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melencolia. 海にながれこむ坂の街 *詩による街ガイド 長崎編*

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海にながれこむ坂の街


海にながれこむ坂の街
明ける空 朝の教会

扉あけるとまだ暗く
ステンドグラスだけ朝

色のついた光が
石の窓辺にひろがる



海にながれこむ坂の街
稲佐山 暮らしの粒

夜の風から逃げこむ部屋で
汽笛がひとつ聞こえた

色のついた外灯が
静かな港にひろがる



蛍茶屋ゆきで乗り換えて
殉教の丘の通り雨

ビードロの硝子の向こう
外国が霞んでみえる

色のついた光が
夕暮れの街にひろがる
by ayu_cafe | 2011-11-29 05:11 | Trackback | Comments(0)

人間の教科書。 立川談志 人と言葉。

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だからね、優しいんですよ。うん、優しい。
それはね、優しそうじゃないの。
優しそうな人って嫌な人多いじゃないですか。
ぼく、優しそうな人、あんまり好きじゃないんだ。
でも、優しい人は好き。談志さんは優しいひと。

談志さんはたぶん、落語っぽいものは嫌いなんじゃないかな。
落語が大好きで。落語があの人にとって(生きる)目的だと思う。
ホントに好きなんだろうな、一番なんだなって思うんですよ。
よかった、あんな人がいてくれて、って思うことがよくあります。
甲本ヒロト




「昔、ちっちゃな頃にね、
夕方の土手に、ぽっ、ぽっ、っと月見草が咲いていて、
摘んでいた。ひとつ摘むと、また先にもある。
それを摘んでどうしようってわけじゃないんですよ。
なんか、つかれたように摘んでいるうちに、
“おうちが、だんだん、遠くなる〜”
っていうのがすっと出て来て、
(野口)雨情の詩が、すげぇ悲しかった。
そういう部分を昔から持ってましたね。」




「己が努力、行動を起こさず対象となる人間の弱味を口であげつらって、
自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬と云うんです。
一緒になって同意してくれる仲間がいれば更に自分は安定する。
本来なら相手に並び、抜くための行動、生活を送ればそれで解決するんだ。
しかし人間はなかなかそれができない。嫉妬している方が楽だからな。

いいか、現実は正解なんだ。

時代が悪いの、世の中がおかしいと云ったところで仕方ない。
現実は事実だ。そして現状を理解、分析してみろ。
そこにはきっと、何故そうなったかという原因があるんだ。
現状を把握したら処理すりゃいいんだ。
その行動を起こせない奴を俺の基準で馬鹿と云う」




「子供のころ、戦争が終わって、
いい戦争だと聞かされていたものが、
悪い戦争になった。
それから、新聞や世間の言うことを
そのまま信じなくなった。」




「世界の化学だ、医学だ、いろんなものをやってる、
けっこうなこってす。ただ問題はね。
それをやってるやつに無条件に従っちゃう。違うんだよな。
その人間が確立した自分のポジションと
その人間との付き合いなんだよ。
そこで、人間に人間がどれだけ関われるか。」




「落語はね、この逃げちゃった奴等が主人公なんだ。
人間は寝ちゃいけない状況でも、眠きゃ寝る。酒を飲んじゃいけないと、
わかっていてもつい飲んじゃう。夏休みの宿題は計画的にやった方が
あとで楽だとわかっていても、そうはいかない。
八月末になって家族中が慌てだす。それを認めてやるのが落語だ。」




「君が今持っている情熱は尊いものなんだ。
大人はよく考えろと云うだろうが自分の人生を決断する、それも十七才でだ。
これは立派だ。断ることは簡単だが、俺もその想いを持って小さんに入門した。
小さんは引き受けてくれた。感謝している。経験者だからよくわかるが、
君に落語家をあきらめなさいとは俺には云えんのだ。加えて俺は後進を育てる義務がある。
自分が育ててもらった以上、僕も弟子を育てにゃならんのですよ」




「俺がガンの手術の喉を掻き切って、何も食えなかった時、
もし病室の扉を開けてアステアがタップを踏みながら入ってきて、
グラスを差し出し”飲むかい?"」って言われたら俺は命がけで飲むね、
生きるってそうゆうことでしょ、惚れるってそうゆうもんじゃないですか。」




「前座の間はな、どうやったら俺が喜ぶか、それだけ考えてろ。
患うほど気を遣え。お前は俺に惚れて落語家になったんだろう。
本気で惚れてる相手なら死ぬ気で尽くせ。
サシでつきあって相手を喜ばせられないような奴が
何百人という客を満足させられるわけがねェだろう」




誰にも知らせずに逝ってしまったが談志さんの無念は重々承知できる。
肝心の喋りが出来ず不自由した事でしょう。
昭和の大名人噺家が沢山居る中で誰の真似もせず
自分の料簡だけで生き抜く困難にあえて立ち向かった。
子年は喋りがうまいが言葉のあくを味にできるかその勝負師の如し。
ご冥福を祈ります。
内海桂子




