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奄美大島に行ってきました。

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奄美大島に行ってきた。

奄美は、美しい珊瑚礁に囲まれ、深い山がおりなし、
特別天然記念物の宝庫。

ブランドのショッピングモールも、
巨大なリゾートホテルも、ない。

太古の風景、金作原原生林、マングローブが広がり、
ルリカケスや、アマミのクロウサギをはじめとする
ここにしかいない多数の固有種が、豊かな山中で息づいている。

そのむかし、この島を訪れた、外国の宣教師達は、
美しいこの島を、サンタマリア島と呼んだ。

小さな島に、教会の数は30を越える。

焼き払われても、弾圧されても、教会は、再建され続けた。

島唄は、沖縄ではなく、本来、奄美のうたのこと。
シマ、は、島ではなく、集落を差す。
集落ごとに独自の島唄がある。
奄美の島唄の音階は、沖縄音階とは明からに異なる。

大島紬は、千年以上の歴史があり、
非常に複雑な美しい織物。
奄美の泥にひたすと、美しい光沢を身につける。
制作行程の中で、泥につけるのは、80回。
すべての行程は、500を越える。



アコウの樹には、ケンムンという子供の妖怪がいる。



あちこちにある岬の岩は、
立神と呼ばれ、海の理想郷ネリヤカネヤから
やってきた神様が、そこに手をつき
島にのぼってくる、と言われている。



田中一村は、奄美で、誰にも描けない絵を描いた。

島尾敏雄は、奄美で、戦時中、特攻隊の隊長として、
出撃命令を待つ極限下で、奄美の教師、大平ミホと恋に落ちた。
出撃命令の直前に終戦となり、
作家になった彼は、日本文学の最高傑作ともいわれる「死の棘」を書きあげる。
「死の棘」は、小栗康平が映像化して、カンヌで
パルムドールに次ぐ審査員グランプリを獲った。

奄美の空港の出発ラウンジには、
異常な数の奄美の本が売っている。
すべての本が、一言、「奄美について語りつくせない」と言っている。

本棚の島尾敏雄の本のとなりに、
孫であるしまおまほの新刊が、よりそうように並んでいた。






讃美歌と島唄。珊瑚礁と原生林。
田中一村と島尾敏雄。マングローブとルリカケス。
大島紬とネリヤカネヤ。
世界の他のどこにもない静かな島。
by ayu_cafe | 2011-10-27 06:27 | 奄美 | Trackback | Comments(6)

いつか、こんなじじいになれるように、たくさん失敗しよう。

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古波蔵 保好。
1910 - 2001
by ayu_cafe | 2011-10-25 09:14 | Trackback | Comments(0)

奄美。田中一村。閻魔大王への手土産。

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千葉美へ雨の中、田中一村展を見に行った。
山梨の叔母も、クルマで山梨から見にいっていた。

ポストカードは、ほぼ完売で、
図録は、後日郵送、と言われた。


あの、奄美の絵が林立した最後の展示室。


思い出すだけで鳥肌がたつ。



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最後の展示室に、たまたま、絵と、わたしだけになった時があって、

異様なものに包まれている感じがした。






題材、も、もちろん異質だが、

わたしがなにより感じたのは、

つきぬけた構図の素晴らしさと
繊細さとダイナミズム。


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構図が優れていれば、つまり、
グッズ映えする。

(広告も、キーアイコンは、小さなツールにしてみて
はじめて威力がわかる。)

逆に言うと、グッズ映えするものは、
構図が優れている。


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巨大なポスターを買ってもって帰った。

巨大すぎて電車で持って帰るのに難儀した。


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こんな凄い、絵、持って帰るのに難儀するくらいで
ちょうどいい。

この絵、『不喰芋と蘇鉄(クワズイモとソテツ)』は、

島の聖地といわれる、風葬の場所である、洞窟で描いた。



中央画壇には、ついに受け入れられず、無名のまま、
奄美に惹かれ、すみつき、果敢にスケッチを重ね、
もう、中央画壇への執着を終わりにして、
自分のための自分の絵を
追求して追求して追求して追求して追求して追求して、

ついにこの絵を描いた。


画面に円を描くように咲く不喰芋の花は、
いちどにこのようには咲かない。
季節のうつりかわりの観察によって
生命のはじまりからおわりまでが描かれている。

左下と右横の蘇鉄が女性だとすると、
不喰芋は、男性か。とても官能的。

そして、画面中央奥には、

奄美で、立神と呼ばれる神聖な岩が見える。


奄美の信仰では、理想郷ネリヤカナヤから、
やってくる神様が、この岩に手をついて、
島にのぼってくるとされている。


神を中心とした生命のダイナミズム。
気持ちが動揺してやまない生々しい宗教画。


この絵を、誰にも知られず、誰にも評価されず、
田中一村は描ききった。



かれは、ひとことこう言っている。


「この絵は、百万円出されても売ることはできません。

この絵は、閻魔大王への手土産なのです。」







そこが、地獄だろうが天国だろうが、
これが、おれだ、おれは、これをやった、
というのものを、携えた彼は、どこも、誰も、怖くなかっただろう。


煮るでも、焼くでもしてくれよ、
おれは、これをやりとげたから、充分だぜ。


そういって、「手土産」をかかげて、
彼は、地獄の閻魔大王に笑いかけただろう。





絵を見ていると、彼のつぶやきが聞こえる。


「きみは、そういうこれがおれだ、という「手土産」をもっているか。
作品でも、仕事でも、平穏な家族との日常でもいいと思うが。

あまりにも、あやうく、いつ終わるかわからないその生命を

燃やしているか。

おれは、やったぜ。見ただろ、やりきったぜ。

評価なんかされなかったけどな。

おれのシマからきみの健闘を祈るよ。」
by ayu_cafe | 2011-10-17 22:58 | 奄美 | Trackback | Comments(4)

