今の日本の、つるりと安心しきったような、
みんな自分のちっぽけな安逸だけにはまりきって、
ほかのことは知らない、興味もないと言っている、
こんな時代とは明らかに様相がちがう。

しかしどんな時代のどんな状況のなかだって、
熱っぽく語り合い、問題意識をわけあう仲間が
いた方がいいに決まっている。
また、そういう渦ができるような場があったら、
みんなの為にどんなにいいだろう、と思う。









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岡本太郎さんの著作から抜粋させていただきました。




なにかを笑っているうちに、
なにかを悲しんでいるうちに、
なにかを誤解しているうちに、
なにかを批判しているうちに、
なにかに甘えているうちに、

誰かが真剣に生きている。
冷静に情熱を内燃させて、
自分の景色にわけいってゆく。
by ayu_cafe | 2011-02-28 20:40 | non category | Trackback | Comments(0)

barbara *「あら、あなた、過酷で、つらいのね、それなら、きっと、いい歌が書けるわね」*

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バルバラの11枚組CD BOXを買う。


一曲も聴いたことないけど。


加藤登紀子さんが、歌謡界にデビューしたとき、
歌謡界の作曲家の先生に、
グレコとバルバラのレコードを持っていって、

こんな曲歌いたい

とお願いしたけど、
てんではなしにならなかった。

っていうエピソードが好きだったので、買った。


ジャケットもどれも最高だし。



デビューアルバム。

BARBARAのこの書体。
このデザイン。
どんだけかっこいいデビューアルバムなんだ。。

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うむ、この書体、と文字組、いい。

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いい面構え。いいオレンジ。

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椎名林檎さんに真似してもらいたいビジュアル。

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無表情でも雄弁なデザイン。

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かっこいい。

そして、書体。

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どれも、30センチのLP盤で欲しい。
パリに売ってるのかな。。
やっぱピンクには黒。

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レディガガみたい。
足はこうふんばらないと。

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なんという凛とした意志。なんていいオレンジ。

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ブックレット。

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こんなふうに言われているみたい。



「あら、あなた、過酷で、つらいのね、
それなら、きっと、いい歌が書けるわね」






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by ayu_cafe | 2011-02-10 00:35 | non category | Trackback | Comments(0)

中村ハルコさんの光。そよぐ樹の枝が賛美歌を思い出そうとしながら、くちずさんでいる。

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とても大事な中村ハルコさんの写真をご紹介させてください。


※画像、問題ございましたら削除いたします。



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何年間か前に、まぎさんが
ご紹介されていて、
その時、ちょうど、写真展とliveがあったので、
代官山に見に行きました。


その時は、Daniel Coughlinさんというギターのひとの
liveがあって、後ろにハルコさんの作品や、
未公開のご家族のスナップショットを
スクリーンに写しながら、演奏されていました。


わたしも妻も、このDanielさんの演奏、とても
ひきこまれました。


この方、youtubeや、CDだとどうしても、伝わりきれない
なにかが、生演奏ではありました。
のりだすように聞き入ってしまった。


曲を弾き終えるとき、ギターから指をはなす速度が、
とてもゆっくりで、大事そうで、それが、
彼の音楽のすべてをあらわしているとおもいました。


彼の音楽には、ケルト的な背景のようなものがあって、
とても冷たくて清らか。
それは、ハルコさんの写真にもとても合っているとおもいました。


大きく映し出されるハルコさんの写真の前で、
バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」を
一音一音、確かめるように、弾くのを聞いていた時、

これは、まるで、

そよぐ樹の枝が、
賛美歌を思い出そうとしながら、ぽつりぽつりと
くちずさんでいるみたいだ

とおもいました。


そして、ハルコさんの写真からも、
同じようなことを感じました。






今日は、恵比寿でハナレグミとハルコさんのイベントがあったんだけど、
行けなかった。


ハルコさんは、44歳で他界されています。

わたしが行ったイベントの時、
映し出されるプライベートなご家族のほほえましいスナップショットの
隅に、すべて日付が入っていました。

スナップショットの日付って、いいな、
とはじめて思いました。




写真集「光の音」は、大事な一冊。


その光は、超然とみずみずしくて、
音は響き続けていて、
ハルコさんはいなくて、
わたしは生きている。
日々がどうであれ、
その光と音とずっと一緒にわたしは生きている。




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by ayu_cafe | 2011-02-07 03:14 | non category | Trackback | Comments(2)

人間も、仕事も、日常も、不完全なもの。だから、懸命にやるしかない。*傑作。ハッピーフライト*

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大好きな映画、ハッピーフライト。
さっき、TVでやっていて、また観たら、
いまの自分のどん底の状況下において、
しみてしかたない。