「よく芸は盗むものだと云うがあれは嘘だ。
盗む方にもキャリアが必要なんだ。最初は俺が教えた通り覚えればいい。
盗めるようになりゃ一人前だ。時間がかかるんだ。
教える方に理論がないからそういいいいかげんなことを云うんだ」




「型ができてない者が芝居をすると型なしになる。メチャクチャだ。
型がしっかりした奴がオリジナリティを押し出せば型破りになる。
(略)結論を云えば型をつくるには稽古しかないんだ」




「若いころ、空っ風が吹く
多摩川の土手に正座して
ずっと稽古していた。」




「いいか、俺はお前を否定しているわけではない。
進歩は認めてやる。進歩しているからこそ、チェックするポイントが増えるんだ」




「俺を抜いた、不要だと感じた奴は師匠だと思わんでいい。
呼ぶ必要もない。形式は優先しないのです。
俺にヨイショする暇があるのなら本の一冊でも読め、映画の一本も観ろ」




「儀式を優先する生き方を是とする心情は俺の中にはないんです」





「自分なりの幸せの基準がないと。」




家族の方のみで荼毘(だび)に付されたと、先ほど聞きました。
最後の最後まで師匠らしい。自分の良しとしない姿は弟子どもに見せてなるものか、
というダンディズムだったんじゃないかな
立川志の輔




“バカヤロウ”って怒鳴っても、
帰り際には“うまくやれよ”と
ニコリと笑いかけてくれた
立川志の輔




「悪徳の匂いがしないものは
芸としておれは楽しくない。」




"己に自信の無い奴が常識に従う。




"「執着」「執念」というのが、「好きの虫」のすんでるところです。




"何の職業でもいいのだけれど、
そうなれる資格、レベルに自分をもっていく道筋がどうもあやふや。
好きなことをやり、それで食えるようになりたい、
だからそこに向かって賢明になるはずが、現代はアルバイトで食えてしまう。
それは楽なごまかしになっていくのではないだろうか。




"酒が人間をダメにするんじゃない。
人間はもともとダメだということを教えてくれるものだ。




"学問の量にしがみつくな。




"尊敬されて、仕事があって、発想も、状況を把握できる頭脳もまだある。
それを幸せと言わずして何というか。




"天狗になるくらいでなきゃあ駄目じゃないかと思ったね。
青臭いかもしれないけど、天狗になってるときの芸は威勢がいいんですよ。




"法律はお互いの信頼関係における裏切り




"イイ奴とは自分に都合のいい奴である




"馬鹿とは状況判断のできない奴のことをいう




「賞味期限切れ、とか、偽装表示とか、言うけど、
昔は、そのへんに落っこちてるもの、
ひろって食ってたぜ。」




"
昭和51年1月、沖縄開発庁政務次官として地元記者との会見に出席。
酒の臭いをぷんぷんとさせており、
「あなたは酒とどちらが大切なんだ」と糾弾されるとこの一言。
「酒にきまってんだろ」




"
地方の独演会などに出向き、会場が立派なときに。
「文化レベルの低い所ほどこういう立派な会館建てるんだよな」




"
学問とは何かについて
「貧乏人の暇つぶし!」




"
努力とは何かについて
「バカに与えた夢!」



"
未来とは何かについて
「修正できると思っている過去!」




"「勝負はこうでなくちゃ面白くねえ。長かったなあ。
さあこい、これからが男のスタートだ」




“つらくなってからが、勝負なんだよね”




“客がすくないとね、ようしわかった、と
すくなきゃ、すくないでいい、と。
来なかった奴のためにな、おもいしらせてやるからな
ってのはあるな。
いきゃ〜よかったのに、って言わせてやるからな、っていうね”



家の前の満開の桜に、
“あ〜別れんの、かなしいよね
もうすぐお前達、散っちゃうんだろ?”

“雨に濡れてんのかわいいんだよね
ぞくっと興奮するくらい、この美しさね”




2007年の読売ホールの
演目、芝浜は、神が降りてきた
と言われる名演に。

観客は、いつも、もしかすと奇跡がまた起きるかも、
と思って、次の高座に向かった。




ネタを間違えて最初からやり直したり 晩年の家元は当たり外れが多かった 
だがしかし、あきらめかかった時にとんでもない噺に遭遇する 
そうなると桁外れに凄い おかしいとか 笑えるとかじゃない 
とにかく凄い 人間の暗部を抉り出すような気迫 
もうあーいった体験が出来ないと思うと・・寂しい
山本政志