青い瞳のステラ

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赤いキャンディ 包んでくれたのは
古い Newspaper
白いペンキ 何度も塗りかえす
夏の風の中で…
今頃 故郷(くに)のテネシーあたり
刈り入れ時さと カタコト交りで
バルコニーから 覗くあんたは
ブロンドさえも 色褪せていた

派手な化粧 振り撒くオー・デ・コロン
自慢の胸のペンダント
俺の髪を撫でまわしながら
開けてみせた写真

もう一度 船に乗る夢ばかり
風邪をひいた日に うわ言のように
好きなブルース かけてた夜は
きまって夜明けに すすり泣いてた

After midnight
哀しみは 永遠(とわ)の眠りについたかい…
After midnight
哀しみは 海を渡って行ったかい…

沖を通る 貨物船ながめ
テネシーワルツ 歌おう
上手いもんさ あんたに教わった
ちょっとイカシタ ステップ

ほめてくれよ しゃがれた声で
芝生の下で 眠っていずに
ほめてくれよ Blue eyes 細めて
芝生の下で 眠っていずに












***************************




この曲を聴いていて、いろいろとあらわれる風景と色彩がとても好き。


青い瞳、というタイトルから、
海のようなブルーがひろがり、


出だし、「赤いキャンディー」とはじまるところは、
クローズアップではじまる映画の印象的なはじまりみたい。


曲は、すぐに、赤から、「白いペンキ」へ。

夏の風の中の塗り立ての白いペンキがまぶしい。


テネシーの刈り入れ時の小麦色の農場が広がり、

色あせたブロンドの髪のひとに、髪をなでまわされる。



「故郷(くに)のテネシーあたり」って
フレーズ、すごくいい。



「沖を通る 貨物船」が、キラキラとした湾を

ゆっくりすぎてゆくのが見えて、


最後に芝生の鮮やかな緑がひろがる。




感情よりも、風景とできごとで

すすむ詩というのがすごく好きで、

この曲の作者の丁寧なカメラワークと

豊かな色彩の編集には、

惚れ惚れする。





だけど、

この曲のすべては、「赤い」の歌い出しにあるような気がする。
「あかい」のジョーちゃんの歌い出し、なぜか、
ほんとうに、胸をしめつけられて、物語にひきこまれる。





こどものころ、この曲のTVCMスポットを見たことがある。

こんな内容のうたが、ヒットする豊かな時代があったんだな、と思う。





ダウンタウンの歌番組で、哲学者みたいなメガネをかけて

ストラトキャスターをバーストさせるみたいに、

ギターソロを弾いてたのは、ものすごくかっこよかった。
by ayu_cafe | 2011-10-13 22:55 | Trackback | Comments(0)

「暫定基準を下回っているから安全宣言を出す、などということは、全く間違えている」京都大 小出裕章氏

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こちらから。京都大学原子炉実験所助教、小出裕章氏のインタビュー。
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65769201.html



水野「小出さんこんばんは」

小出「こんばんは」

水野「よろしくお願いします」

小出「よろしくお願いします」

水野「そして東京には近藤さんです」

近藤「よろしくお願いしまーす」

小出「こんばんは。よろしくお願いします」

水野「まず東京のお話から伺います」

小出「はい」

水野「東京の世田谷区の一部の場所で高い放射線量が検出されたようです。これはですね、世田谷区の歩道……、住宅街の歩道なんですが。最大1時間あたり、2.7マイクロシーベルトの放射線量が測定されたという発表がありました。」

小出「はい」

水野「この値。2.7マイクロシーベルト、どうお感じですか」

小出「うん、高いですね……。えー……、普通は0.05くらいしか東京ではないはずですから」

水野「普通は0.05のものが」

小出「50倍ほどですね」

水野「50倍ほどですね。確か福島県飯舘村でも、2マイクロシーベルト以上だったかと。だいたい同レベルだったのではないかと……」

小出「はい。まあ飯舘はもっと高いところもありますけれども。そういう、まあ、本当に嫌だなあと思うくらいの空間線量ですね。はい」

近藤「あのー、小出先生?」

小出「はい」

近藤「あの、新聞もテレビもそうですけれども。あの、いわゆる都道府県レベルでそういう数字出すでしょ? で、東京いくら、千葉いくらって出るじゃないですか」

小出「はい」

近藤「あれみて、みんな安心してるんですよね」

小出「はい」

近藤「あれ、意味があるんですかね?」

小出「え、まあ、基本的な、広い、その、範囲でのです……範囲でのどの程度の汚染かということに役に立つだろうと思いますが。中にはいわゆるホットスポットというようなところが必ずありますし」

水野「それは東京でさえあるんですか?」

小出「もちろんです。はい。そのホットスポットと呼ばれている中、あるいはそうじゃないところでも、えー、例えば雨水がたまっているようなところとか、道路の側溝であるとか。そういうところは必ず高くなっているはずですので。調べれば調べるだけ、空間線量が高いところが出てくると思います。」

近藤「そうですよね」

小出「はい」

近藤「そうすると、東京都が0.0いくらって、こう出るのは、その特定のいつも同じところで、測ってるる数字がいつも出てるわけですか」

小出「そうです。」

水野「そうなんですか」

近藤「そのことの意味、っていう、一種の安全デマみたいな話ですよね」

小出「まあ、そうですね。本当であればもっと細かく測って、例えば、区レベルで測る。そして町内レベルで測る。さらには、町内のどこどこの道路、どこどこの場所というふうに極め細やかに本当は測っていかなければいけません」

近藤「それでね、もう1つ心配なのはこういう具合に世田谷でこういう数字が出たっていったときにね。僕らの意識っていうのはどっかで高止まりしてるんですよ。」

小出「はい」

近藤「それで、もう、もう何でもいいや、驚かないとかね。なんか要するに、そういうこの、ある種のヤケっちゅうんですか?」

小出「はい」

近藤「なんかそういう気分の時に、こういう数字をぽっと出されるでしょ? もっとこう、もっと反応が鋭かった時期あったと思うんですよね」

小出「そうですね……」

近藤「うん……」

小出「私からみると、2.5なんて聞くと、驚きというかですね。常に被曝ということに向き合っている人間ですので、その数値が驚き……未だに驚きですが。多分普通の皆さんが数字だけずらーっと聞いてきた中で言えば、まあずいぶん慣れてしまった数字なんだろうなと思います。」