はじめて観たのは、CSで。
最初、まったく期待してなくて、
ああ、なんで、日本の映画の画面って、
深みがないんだろう、なんて思いながら観ていた。


※いまでは、初盤、綾瀬はるかさんたちが乗った、
バスが、羽田に向かう、俯瞰の画面の向こうに、
ANAの尾翼が通りすぎるだけでワクワクする。


それが、終盤、飛行機がほんのわずか、
ぐらっと揺れただけで、うわああ、と動揺してまうほど、
すっかり“同乗”していた。



その後、CSでリピート放送されているのを何度か観て、
監督の最高に面白いインタビューも観て、
さらに、この映画には、短篇のサイドストーリー集があるんだけど、
それも、CSでやっていたので、全部、録画して観た。



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サイドストーリー集がある、ということはどういうことか。

つまり、それだけ、本編の状況と人物の設定、描写が
細かく豊かにされているということ。


監督は、この映画をつくるにあたり、100人近くの
飛行機、空港の関係者に取材したそう。


この映画は、とってつけたような展開や、
びっくりするような事件、善悪の対立、謎解き、みたいなものが
まるでない。
だから、原作や脚本が誰かなんて、(いい意味で)まったく気にならない。


抜群に面白いドキュメンタリーを観ている感じ。


そして、もう、ゆるく“創作”される言葉にも物語にも、
限界のある時代、
うすうす広告をつくるわたしの仕事でも感じているけど、

たぶんすぐれた表現というのは、取材と編集、からもたらされるのではと思う。



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この監督の人物の描き方がとにかく素晴らしい。

あるある、と思ってしまう。



最高なのは、綾瀬はるかさんが、どんどんオーダーされる
乗客のリクエストを、乗客の特徴と一体化させて覚えるところ。

りんごジュースを頼んだ少年に、「りんご小僧」。
ワインを頼んだ男性に、「ほくろワイン」。


ま、実際にそうするかはわからないけど、
遠からず、そうしそうな気がするし
いずれにせよ、この「りんご小僧」っていうフレーズが素晴らしい。

そして、このフレーズ、綾瀬はるかさんの
すこし天然、でも、まじめ、という個性にぴったりで、
キャラクターが爆発的に豊かになっている。



管制官が、差し入れにもらったたくさんの飛行機型のチョコを
ついつい、職業柄、着陸の適正な配置に並べてしまうところもいい。



滑走路の鳥を空砲でおどかす“バードさん”のベンガルさんも
素晴らしい。



上司の時任さんの、最後シリアスな状況の時の
そんときはそんとき、っていうシリアスになりすぎないところ、



寺島しのぶさんが、キレるクレーマーに
ひざをついて、部下の不手際をあやまるところ、

わたしどもの指導の至らぬところでした。
もういちど、彼女にチャンスを与えていただけないでしょうか。



定時離陸を守るため、最終整備を、7分でやれ、
と言われるところ。(効率と品質)



なくした工具を、怒らずにだまって一緒に探すところ。



グランドスタッフが転びながら、バスを追いかけるところ。



そして、なにより、素晴らしいのは、岸辺一徳さんとその人物の描き方。

これは、数ある一徳ヒストリーの中で、最高峰なのでは。

こういうおじさんほんとにいる。
いまいちやる気がなさそうで、最新のPCとか苦手で、
でも、経験があって、本質的で、勘所をつかんでいる。

このひとが、終盤活躍しだすんだけど、いちど、
その読みがはずれる、ところが、抜群にいい。




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そう、この映画の人物は、一見、だれも、かっこよくない。

機長でも、スチュワーデスでも。

誰も、ほんとの正解をわかっていなくて、
軽やかに、正しいことをこなしているひとは誰もいない。

われわれと、われわれの日常と同じように、
かっこわるくて、不完全。

予期せぬ事態に、懸命にとりくむ。

でも、ときに、上手くいかない。

でも、また、懸命にとりくむ。



そうして、丁寧に、初盤から、いくつもの伏線が、
豊かな人物描写とともに、太いひとつのストーリーになっていく。


結果、終盤、
緊急着陸寸前、
滑走路の手前で、機体が突風であおられ、
水平のままぐぐっと向きがすこし変るだけで、
観ているこちらも、ものすごく動揺する。


映画の終盤のアクションの肝が、
機体の向きが変るだけ、っていう飛行機映画って素晴らしい。

それだけ、日常や、感情が積み重ねられている、ということ。
だから、われわれは、実感として、とっくに同乗している。




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この監督は、それ嘘じゃん、と言われるのが
すごく、嫌だったのではないか。

「りんご小僧」と言うか、どうかではなく、

人間は、かっこわるくて、不完全で、

へまもして、

でも、懸命に取り組む。


それを、できるだけ、丁寧描いた。

それが、一番面白いはずだ、という確信のもとに。

人間というものが、かっこわるくて、不完全で、懸命、
だから、面白いんだ、という確信のもとに。




終盤、緊急着陸寸前、

乗客の学生の女の子が、不安になって、綾瀬はるかを見る。

綾瀬はるかが女の子に向かって、笑顔で、
大丈夫、という意味の親指をグーとたてる。



かっこわるくて、不完全な人間がなにかを乗り越えるようとする
から感動する。




そして、飛行機運行という一見、高度に統制されたものですら、
ほんのちいさなことから、予期せぬ事態が生まれたり、
原因や対処策が明確にならないまま、試行錯誤しながら、
時に、経験や勘で対処する、