亡くなる一年前くらいの
情熱大陸のイベントから、
しばし封印していた落語を
堰をきったようにやりだす。




“すくなくともおれはー、じゅうぶんに生きたですよ
ピザパイも食ったし、
ハワイも行ったし、飛行機も乗れたし、
温泉も入れたしね、うん
白いご飯も食べられたしね、

うそでもいいたいじゃないの、
十分に生きたよ、ってそれなりに


未練はやまほどあるよ、
そんなに言ったらきりがないよ、うん

十分に生きたぜ。”





密葬の時に流れたのは、
大好きなチャールストンの
「ザッツ・ア・プレンティ(これで満足)」




「『落語とは人間の業の肯定である』。

よく覚えときな。

教師なんてほとんど馬鹿なんだから、
こんなことは教えねェだろう。

嫌なことがあったら、たまには落語を聴きに来いや。

あんまり聴きすぎると無気力な大人に
なっちまうからそれも気をつけな!」
by ayu_cafe | 2011-11-28 07:46 | Trackback | Comments(2)

お供のぬいぐるみ。元の部分で強いひと。「ザッツ・ア・プレンティ(これで満足)」

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立川談志の、死に方と、生き方。




談志さんの長男・松岡慎太郎さん(以下、慎太郎): 本日は、突然お騒がせして、大変申し訳ございません。只今より談志の記者会見を行いたいと思います。私、談志の長男で「談志役場」という談志の事務所をやっております、松岡慎太郎と申します。本日はよろしくお願いします。

 既に報道にもたくさん出ておりますように、一昨日11月21日14時24分に喉頭がんで談志は死去しました。生前ファンの皆さま、マスコミ関係者の皆さま、本当にたくさんの皆さまにお世話になりまして、場合によってはご迷惑をおかけしたこともあったのですが、家族として、事務所として皆さまにまずはお礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございます。

 簡単になんですけれど、今回、家族葬というか密葬という形で、本日3時に葬儀を終えることができました。あまりこれまで人に話すことはなかったので、簡単なんですが、これまでの病状の経緯などをご報告させて頂きます。その後、質問などがありましたらお聞きしますので、お願いします。

 3年前談志は喉頭がんになりました。その時は1回目というか、発見もすごく早かったので、放射線の治療、レーザーですとか、非常に効果的な治療ができ、声帯にできたがんだったんですけど、すぐ治ったんです。しかし昨年の11月、本人も喉の調子が悪いと言っていて、医師のほうから家族に話がありますということで、喉頭がんの再発ということで事実上の余命宣告を聞きました。

 医師も患者の命を守る、病気を直すという立場から、声帯にがんができる「声門がん」というがんだったのですが、声帯をそっくり一刻も早く転移する前に取って下さいというように言われました。ただ、患者が落語家で、喋る仕事をしています。おそらく主治医も、家族も声帯を取ると言って「わかった」ということは無いだろうと、案の定やっぱり本人も絶対それはプライドが許さないということで、摘出手術は拒否しました。

 そして、父の場合は、とりあえず表面にできたがんを表面だけ取り除くというかたちで、治療としてはあまりベストではないのですけど、それでも自分の声で、少しでも喋れる限り傷口を削って、懸命に声を出して今年の3月まで高座に立ち続けていました。

 ただその後、がんも進行してきまして、呼吸も苦しくなってきて、3月の終わりくらいに、窒息する恐れがあるということで「気管切開」をして、管を(喉元に)通しました。それからは自宅療養というかたちで亡くなるまで8ヶ月、在宅と入院を続けていた。その間、いろいろ危険なことも何度かあったが、一見華奢に見えるのですけど強くて、時には知力、体力、いろんな経験で病気を乗り越えてきた。先月の10月の27日に病状が急変して、心肺停止になりました。それでも心臓はすぐ動き始めまして、意識は戻らなかったんですけど、その3週間後、息を引き取りました。

 在宅中も本人もかなり苦しかったと思います。飲めない、食べられない、喋れない。喋れないというのが何より辛い状況で、それでも在宅中・入院中は一回も「辛い」とか、本来そういうことを言うタイプなのですが、「あと2年だ」「痛いのは嫌だ」と言っていたわりには、一度も「辛い」といったことは言わず、最後まで強く生きていた。最後の最後は家族みんな間に合って、穏やかに死去しました。

 本日3時に葬儀が終わったばかりですので、いろいろ気持ちの整理だとか、これからやらなければならないことがあまり決まっていなくて、決めなればならないこととかたくさんあるのですが、今までの経緯は以上のようになります。

 これ以外で何か質問がございましたら、よろしくお願いします。

■主治医に向かって「喋りたい、喋りたい」

フジテレビ・武藤氏(以下、武藤): 悪いということは聞いていたのですが、今年の3月に舞台を降りたときに、いつになく元気が無かった。談志師匠は、もしかして自分の限りある命はご存知なのかという気もしました。お嬢さんはそういうお父さんをずっと見ていて、どんな思いでいらっしゃいますか?