水野「今回は区民の方が、これ放射線量が高いところがあるようだというふうに訴えて、それで区が測定して、出てきたのが2.7マイクロシーベルトなんですね。」

小出「はい」

水野「これまで、東京都などが測定した中での最高の値は、0.496マイクロシーベルトでした。これに比べても、5倍以上の数値が今回出たようなんですよ。だからこれ、住民の皆さんが訴えなかったら、わからなかったという……5倍以上の数値が出ることがわからなかったということを思うと、本当に住民の方の意識が大切なんじゃないかと思うんですが……」

小出「そうですね。それをはからずも証明してくれたわけですね。え……ただ、私自身まだ、その、今2.57が出たという場所が、」

水野「2.7ですね」

小出「ごめんなさい、2.7……がどういう場所なのかということをまだ知りませんが。例えば雨樋の下のマスのようなところとかですね。あるいは道路の側溝で、とくにその、汚泥が貯まりやすいようなところであれば、多分そういう数値が出るということは不思議でないと思います」

水野「そうなんですか。ってことは、この場所だけではないかも知れないし。世田谷だけの問題ではないかも知れないということですね」

小出「そういう事です。」

水野「ホットスポットは東京にもあるんだとおっしゃいましたが」

小出「はい」

水野「西日本にもホットスポットってありうるんですか?」

小出「まあ原理的にはありうると思いますが、西日本まで飛んできた放射性物質はいずれにしてもかなり薄まってしまっている、はずですので。それのホットスポットがあったとしても、比較的見つけにくいだろうと思います」

水野「はあ……。こんどは横浜のお話に移りますが」

小出「はい」

水野「横浜ではストロンチウムが検出されました。これはどういう場所かと申しますと、横浜市内のマンションの屋上の堆積物からです」

小出「はい」

水野「1キロあたり195ベクレルです。この数値はどうでしょう」

水野「横浜ではストロンチウムが検出されました。これはどういう場所かと申しますと、横浜市内のマンションの屋上の堆積物からです」



小出「えー……、今日私はずうっとマスコミの人にこの問題で追い回されまして。えー、1キログラム195とはじめ聞いたときには、ずいぶん高いなと、思いました。しかしそれがマンションの屋上のいわゆる堆積物がたまっている。多分、まあその……屋上の雨水が流れていって何か泥が溜まるようなところだと、いう事のようでしたので、あ、それならありうるだろうなと、思いました」

水野「ええー……」

小出「それは、ですから今、世田谷で高いところがあったというのと、私からみると同じような原理なんだろうなと、受け止めて、それで聞いたのですが。セシウムの方の汚染度は、1kgあたり1万幾つと、おっしゃったと思います。」

水野「いえ、もっと高い数値も出たっていう情報を私は持っているんですが」

小出「そうですか」

水野「セシウム6万ベクレル以上が同じ堆積物から出たと、いう情報も私は得たんですが」

小出「あの、じゃあ、むしろそれが正しいと思います。要するに何百倍、あるいは1000倍近いというセシウムがそこにあるわけであって。それはやはり福島の原子力発電所から飛んできてしまって。いわゆるまあ、自然環境での濃縮ということが起こったんだと思います。」

水野「ほう……。チェルノブイリでの汚染地域が、4万ベクレル以上っておっしゃいませんでしたっけ?」

小出「えー……、1平方メートルあたり、4万ベクレルを超えるようなところがあれば、日本の法律に照らして、放射線の管理区域にしなければいけないということです。今の場合は1kgあたりと、いう値だと思いますので。ちょっと換算に手間がいりますけれども。えーそれでも1kgあたり6万ベクレルもあるというのであれば、えー、そこは放射線の管理区域にしなければならないような汚染です。でもその、どの程度広がっているのかという問題ですね」

水野「これ調べなきゃいけないですね」

小出「もちろんです」

水野「横浜でのおはなしです。それから……、これ今秋刀魚の美味しい季節なんですけども。サンマの漁業者で作る組合がですね。福島原発100キロ圏内の海域での操業は禁止するというふうに決めました。その理由が、消費者の皆さんに安全安心とはっきりさせるためだと、いうことなんですが。これ科学的な数値が伝わってきていないんですよ。」

小出「はい。そうですね」

水野「ええ」

小出「なにがしか、判断するためのデーターがあった筈だと思います……し、それを聞かせていただければ私としても何かアドバイスができるとおもうのですが。今の段階ではコメントを差し控えたいと思います。」

水野「ただこれ、海洋汚染でいいますとね。」

小出「はい」

水野「まず海藻に、濃縮されるとおっしゃいましたし。貝もだとおっしゃっていました。で、魚は、回流するから最後ですよっておっしゃったと思うんです」

小出「そうです」

水野「その、魚であるサンマが問題になるような時期なんですか?」

小出「まあ丁度、サンマの季節ですから、たくさんその、獲りたいはずなんですね。えー、でも、もしそれが少しでも汚染していると分かれば、多分全部が売れなくなってしまうというそういう危機感が漁業者の方にあった、のではないでしょうか。まあ、福島原発の100キロの海域を除いて獲ったと、言えば、少しは、消費者に受け入れてもらえるのかなというそういう、ことを考えたのかと思いますが。何よりも本当であれば、データーを示していただくのがいいと私は思います」