これは、どの仕事、どの日常とも同じではないか。


人間も、仕事も、日常も、不完全なもの。


この映画は、たぶん、たくさん笑わせながら、そう言っている。



だから、あたりまえすぎる礼節と、あたりまえすぎる確認が、

つまり、懸命さが、必要なんだ。



そして、不完全なものだからこそ、

安易に勝手に理想を思い描き、
その理想と不完全な現実とのギャップに
勝手に絶望するべきではない。

不完全を前提に実直に
すすむしかない。



改めて、そう思う。


自戒を込めて。









※しかし全日空、ここまで入り込んだ
内容のものに、よく、OKだしたなあ。

仕事の誇りを描いていると
理解したのかな。

うん、全日空に男気を、感じる。
by ayu_cafe | 2011-02-06 01:52 | ayuCafe 映画 Bar | Trackback | Comments(0)

人間が不意にそこにいる。*さっきやっていた坂本冬美、すごく上手くなくて、すごく伝わった*

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さっきやっていた坂本冬美、凄かった。

あれ、事件だと思う。


倉本聰さんのプレゼンツの音楽番組。
録っておくね、と妻が録ってくれてた。



地元のホールで、
地元のアクセントで、ふるさとのことを語りながら、
大阪で生まれた女と
また君に恋してるを歌う。

合間に、生まれ育った河原を歩くシーン。

倉本さんが、歌い手さんには、誰にも原風景がある、と話す。


そして、冬美さんの語り。


「19で、ふるさとを離れ、25年。
10年くらいまえに、1年間お休みをいただきました。
お父ちゃんが亡くなってから、いっぱいいっぱいになって。。

帰ってきたら、お母ちゃん、

“ようがんばったなあ、お疲れさんやったで”

とだけ言ってくれました。


その年の暮れ、母と、
レコード大賞や紅白を見ました。

紅白って、みんなで、おこたを囲んで、
みかん食べて、年越しそばをたべて。。

でも、ちいさくなったおかあちゃん
おこたで、ひとりで紅白を見てた。

わたしは、19のときから、歌ばかりで、
兄弟も、もう、それぞれの家庭があり。。

さみしい想いをさせてたんだなあ、と気づきました。

それから、いろいろなことがあって、
導かれるように、歌の道に戻ってまいりました。」



こうはなしている途中から、冬美さん、ずっと
目がうるんでる。


今日の日のために用意した歌を、
といって、
「おかえり、が、おまもり」
という曲を歌い出す。

演奏がはじまる瞬間、演奏をとめる。


深呼吸して、気持ちを落ち着けて、
客席からの声援に、はい。とうなずく。



歌いだす。
ずっと、声がフラットし通しで、震えてる。

19から、猪俣公章さんに弟子入りして、
25年歌い続けてきたプロフェッショナルが、
歌が下手なわけがない。


歌い終わる。

泣くのをこらえていて、しゃべれない。
ひとこと、
いまのうたでよかったんやろか。
と小さな声でいう。


この時、客席が、一瞬、ごくりと息をのむような沈黙があって、
さああっと大きな波のような拍手が舞台に注がれる。


あの一瞬の沈黙、
つまり、普通に泣いてるひとを応援するなら、
間髪をおかず、拍手で応援するはず。


でも、客席は、一瞬息をのんだ。
プロ中のプロの歌に、こんなことが起こるのか、
え?なにこれ?
ああ、でも、すごくよかった。

そういう間と、拍手だった。


そして、わたしも、そう思った。
すごく下手で、すごく伝わった。



フジコヘミングさんが前に言ってた。

「バタバタの、ラ・カンパネルラがあったっていいじゃない。

かまやしないわよ、

機械じゃあるまいしさ。」



厳しく修練をしたひとにだけ許される発言かもしれない。



でも、すべての歌のおおもとは、
すべてのものづくりのおおもとは、
すべてのしごとのおおもとは、
すべてのプロフェッショナルのおおもとは、


“ようがんばったなあ、お疲れさんやったで”だ。


そして、いまのうたでよかったんやろか。
という苦々しい自問自答。


偶然、今日BSでやっていた立川談志の番組で
立川談春さんが、

師匠は、揺らぐんです、とくに情の部分で。

と言っていた。



揺らぐ。

不意に見たTVで、それは、ふいに激しく揺らぐ。

25年の修練を、技術を、プライドを、ぐわっと揺るがす。

人間が不意にそこにいる。
息をのむ。
by ayu_cafe | 2011-02-02 01:16 | non category | Trackback | Comments(2)