談志さんの長女・弓子さん(以下、弓子): 3月の気管切開の手術と同時に、胃瘻(いろう)といいまして栄養を入れる管を入れました。穴を開けた時点で、ほとんど声は出なくなっていました。それでも隙間から漏れる声で、「私の名前は立川談志」、口の動きで聞き取れました。しばらくは、私を介してですが、主治医に向かって、「どうしてこうなったんだ」「喋りたい、喋りたい」と。もちろん喋ることが大好きですから、辛かったと思います。

 それからは常に筆談でした。後半は筆談のほうの字も読めなくなって、それでも8ヶ月間毎日、人生において最初で最後だと思うのですが、父とべったり過ごせました。父は辛かったと思いますけど、そのおかげで、父のイメージと違った、こんなにジェントルマンだったんだ、こんなに優しい人だったんだと(いう一面も見ることができ)、そういう時間を持てたのはすごく良かったんだと思います。

武藤: 最後に書かれた筆談の言葉は何ですか?

弓子: もともとお喋りな人ですから、筆談の紙も全部とってありますけれども、すごい量になっています。最後、何て書いたんだろう。ごめんなさい、あまりにも時間が長かったので、色んなエピソードがありすぎて、すぐには出ないです。

 遺言では無いですが、「葬儀もしないでくれ」、「お経もいらない」、「骨は海にまいてくれ」と、戒名もずっと昔から自分で付けていました。密葬するにあたって、少しでも父の意思に添えるように、正直マスコミから逃げるようなかたちで、最後は「ザッツ・ア・プレンティ」の音楽で見送れましたし、紋付袴を着せて、扇子を持ち、すごく似合って、格好良かったです。

■戒名は「立川雲黒斎(うんこくさい)家元勝手居士」

武藤: お付けになった戒名は?

慎太郎: 本人が付けた戒名なので、正式なものかどうかわからないのですが「立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)」です。

武藤: 去年、お医者様から余命が・・・とおっしゃいましたが、その時はどれくらいと聞いたのですか?

弓子: 2、3ヶ月かもしれないので、ぜひお家に連れて帰ってあげたらどうですかと言われました。本当に病院が嫌いで、「家に帰りたい」と帰りたがっていたものですから。ただ、看護師さんのやることを私たちがすべて覚えて、できないことには連れて帰れないものですから、私たち練習しまして、丸5ヶ月一緒にお家で過ごしました。結構大変でした。

武藤: 奥様には最後まで頭が上がらなかった師匠だと思いますが、奥様のご様子はいかがですか。

弓子: すごく母が頑張りまして、何でも父のことが一番で。娘から見ていても、すごく幸せな夫婦だったと思います。あんなふうに、もともと他人同士が思いやり合いあえるのかというくらいに素晴らしかったと思います。だから私たちも頑張りました。

武藤: 改めて、落語家・立川談志をどういう思いで見つめていらっしゃいますか?

弓子: 落語家・立川談志はすごく格好いいんですけど、最後の8ヶ月の印象のほうとても今は強いので、本当に最高に優しいお父さんでした。

■「強さと優しさの両方があった」

スポニチ・イトウ氏(以下、イトウ): 今日葬儀を終えられたということですが、棺の中にはどのようなものをお入れになったのでしょうか。あと、遺言や遺書はあったのでしょうか?

慎太郎: 棺の中には特にお花以外は、トレードマークにしていたバンダナというか、ヘアバンドというか。あと、ぬいぐるみとかも可愛がっていたので、そういったものもお供に入れました。遺言とか遺書は一切無いです。

ドワンゴ・七尾功氏(以下、七尾): この度は本当に残念に思います。質問を2つさせて下さい。先ほど、優しい父親だったという話がありましたけれども、破天荒な天才ぶりを発揮されて、国民に広く愛された談志師匠なんですけれども、ご家族にとってはどんな父親だったでしょうか?

慎太郎: 皆さまがイメージされている立川談志とほぼ同じです。

七尾: 今年の3月まで活動されていたわけですが、談志師匠が高座に向ける思いというものはどういったものがあったでしょうか?

慎太郎: 亡くなるぎりぎりまで、かなり強い意欲は持っていたと思います。ただ、自分がほとんどベッドから起き上がれない状態でしたので、行けないという自分の現実もわかっていたでしょう。でも、弟子の会とかがあると、行ってやりたい、行っても喋れないんですけど、着物来て(舞台に)上がるだけは行ってやるという、そういう強さと優しさの両方があったと思います。

■家族をなるべく悲しませない「見事な死にざま」

ワイドスクランブル・オザワ氏(以下、オザワ): さきほど弓子さんは、人生で最初で最後かと思うほどべったりといらっしゃったとおっしゃっていました。慎太郎さんは皆さんがイメージしているとおりの立川談志でしたとおっしゃいましたが、こんなにジェントルマンかと思ったとおっしゃったということは、弓子さんにとって、父親としての談志師匠は違う存在、イメージだったということですか?