水野「そうですねえ。ええ、国もまずここのデーターは、これ調べて開示すべきですよね」

小出「はい。」

水野「今のところそれは出ておりません。それから、次々伺ってなんですけど、今度お米のおはなしもございます。」

小出「はい」

水野「福島県のお米、はですね。今回放射性物質の検査で、規制値、1キロあたり500ベクレルという数字を政府は挙げてますが。」

小出「はい」

水野「これには、どれも、当たらなかったので、全県で、福島県全県のお米全て出荷が可能であると、いうことになりました。」

小出「はい」

水野「で、福島県知事さんは、米の安全性が確認された、というふうに安全宣言をなさったんです。」

小出「はい」

水野「これについて、どんなご感想でしょう」

小出「間違えています」

水野「はい……」

小出「え……。放射能の安全などというものは、ありません。安全宣言を出すなんてことはやっては、いけない、のです。仮に1kgあたり500ベクレルを下回っていたとしても、もちろん危険はあるのです。499かも知れないし400かも知れないし100かも知れないし、10かも知れない。それでも安全なのではないのです。どこまで比較の問題で、どこまで危険があるかというだけなのであって。国が決めた暫定基準を下回っているから安全宣言を出す、などということは、科学の基準に従えば全く間違えている、と思います。」

水野「これあの、規制値500ベクレルとの、比較っていうことはみんな気にするんですけれども」

小出「はい」

水野「もともと3月11日以前は、どれだけだったかということが、いつも抜けて話されていると、思うんですね。」

小出「そうですね」

水野「お米って普通どれくらいでした?」

小出「1kgあたり、1ベクレル、あるかないかです。」

水野「はあー……。で、500ベクレルとしただけで、もうすでに500倍以上のものを許容しろというのが政府の見解なのですね」
小出「そうですね。それより下であれば、もうなんにもデータを示す必要もないと。もう、後はお前ら勝手にしろというふうに国は言ってるわけですね。」

水野「うん……。でですね、チェルノブイリの原発事故による放射能の影響をしらべている、ベラルーシの専門家が来日しまして。」

小出「はい」

水野「日本記者クラブで記者会見したんですが」

小出「はい」

水野「そのかたは、こんなことを言ってはります。『日本政府が設定した食品の暫定規制値は、高すぎる』と。」

小出「はい」

水野「『日本の数値は驚きで、全く理解出来ない』と、おっしゃったようです」

小出「はい」

水野「これは小出さんの意見と合致するもんなんですかねえ」

小出「(笑)。ベラルーシの基準は日本に比べると、遥かに厳しいですから、そういう指摘は正当だと私は……」

水野「すいません。ベラルーシの方が、チェルノブイリに近いところのほうが、日本よりずっと厳しい規制値を持ってるんですか」

小出「そうです。」

水野「はあ……」

小出「ただし、どこまで規制値を決めようと、危険はあるのです。ベラルーシの規制値が安全だというわけではありません。問題はどこまでを我慢して受け入れざるを得ないか、ということですし。私としては何よりも大切なのは、どの食べ物がどれだけ汚れているかということを、正確に知らせることだと、思っています。えー……、ベラルーシの基準が低いということはもちろん賛成ですけれども。低い、低い基準値を下回っているから安全だというのであれば、またそれも間違えていますので。なによりも正確に情報を知らせるということに力を注いで欲しいです」

水野「食品については具体的な数値が出されないまま、様々なことが進んでいるように見えます」

小出「そうです」

水野「どうもありがとうございました」

小出「ありがとうございました」

水野「京都大学原子炉実験所助教、小出裕章先生にうかがいました」
by ayu_cafe | 2011-10-13 20:48 | Trackback | Comments(0)

世の中のふりを見て、我がふりを正す。 *現状認識と、 課題の発見と、 課題への対策*

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どうして、
こんなに世田谷区だけ
こんなに詳細に報道するのか。

なぜ、横浜のストロンチウムの
現場から中継しないのか。

保坂さんをつぶしたいからか。

なぜ、そもそも

すでに、4京3,200兆ベクレルが
東京電力福島第一原発から
放出されていて、
1.5京ベクレルが海洋に
流れ出ている

ことを連呼しないのか。

※京は兆の1万倍。






以下、昨日から今日にかけての
ツイッターのタイムラインから。




世田谷区の放射線量、

極めて高い
4.699マイクロシーベルト
を測定。


緊急に除染し、
その後
2.7マイクロシーベルトに。

それでも、

これまでの東京都の最高値が0.496マイクロシーベルトなので、
異常に高い数値。


横浜では、猛毒のストロンチウム90を三カ所から検出。


福島第1原発から100キロ圏外で検出されるのは初めて。


ストロンチウム90はウラン核分裂によって生成する放射性物質で、
半減期は約29年。
骨に蓄積しやすく、人体への影響が大きい。

猛毒プルトニウムのさらに300倍も危険だと言われている。



横浜市港北区大倉山の側溝で
4万ベクレル以上の放射性セシウムが、
他に195ベクレルの
放射性ストロンチウムが
検出されたという住民通報も。



新潟県でも3~6万ベクレルの
放射性セシウムを検出する地域も。



福島原発付近の
海水からは、
法令の限度の240倍の
ストロンチウムを検出。





ひとつひとつの情報が
どうかという以前に、

なぜ、わかりやすく
アナウンスしないのか。

重大な危険の可能性が
あるならば、

その物質がどんな物質で、
どんな根拠の基準値をどれだけ超えていて、
どんなリスクと対策が
必要なのか、

どうして、言わないのか。



偉そうに言える身分では、まったくないけど、
わたしがこっそり考える
広告の基本は、


現状認識と、

課題の発見と、

課題への対策。


端的な企画書にまとめれば、
A4のペラ一枚にまとめられる。


たぶん、人間関係も
国のトラブルも
全部これで、対処できる。

やるべきことを冷静に。

過剰に不安がる、
過剰に憤る、
過剰に悲しむ、のは、

解決が遠のく。




地方自治体は、まず
このA4のペラ一枚、
配布してくれればいいのに。


世の中も、このA4のペラ一枚の
整理をすればいいのに。

各論にめくじらをたてて、
怒ったり、不安がったりするまえに。






と、ここまで書いていて、ふと、

放射能の件だけでなく、

日々、

各論にめくじらをたてて、
怒ったり、不安がったり

してるのは、自分だと気づいた。てへ。

自分の今の困難にも、この

現状認識と、
課題の発見と、
課題への対策

を適応すればいいのか。。


世の中のふりを見て、我がふりを正さねば。








ちなみに、


現状認識と、

課題の発見と、

課題への対策。

の中でいちばん
重要で、難しいのは、実は、

現状認識。

これは、冷静な情報収集と
審査眼が必要。

だけど危機的な状況なら、
誰でも自然と見えてくる。













こちらから転載させて
いただきます。

http://darknessofasia.blogspot.com/2011/09/320015.html?m=1


東日本・関東甲信越のあちこちでチェルノブイリを「超える」放射性物質が次々と発見されている。あまりに「基準値を超えている」と言われ続けて、もう誰も驚かなくなっている。