弓子: 3月に声を失ったということは、あのお喋りで毒舌の父が一言も口をきけなくなるということは、それはそれは切なくて、いじらしく・・・。ただ声を失わなければ、味わなかった思いはもちろんすごくたくさんあったと思います。それ以前の父は本当に破天荒で、私たちの子供のころからテレビで言っていることと家で言っていることは全く同じですし、家族に対して愛情が深い人でしたけど、全く外と家の乖離(かいり)はありませんでした。

 ただ、声も失い、自分で自分のことがどんどんできなくなったときに、そういう方が今多いと思いますけど、在宅介護、要介護度5になりまして、そうなったときに、なってみないと分からない思いは双方にあったと思います。

オザワ: それは双方にあったという意味合いでいえば、師匠自身が言葉にならないながらも変化というか、変わったというのは、どういうときに具体的に感じましたか?

弓子: 自分で戒名もそうですけど、勝手な人だったのが、結局我慢をせざるをえないわけじゃないですか。吸引もされなければいけないし。してもらわなければいけないことがたくさん発生するわけですから、そうなったときに「お願い」という言葉に、姿とか。しゃべれたら、たぶんなかった・・・。

 ものも食べれなくなりましたけれども、あまりものを食べたいとかは言わず、やっぱり「しゃべりたい」というほうが多かったです。

オザワ: 慎太郎さんもそういう姿をご覧になっていて、小さいころからのお父さん、亡くなる直前の姿をご覧になっていて・・・。

慎太郎: やっぱり喋れなくなってからの父とそれまでの父は、全く変わりましたね。いま姉が言ったとおりで。

弓子: ただ、元の部分はすごく強い人で。ある意味、なかなか死ななかったんだよね・・・。

慎太郎: 力強く生きましたね。

弓子: (慎太郎さんに向かって)強さも本当に見せつけられたね。

オザワ: もう一つだけ、繰り返しになるかもしれませんが、我々にとっては本当に突飛なイメージの談志師匠なのですが、父親として、ご家族にとってはどういう存在だったでしょう?

慎太郎: 今思いますと、すごく家族孝行の父だったと思いますね。意外に思われるかもしれませんが、すごく家族孝行でしたね。

 私自身は去年、医師のほうから病状を知らされてから、気持ちの整理をする時間がありましたし、一緒にいる時間も十分に与えてくれて、本当に少しずつ少しずつ、家族が悲しまないように、人生なりゆきなのかもしれないですけど、なるべく悲しまずにというか・・・悲しいんですけれど、突然死なれるようなことは家族に与えなかったということは、すごい死にざまといいますか、それは見事だったと思います。それをしてくれたということが、家族にとっては本当にすごい父親だったなと思いますね。

弓子: 本人は「ふとした病いで死にたい」と言っていましたから、あの頑張りはきっと私たちのために頑張ってくれたんじゃないかなと思います。

■喋れなくなったことを受け入れるのに時間がかかった

日本テレビ・ニシムラ氏(以下、ニシムラ): さきほど余命の宣告で「2、3ヵ月かもしれない」と先生からおっしゃられたということでしたが、談志さんご本人もこの余命の日数をお聞きになったんでしょうか?

弓子: そこが微妙なところで、あえて隠しもしてなかったんですが、本人が正直、どう思っていたのか・・・。

慎太郎: 本人は知ってない・・・。

弓子: そのときは知ってない。(慎太郎さんに向かって)だけど、もちろん病名も知ってたよね?

慎太郎: あまり聞いてなかったかもしれない。

弓子: 言っても本人が認めないというようにも受け取れましたし。どっちだったんだろうね・・・。あまり言わなかったね。「もうすぐなんだから」とかいうことは。本当に病気になってからあまり泣きごとは言いませんでしたね。

ニシムラ: ただ、ご自身が再発したということは自覚されていたんですか?

弓子: ・・・と、思います。

ニシムラ: もう一度治って声帯をとらずにすんだと思っていた師匠が、もしかしたらということで、それでも声帯を守るということをお取りになった。2回目の病気が分かってからの覚悟のようなものだとか、ちょっと変わったなという感じはありましたか?

弓子: 徐々にですね。最初、気道確保のために、空気を吸うための穴をあけたときに、喋れなくなるとは、はっきり主治医のほうから言われてなかったので、しばらくはそれを受け入れるのに時間がかかったみたいです。

ニシムラ: 手術が終わってから、声がほぼ出ない?

弓子: そうですね。そのときの筆談の第一声が「しゃべれるのか」「声は出るのか」と聞かれました。

ニシムラ: なんとお答えになったんですか?

弓子: ・・・なんて言ったんだろうな。その手術の直後は、本当に答えられなかったです。

ニシムラ: 答えられないということで、状況をお察しになったということでしょうか?

弓子: そうだと思います。

■「喋れなくなった談志をさらしたくなかった」

ニシムラ: もう一つだけ。この闘病中にどなたかに、この状態、状況をお伝えになったんでしょうか? それとも全く誰にも全くお伝えにならずに闘病されていたんでしょうか?

慎太郎: 家族だけで。さきほど申しましたが、かなり病気も、がんもそうなんですけど、肉体的にも気力も落ちていたので、あまりいろいろな方にご心配かけますし、本人も少しでも穏やかな環境で過ごしてもらいたかったので、家族だけで身を守っていこうと決めました。ですので、一門の人間にも伝えませんでした。

弓子: 声を失った、喋れなくなった立川談志を、私たち家族はあまりさらしたくなかったです。

ニシムラ: お弟子さんもお見舞いにはほとんど皆さん(来られなかったのですか?)

弓子: お弟子さんとは夏ぐらいに一度、一席を設けて、会っていただきました。そのときはすでにだいぶ、一人で歩けませんし、そのような状況のときに、それを機にさらに具合が悪くなったので、お弟子さんと会ってもらったのは、その時が最後です。

慎太郎: 病状は伝えてなかった・・・なんとなくがんというのは一門には伝えてなく、本人とだけ一門と会わせたということです。

ニシムラ: そのときの師匠の様子はどうだったんですか?

慎太郎: すごい楽しみにというか、弟子に会うというので、自分の辛い状況のなかでも頑張って、行きつけの店に行って・・・。

弓子: 病院に寄って、熱が39度くらいあったのを、熱を下げる注射をしてもらい、この管を交換して、本当に担がれるような形で行きました。だけど、お弟子さんの前では、びっくりするくらい一生懸命、少しでもしっかりして・・・。

ニシムラ: でも、喋れなかったんですよね?

弓子: 喋れません。

■「声のかぎり、落語を愛してました」

時事通信・ナカムラ氏(以下、ナカムラ): この度はお悔やみ申し上げます。ご家族としては、余命は2、3カ月かもしれないということはご本人に言ってないけれども、ご本人が察知したかもしれないという感じなんでしょうか?

慎太郎: 察知はしてなかったと思いますね。

ナカムラ: お話はされてない?

慎太郎、弓子: してないです。

ナカムラ: 再発ということが分かって、それはご本人も分かって、その後、高座をつとめられたときの談志さんの覚悟というか、それまでと違うような様子はあったんでしょうか。

慎太郎: そうですね。かなり強い意欲を持っていたと思います。ほんと声はもうかすれて、たぶんあのときの高座をご覧になった方だと分かると思うんですけど・・・。

弓子: もう出ない声で、最後になった「芝浜」なんかは・・・。

ナカムラ: 去年の暮れの、読売ホールのものですね?

弓子: あれはもう、普通の人だったら、たぶんありえないと思います。本当に声のかぎり、落語をやっぱり愛してましたし、(落語を)したかったんだと思います。

ナカムラ: それ以降は3月までの間はどれくらい高座をつとめられたんでしょうか?

慎太郎: 去年の12月の読売ホールがあって、3月までに3回ぐらいですかね。すみません、ちょっと・・・。そのくらいだったと思います。

■「ザッツ・ア・プレンティ(これで満足)」

週刊女性・カナマル氏(以下、カナマル): 談志さんが生前すごく好きだった場所だったり、ご家族で食事に行かれたりして思い出の店とかはあったんでしょうか?

弓子: 家で食べるのが好きな人でした。

カナマル: 好物とかはあったんですか?

慎太郎: その時代、時代でかなり変わりましたね。

カナマル: 最近だと?

慎太郎: だんだん言わなくなりましたね。牛乳とヨーグルトとバナナで「これはチンパンジー食だ、俺は」と言って、食べてました。別にそれは嫌がって食べていたわけではなくて。

弓子: 食欲がすでになくなってきてたんですね。気管切開をする頃には。今度、気管切開をした後に、家でステーキを焼きまして「俺も食べる」というので、本当に小さく切ったら、それがノドにひっかかり、そのときも死にそうになりました(笑)。

 あんまり外食とかに家族で行ったりとかは・・・おうちで食べるのが好きな人で。去年のクリスマスに家族で洋食屋さんに行ったのが最後ですね。

武藤: デキシーランドジャズを流されたというのは、曲目は?

弓子: 「ザッツ・ア・プレンティ」です。

慎太郎: 「これで満足」という意味の「ザッツ・ア・プレンティ」。






http://getnews.jp/archives/153824
by ayu_cafe | 2011-11-25 07:06 | Trackback | Comments(0)

立川談志という人工呼吸器がなくなってしまった。

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さっき、7時のトップニュースで、
「立川談志さんが亡くなりました」って言ってた。

立川談志って亡くなるのか?