飛散した放射性物質も大変な量になる。欧州放射線リスク委員会の科学部長バズビー教授は、信じがたい量が放出されているのに事故は過小評価されていると怒っているが、「信じがたい量」というのはどれくらいの量なのか、私たちも少し数字を見てみたい。


43,200,000,000,000,000ベクレル

まず、何度も改めて確認して欲しいのは、以下の数字である。放射性物質の暫定規制値だ。(「ドイツは8ベクレルで徹底制限。日本は500ベクレルで問題ない」)

ドイツの基準
子供 4ベクレルまで
大人 8ベクレルまで

日本の基準
子供 200〜500ベクレル
大人 200〜500ベクレル

日本人は「もう原子力エネルギーはうんざりだ」と6万人規模のデモまで起こしているが、確かにこれはどうにかしろと叫んでもいい数字である。

なぜこのような数字を政府が採用したのかというと、もう日本では4ベクレルだとか8ベクレルだとか言っていると何も食べられない国になってしまっているからだ。

ここではまず「500ベクレル」という数字を覚えておいて欲しい。それを超えると政府は「危険だ」と言っている。

ではバズビー教授が発表している数字を見てみたい。過小評価されていると言われている福島の原発からどれくらいのベクレルが放出されているのだろうか。分かりやすく「0」を羅列して比較してみたい。

福島原発から放出されている放射性物質
1時間 10,000,000,000,000ベクレル
1ヶ月 7,200,000,000,000,000ベクレル
6ヶ月 43,200,000,000,000,000ベクレル

福島原発が爆発してからすでに、43,200,000,000,000,000ベクレルは放出されたというのである。

日本原子力研究開発機構は、さらに海洋への放射能放出総量は以下のような数字になると報告した。これは東京電力が試算していた数字の3倍だということだ。

海に放出された放射性物質
15,000,000,000,000,000ベクレル

もし、あなたがこの数字を見て危機も感じないようであれば、たぶん世の中がよく分かっていないと思うので小学校からやり直した方がいい。

まさか危機感を感じない人がいるのかと思うかもしれないが、もちろんいる。たとえば、原子力安全委員長の班目春樹委員長は「人が魚を食べてもまず問題ない」と言い切っている。

私たちは放射性物質を食物の形で取り込んでいく。本当は子供は4ベクレルでも危険だ。大人でも8ベクレルで危険な状態だ。日本人は突如として500ベクレルまでは大丈夫なことになった。

しかし、放出されている放射性物質の累計が4京3,200兆ベクレルだということだ。

しかも、この数字は固定されたものではない。1時間後に10兆ベクレル増えているのだから。放っておけば消えてなくなるとも思わないで欲しい。それは消えずに累積する。

プルトニウムも3,200,000,000ベクレル

私たちはセシウムやヨウ素などが危険だと聞かされている。しかし、飛散している放射性物質は31種類のものがあって、それらの大部分は「測定する機器がないか用意できないので計測していない」のだという。

事故から半年経っても、まだそんなことを言っているのである。日本はいつから後進国並みになってしまったのだろうか。

本当は飛散しているすべての放射性物質をきちんと測らないと意味がない。しかし、いつまで経っても政府はそれをしようとはしない。

セシウムやヨウ素の限っても信じられない場所で信じられない濃度で出てきている。他の放射性物質も、驚くべき場所で見つかることもあるはずだ。

たとえば、プルトニウムはセシウムやヨウ素に比べると実に無視されてきた放射性物質だが、この放射性物質は半減期が2万4065年の超危険な猛毒物質である。

人間の寿命を80年だとすると、あなたが300回生まれ変わっても、まだ日本の大地には放射能がそのままの形で残っているということになる。

人間の感覚で言うと、すでに日本は永遠に福島の汚染から逃れられないのである。2011年9月の段階で、そのプルトニウムは以下の量が放出されたと言われている。

放出された猛毒プルトニウム
3,200,000,000ベクレル

飯舘村は福島原発から50キロも離れているが、そこから大量のプルトニウムが検出されていることも分かっている。プルトニウムは微粒子となって東京にも飛んできている。

これは「食物から取り込む内部被曝よりも数百倍も危険である」と神戸大学大学院海事科学研究科の山内知也氏は言っている。東京で息をしている人は、みんな他人事ではない話だと思うがどうだろうか。

プルトニウムが猛毒だと言ったが、その猛毒プルトニウムのさらに300倍も危険だと言われているのがストロンチウムだが、これも飛び散っている。

飛び散っている放射性物質

セシウムだの、ヨウ素だの、プルトニウムだの、ストロンチウムだの、私たちにはまったく訳のわからない放射性物質が今でも1時間に10兆ベクレルも飛んでいる。

これからも、聞きなれない妙な放射性物質が莫大に飛んだ、累積していると大騒ぎになっていくだろう。東京電力が2011年8月26日に発表した資料では、飛び散っている放射性物質は以下のものだということだ。(関連記事)

キセノン
セシウム
ストロンチウム
バリウム
テルル
ルテニウム
ジルコニウム
セリウム
ネプツニウム
プルトニウム
イットリウム
プラセオジム
ネオジム
キュリウム
ヨウ素
アンチモン
モリブデン

こんな意味不明の危険物質は私たちはまったく覚えたくも見たくもない。しかし、これから私たちは繰り返し繰り返しこれらの放射性物質の名前を聞かされることになる。

放射性物質はまったく無味無臭にも関わらず、身体に取り込むと骨から人間の身体を汚染していく。

プルトニウムの半減期 2万4065年
体内の骨に達した場合 50年滞留
体内の肝臓に達した場合 20年滞留 

それがガンや白血病や原因不明の脱力感や心臓病や奇形などによって人間を「崩壊」させていく。

20年から50年でも、いずれ排出されるのであればいいではないかと思うかもしれない。しかし、排出されるまでに苦しみ抜き、排出された頃には生きているかどうかも怪しい。

そして、一度取り込んで終わりだと勘違いしてはいけない。何度も何度もあなたはプルトニウムを吸い込むかもしれない。

2万年も効力の消えない猛毒がそこらじゅうにばら撒かれているのである。

「原因物質」が身体に取り込まれて抜けないのだから、一度体調を崩して発病すると一生治らない。今、日本に起きているのはそういう事態である。

計画的廃止ではなく、計画的再開を検討

政府はセシウムだけを取り上げて「検出されていないから出荷できる」「検出されたが微量だから大丈夫」とあらゆる機会で言い続けている。

3月19日 群馬の水道水から放射性物質。支障はない。
3月25日 愛知県のナミ貝から放射性物質。問題ない。
4月17日 札幌でセシウム検出。微量なので問題ない。
4月30日 母乳から微量の放射性物質。乳児に影響なし。
5月19日 大阪で微量の放射性物質。健康に影響ない。
6月14日 大熊町でキュリウム検出。微量で問題ない。
6月17日 奈良県荒茶からセシウム検出。問題ない。
6月30日 子供の尿から放射性物質。微量で問題ない。
7月16日 福島の豚から放射性物質。微量で問題ない。
8月27日 福島の玄米から放射性物質。微量で問題ない。
9月1日 原乳から微量の放射性物質。微量で問題ない。

放射性物質が微量の水を飲み、微量のコメを食べ、微量の肉を食べ、微量のミルクを飲み、微量の空気を吸い、それが基準を超えたらどうなるのか、という疑問は正しい。

しかし、もっと考えなければならないのは、微量と言っているのはセシウムだけで、他の30種類の放射性物質はそのときに検査すらしていないことだ。

アルファ線を出すプルトニウムはほとんど検査されていなかったし、今でも満足に計測されていない。

「計測しないので分からない。分からないから問題ない」というのが東京電力の言い分だ。

東京電力は事故から1週間経っても、まったくプルトニウムの測定はしておらず、それを3月22日に糾弾されたのは記憶に新しい。

未だにその傾向が続いており、「問題ない」「問題ない」「問題ない」と呪文のように繰り返しているが、問題ないと思っているのは東電と政府だけであり、本当はその裏で31種類の放射性物質が相当な累積になってきている。

2万年経っても毒性がそのまま残る物質が、そのまま降り積もっている。

今、私たちは見殺しにされている。

前にも書いたが、私たちは「このまま黙って政府に従っていると死ぬ」レベルにまで来ているのである。たとえば、2011年8月27日に以下のように指摘されている。

原発周辺住民は「ヨウ素剤飲むべきだった」 識者が指摘
東京電力福島第一原発の事故で周辺住民が飛散した放射性ヨウ素を空中や食品から体内に取り込むことによる甲状腺の被曝(ひばく)は、健康被害を予防する安定ヨウ素剤を飲むべきレベルだった可能性があることが、27日、埼玉県で開かれた放射線事故医療研究会で指摘された。

「問題ない」と言われ続けてきたのに、あとになってから「健康被害を起こすレベルだった」「ヨウ素剤を飲むべきだった」と、言われるのである。今でもそうなのだから、これからも後出しで言われ続けるだろう。

政府は、国民に何が起きてもこれからは因果関係は認めないだろうし、隠蔽するだろう。隠蔽できないものについては過小評価する。もちろん、責任も取らない。

そして、政府も原発推進派も「日本のエネルギー戦略が」「核抑止が」「電力供給が」とあれこれ理由をつけて原発の再開を計画している。

計画的廃止ではなく、計画的再開を検討しているのである。これは政府による国民虐殺だと言ってもいい。

日本人の誰もが他人事ではない。踏みにじられようとしているのは、あなたと、あなたの家族だ。
by ayu_cafe | 2011-10-13 09:16 | Trackback | Comments(4)

アップルストアにリンゴの花束を献花してきた。ABC TVに取材された。全然しゃべり足りない。

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会社の昼休み、アップルストアに
リンゴの花束を献花してきた。



外人の店員さんが、アリガトウゴザイマスネ、
と言ってくれて、あそこに置いてください、
という感じだったので、ほかの花と一緒に置いた。





そうしたら、TVカメラのひとたちが寄って来て、

「アメリカのABC TVですが、お話伺ってもいいですか?
日本では、流れませんので」

と言われた。


以下、取材のやりとり。




あなたにとってのスティーブジョブズとは。


いつも、どきどきするのものを提供してくれるひと。
大好きなロックバンドが新しいアルバムを発表するみたいに
アップルが新作をだせば、ドキドキする。
いろいろなものがつまらなくなって来ている中で、
アップルは、いつもどきどきさせてくれます。





訃報を聞いてどうでしたか。


具合が悪いのは、聞いていたけど、びっくりしました。
これからなにを楽しみにすればいいんだ、
と、呆然としています。
つまらなくなるな、と思います。





日本での反響は。


ネット、TVでのトップニュースでも流れましたし、
大きな衝撃だと思います。
朝、会社でも同僚と話しました。




ウインドウズや、他の会社に比べて、
アップルとはどんな風に日本で受け止められていますか?


支持者は多いと思います。
デザインが、美しくて、清潔で、丁寧で、使いやすい、
というのは、とても日本人好みだと思います。




今日お花を置かれていましたが、
そうしようと思ったのはなぜですか。


アップルはいつもつかっていますし、
いまもiPhoneをもっています。
いつも使っているものが、きれいで、ひとのために使いやすく
丁寧につくられたものだと、生活自体が、
ちょっといいものに思えて来ます。
きもちよく暮らせるっていうか。
そういう毎日をくれたことに感謝したくて、
今日、来ました。









もういちど、花を置くところを撮らせてもらえますか?