悲しいとか、ショックとか、じゃなくて、

立川談志という、わたしの人工呼吸器が、なくなってしまった。

困るなあ。



堅苦しく、“正しく”、息苦しい世の中で、
息をすいやすくしてくれた。

セルジュゲンズブールやゴッホやストーンズみたいに。


ものごとは、そんな単純なもんじゃないだろ、
人間は、そんな簡単なもんじゃないだろ、
人間は、可笑しくて、矛盾していて、
悲しくて、愛おしいもんだろ、

と、いちから教えてくれて、
ずっと、息をぬいてくれて、
ずっと、生きることをふくよかにしてくれていた。








「赤めだか」という本の冒頭、
佐々木という中学生が学校の課外授業で、
落語を見にいく。
何人目かで表れた落語家、立川談志は、
落語の演目なんてやらずに、
いきなり、本質を話し出す。




「あのネ、君たちにはわからんだろうが、
落語っていうのは他の芸能とは全く異質のものなんだ。


どんな芸能でも多くの場合は、為せば成る
というのがテーマなんだな。
一所懸命努力しなさい、勉強しなさい、
練習しなさい、そうすれば最後はむくわれますよ。
良い結果がでますよとね。


忠臣蔵は四十七士が敵討ちに行って、
主君の無念を晴らす物語だよな。
普通は四十七士がどんな苦労をしたか、
それに耐え志を忘れずに努力した結果、
仇を討ったという美談で、
当然四十七士が主人公だ。
スポットを浴びるわけだ。


でもね赤穂藩には家来が三百人近くいたんだ。
総数の中から四十七人しか敵討ちに行かなかった。
残りの二百五十三人は逃げちゃったんだ。


まさかうまくいくわけがないと思っていた敵討ちが
成功したんだから、江戸の町民は拍手喝采だよな。
そのあとで、皆切腹したが、その遺族は尊敬され、
親切にもされただろう。
逃げちゃった奴らはどんなに悪く云われたか
考えてごらん。
理由の如何を問わずつらい思いをしたはずだ。


落語はね、この逃げちゃった奴らが主人公なんだ。


人間は寝ちゃいけない状況でも、眠きゃ寝る。
酒を飲んじゃいけないと、わかっていても、
つい飲んじゃう。
夏休みの宿題は計画的にやった方があとで
楽だとわかっていても、そうはいかない。
八月末になって家族中が慌て出す。


それを認めてやるのが落語だ。


寄席にいる周りの大人をよく見てみろ。
昼間からこんなところで油を売ってるなんて
ロクなもんじゃねえョ。
でも努力して皆偉くなるんなら誰も苦労はしない。
努力したけど偉くならないから寄席に来てるんだ。


『落語とは人間の業の肯定である』。


よく覚えときな。


教師なんてほとんど馬鹿なんだから、
こんなことは教えねェだろう。


嫌なことがあったら、たまには落語を聴きに来いや。

あんまり聴きすぎると無気力な大人に
なっちまうからそれも気をつけな!」









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過去に立川談志について書いた記事。


両手に月見草を持って、寂しさを感じ続けている。



歌舞伎座 立川談志・談春 親子会 1



ポニョと立川談志とパフュームの共通点



“もうすぐお前達、散っちゃうんだろ?”










しかし、業の肯定をテーマにしながら、
厳しく、探求のひとだった家元なら、絶対、言うだろう。


「なに?きみは、きみの課題に対する
そのくらいの努力で、
そのくらいの洞察で、
そのくらいの想像力で、
そのくらいの忍耐で、
そのくらいの探求で、
そのくらいの挑戦で、
落ち込んだとか、言いたいの?
その前に、間違ってようが、正しかろうが、
のめりこみ、矛盾に満ちて、
深く豊かに人間らしく生きたかい?」



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by ayu_cafe | 2011-11-23 21:00 | Trackback | Comments(6)