と言われ、演技してみたり。。







全然、しゃべり足りない。







ABC TVのひと、最後に、
わたしの花束のリンゴを
寄りで撮っていた。
by ayu_cafe | 2011-10-06 12:28 | Trackback | Comments(0)

スティーブ・ジョブズ  Stay hungry, stay foolish.

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http://www.apple.com/stevejobs/




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以前の記事を再アップさせていただきます。
これからいったいなにを楽しみにすればいいいんだ。。





********************************








Stay hungry, stay foolish.



好きなロックンローラーって、昔から変わらず、

アントニオーニ、バラガン、ユトリロ、
ゴダール、ゴッホ、ゲバラ、ピアソン、
イサムノグチ、ピニンファリーナ、ミケランジェロ、
アアルト、マイヤー、セルジュ、ダンシ、ミック、キース、

で、あと、なんと言っても、スティーブジョブズ☆


なにもかも終わってしまったような現代に、
このひとの「新作」が届く幸福。。。


appleというヒッピー思想と友情からはじまった
会社のことをわたしがどんなに好きか、どうやったら
伝えられるだろう。。




米国スタンフォード大学卒業式での祝賀の際の
世紀の名スピーチを、
こちらから転載させていただきます。





PART 1. BIRTH

 ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。実を言うと私は大学を出たことがないので、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。

 本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。それだけです。どうってことないですよね、たった3つです。最初の話は、点と点を繋ぐというお話です。

 私はリード大学を半年で退学しました。が、本当にやめてしまうまで18ヶ月かそこらはまだ大学に居残って授業を聴講していました。じゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですけども、それは私が生まれる前の話に遡ります。

 私の生みの母親は若い未婚の院生で、私のことは生まれたらすぐ養子に出すと決めていました。育ての親は大卒でなくては、そう彼女は固く思い定めていたので、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていたんですね。ところがいざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの土壇場になってやっぱり女の子が欲しいということになってしまった。で、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところに夜も遅い時間に電話が行ったんです。「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」。彼らは「もちろん」と答えました。

 しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、二人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし父親に至っては高校もロクに出ていないわけです。そうと知った生みの母親は養子縁組の最終書類にサインを拒みました。そうして何ヶ月かが経って今の親が将来私を大学に行かせると約束したので、さすがの母親も態度を和らげた、といういきさつがありました。





PART 2. COLLEGE DROP-OUT

 こうして私の人生はスタートしました。やがて17年後、私は本当に大学に入るわけなんだけど、何も考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったもんだから労働者階級の親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていくんですね。そうして6ヶ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。だから退学を決めた。全てのことはうまく行くと信じてね。

 そりゃ当時はかなり怖かったですよ。ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思えます。だって退学した瞬間から興味のない必修科目はもう採る必要がないから、そういうのは止めてしまって、その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいけるんですからね。

 夢物語とは無縁の暮らしでした。寮に自分の持ち部屋がないから夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、コーラの瓶を店に返すと5セント玉がもらえるんだけど、あれを貯めて食費に充てたりね。日曜の夜はいつも7マイル(11.2km)歩いて街を抜けると、ハーレクリシュナ寺院でやっとまともなメシにありつける、これが無茶苦茶旨くてね。

 しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多くは、あとになって値札がつけられないぐらい価値のあるものだって分かってきたんだね。
 ひとつ具体的な話をしてみましょう。




PART 3. CONNECTING DOTS

 リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準のカリグラフィ教育を提供する大学でした。キャンパスのそれこそ至るところ、ポスター1枚から戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィ(飾り文字)が施されていました。私は退学した身。もう普通のクラスには出なくていい。そこでとりあえずカリグラフィのクラスを採って、どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めたんです。

 セリフをやってサンセリフの書体もやって、あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、素晴らしいフォントを実現するためには何が必要かを学んだり。それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めてみると私はすっかり夢中になってしまったんですね。

 こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。だけど、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する段になって、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。で、僕たちはその全てをマックの設計に組み込んだ。そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。

 もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、マックには複数書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるパクりに過ぎないので、パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンは地上に1台として存在しなかったことになります。

 もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。

 そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。
 もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。




PART 4. FIRED FROM APPLE

 2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。

 私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。実家のガレージでウォズとアップルを始めたのは、私が二十歳の時でした。がむしゃらに働いて10年後、アップルはガレージの我々たった二人の会社から従業員4千人以上の20億ドル企業になりました。そうして自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになったんです。

 自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。アップルが大きくなったので私の右腕として会社を動かせる非常に有能な人間を雇った。そして最初の1年かそこらはうまく行った。けど互いの将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、最後は物別れに終わってしまった。いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、齢30にして会社を追い出されたと、そういうことです。しかも私が会社を放逐されたことは当時大分騒がれたので、世の中の誰もが知っていた。

 自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、私はもうズタズタでした。数ヶ月はどうしたらいいのか本当に分からなかった。自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、自分は自分に渡されたバトンを落としてしまったんだ、そう感じました。このように最悪のかたちで全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで一時はシリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。

 ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見え始めてきたんです。私はまだ自分のやった仕事が好きでした。アップルでのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。振られても、まだ好きなんですね。だからもう一度、一から出直してみることに決めたんです。

 その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、自由になれたことで私はまた一つ、自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんですね。

 それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は私の妻になりました。
 ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。

 思いがけない方向に物事が運び、NeXTはアップルが買収し、私はアップルに復帰。NeXTで開発した技術は現在アップルが進める企業再生努力の中心にあります。ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。

 アップルをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こらなかった、私にはそう断言できます。そりゃひどい味の薬でしたよ。でも患者にはそれが必要なんだろうね。人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。だけど、信念を放り投げちゃいけない。私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ、好きなことを仕事にすることなんですね。まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっちゃ駄目です。心の問題と一緒でそういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとにどんどんどんどん良くなっていく。だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけない。




PART 5. ABOUT DEATH

 3つ目は、死に関するお話です。

 私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。

 自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。

 君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。




PART 6. DIAGNOSED WITH CANCER

 今から1年ほど前、私は癌と診断されました。 朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。

 医師たちは私に言いました。これは治療不能な癌の種別である、ほぼ断定していいと。生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう、と。主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコード(符牒)です。

 それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、ということです。たった数ヶ月でね。それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということです。それはつまり、さよならを告げる、ということです。

 私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、喉から内視鏡を突っ込んで中を診てもらったんですね。内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師たちはすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出したんだそうです。何故ならそれは、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、そう分かったからなんです。こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。

 これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験ということになります。この先何十年かは、これ以上近い経験はないものと願いたいですけどね。

 以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。でも、あれを経験した今だから前より多少は確信を持って君たちに言えることなんだが、誰も死にたい人なんていないんだよね。天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。そしてそれは、そうあるべきことだから、そういうことになっているんですよ。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草ですまんけど、でもそれが紛れもない真実なんです。

 君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。




PART 7. STAY HUNGRY, STAY FOOLISH

 私が若い頃、"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)"というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。

 それはスチュアート・ブランドという男がここからそう遠くないメンローパークで製作したもので、彼の詩的なタッチが誌面を実に生き生きしたものに仕上げていました。時代は60年代後半。パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、媒体は全てタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出されたグーグルのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。

 スチュアートと彼のチームはこの”The Whole Earth Catalogue”の発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。

 最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。「Stay hungry, stayfoolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。「Stay hungry, stay foolish.」

 それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。

Stay hungry, stay foolish.

ご清聴ありがとうございました。











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「だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで
必ず繋がっていくと信じなくてはならない。」


「死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品」







そして、とくにこのフレーズが凄い。


「あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、自由になれた」




ほんと「自信」なんてろくなもんじゃない。






「振られても、まだ好きなんですね。」

これは、ジョブズ兄貴の人柄が出てる。





そして、この翻訳、とても上手い。

「やっとまともなメシにありつける、これが無茶苦茶旨くてね。」

ここ、好き。















先日、ご紹介させていただいた「下町長田は百花繚乱」という
ブログで、つばきさんのご友人が、忌野清志郎の訃報に際して、

「貴重なバカを失ったよ」

っておしゃっていて、彼についてのこれ以上的確な評論って
ないな、と思った。



たまに社内でも年下の同僚に言ったりする。


「ねえ、(クライアントのポイントや志向性を)ものすごいおさえた案と

おこられちゃうかもしれないようなバカな案もできれば出そうよ。

せっかくだからさ。」





Stay hungry, stay foolish.



だいじょうぶ、だいじょうぶ。

つながってる。




ロックンロールは鳴り止まない。
by ayu_cafe | 2011-10-06 09:00 | Trackback | Comments(2)

リスボンの駅でもらった言葉。

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朝、リスボンの元修道院のホテルから、
タクシーで、サンタアポローニャ駅まで、連れていってもらった。



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誰もが言うけど、ポルトガルのひとは、
ひとあたりがいい。

タクシーの運転手さんは、初老のおじさんで、
パオレーツオブカリビアンの航海士のギブス君を
もっとまるっこくやさしくした感じ。




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水色の駅に着いた。
(この色合い、たまらない。)


料金を払い終えると、
ギブス君(運転手さん)が、こちらに向って、
すごくいい笑顔で、にっこりとなにかひとこと言った。


ポルトガル語?英語?


妻と、一緒に、こちらもついにっこりとしてしまいながら、

ん?

と身を乗り出して、聞き返した。




ギブス君が、あいかわらずにっこりと
やさしく、こんどは、すこし、ゆっくり
肩でリズムをとるように、そのひとことを言ってくれた。


「Bon Voyage」





ボンボヤージ、か!

うわ、生「Bon Voyage」だよ!

と、うれしくなって、


にっこり、「オブリガード(ありがとう)!」


といってタクシーを降りた。






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ヤフー知恵袋では、ボンボヤージの意味について
こんな風に書いてあった。


「フランス語ですが、スペイン、ポルトガル語でも同じ言い方です。

直訳で「よい旅を!」ということですが、転じて今後長期間会わない人に
対して「幸運を願ってます」という意味でも使うようです。
英語の「グッドラック」と同じ使い方でしょう」






リスボンの駅でもらった生「Bon Voyage」が、
ポルトガル旅行のいちばんのおみやげ。



そんな言葉をかけられて、すすむ日々。
今日も。









*ポルパリ*
by ayu_cafe | 2011-10-06 08:13 | ポル/パリ | Trackback | Comments(2)

聖橋

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御茶の水の聖橋。


夏の暑い頃のある晩。





祖父母は、このあたり、
明治大学の裏あたりで、
暮らしていた。

祖父は、着物に絵を描く仕事をしていた。

毎朝、皇居を一周して、
靖国神社で竹刀をふっていた。

祖母は、神保町で、いつも買い物していた。


母は、神保町で、生まれた。


まだおさないとき、
この聖橋の近くで
母は、祖母にだっこされ、
お堀を覗き込んでいた。

なにかの拍子に、母は、
祖母の腕からするりと、こぼれた。


母は、お堀の芝生をころころと
転がり落ちた。


お堀に落ちる直前、
芝生に、芝や草木を刈って
まとめてあったものに受け止められ、
母は、水に落ちずにすんだ。



聖橋をみるたび、その
嘘みたいな話しを思い出す。




そこで、水に落ちていたら、
わたしはいなかったんだろうな、
と思う。



ひょんな運命で生きている。




聖橋をみるたび、

ひょんな運命だよ、と思う。


あの橋の妙な形が、

ひょんな運命のかたちに見える。
by ayu_cafe | 2011-10-04 23:34 | Trackback | Comments(2)