melencolia. 薔薇の花びらに雫 *詩による街ガイド パリ編*

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薔薇の花びらに雫


明け方の雨あがり
オレンジの外灯が
つややかに路面に映え
人気のないフロールヘ


二階席は静かで
まだ誰も来ていない
サルトルとボーボアールの
面影しかいない


サンシェルピスへ通った
ドラクロアのアトリエ
中庭の花の影
いまも壁に絵を描く


薔薇の花びらに雫
薔薇の花びらに雫
薔薇の花びらに雫
薔薇の花びらに雫




イタリアから嫁いだ
王妃の故郷の風景を
リュクサンブールの泉
人形劇は休み


蔦の覆う美術館
たてかけられた自転車
エコールドパリの余韻
キキとフジタとワイン


老作家が亡くなり
彼の灰は大好きな
行きつけのカフェのまえ
マロニエの足元へ


薔薇の花びらに雫
薔薇の花びらに雫
薔薇の花びらに雫
薔薇の花びらに雫




ホテルラファエル、セルジュが
娘の誕生日のため
食器も給仕もぜんぶ白
白のパーティをひらいた


「美しく見せなさい
からだもシルエットも。
美しく歩きなさい
そのためにいい靴をはきなさい」


ペールラシューズの壁まで
追い込まれたレジスタンス
銃口の前に最後まで
掲げた意志は消えない


薔薇の花びらに雫
薔薇の花びらに雫
薔薇の花びらに雫
薔薇の花びらに雫











***********************




旅行のガイドブックで
いいものがないか、いつも探しているけど、

その街のエッセンスにすっと入っていけるような、
詩による街ガイドがあったら、
欲しいな、と思ってつくった。



出てくるのは、
最初が、デプレのカフェフロール。
同じくデプレのドラクロアのアトリエ。

リュクサンブール公園の泉と人形劇。
蔦が覆うのは、モンパルナス美術館。

老作家の灰がまかれたのは、
サンシェルピス教会前のカフェ。

ホテルラファエルは、
セルジュ行きつけのホテル。
シャルロットのために
白のパーティを開いた。

靴の話は、クレモンティーヌさんの
本に載ってた。

最後は、ペールラシューズ墓地。
ジムモリソンとオスカーワイルドと
ショパンが眠っている。












リスボン編
ハバナ編
ローマ編
長崎編

もつくった。



ちなみに、パリ編は、好きなスポット、
ぜんぜん入りきらない。
30番くらいにまでなりそう。。
by ayu_cafe | 2011-11-14 20:15 | Trackback | Comments(2)

i'm slowy making progress.

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ミチコとハッチン 第二話冒頭。

脱獄不可能といわれる
監獄要塞で、

脱獄に失敗した
ミチコ・マランドロが

女警官に言われる。

逃げられないわよ
絶対に。


リンチを受けてボコボコの
顔でミチコが答える。



脱走は今日で三度目だ。
一歩一歩前進してるぜ?





youtubeだと英語の字幕が
ついてる。


一歩一歩前進してるぜ。
i'm slowy making progress.




どんなにボコボコにされても、
どんなに失敗しても
どんなに遠回りしていても
どんなに意味がなく思えても
どんなにむなしくても

一歩一歩前進してる。
成長してる。



もっと先へ行く。
by ayu_cafe | 2011-11-14 09:35 | Trackback | Comments(0)

現地時刻。TGV(st.malo-paris montparnass),france 17:30pm

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ノルマンディーのドーヴィル、オンフルール、エトルタから
モンサンミッシェル、そして、ブルターニュのサンマロまで
2泊3日で、プジュー206を借りて走った。
300kmくらいだろうか。
サンマロの旧市街でムール貝を堪能してから、
駅前のハーツレンタカーにプジョーを返却。
予定よりだいぶ早く駅に着いたので
窓口でTGVのチケットを早い時間のものに変えてもらい、パリへ。

海外初のクルマの旅が無事に終わった安堵感と疲労感と眠気が
ずっしりと体に満ちて、TGVの座席に溶けてしまいそうになる。

レンヌを過ぎたあたりから外は夏の夕暮れの雨。

うとうとしながら見る、雨粒のついた窓越しの景色は、本当に夢のよう。

名前のわからないいくつ目かの駅。
子供を抱いた奥さんが夫と別れ、駅の窓越しから見送るのが見える。

雨粒のついた窓の向こうの映画みたいなシーン。

うとうとしながら、ぼんやりと、愛する人と離れることについて考える。
そして、愛する人のもとへ帰る時のことを考える。
そして、男女が一緒に暮らす家庭について考える。
そして、男女が一緒に暮らす難しさについて考える。

でも、とにかく心地いいくらい疲れている。
なにしろ、エトルタからサンマロ、なのだ。。

パリまではまだまだ。
いろいろなことを思い出しながら、たっぷり眠ろう。
by ayu_cafe | 2011-11-11 09:36 | 現地時刻 | Trackback | Comments(2)

新刊に、前にやった仕事が。

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久しぶりに青ブックに行ったら、

デザイン、レイアウトコーナーの

新刊に、

前にやった仕事が、載ってた。



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当初、Macでカチカチ、
ラフをつくったときは、

色ベタ部分に、馬の蹴り上げた
土が、飛び散ってる風にしていた。



シリーズ広告だったけど、
キャッチは毎回変えず、
浸透するように
アイコンや、マークみたいにした。


通常、下段に押さえる開催日を
メインのキャッチロゴと
一体化させ、「デザイン」してもらった。


世界観訴求と開催日告知を
同時にメインでおこない、
強い誘引広告にしようとした。



企画書は、A3の大きな紙一枚を
縦使いにして、大きなQ数で、
びっしり詩のようなものを書いた。


最後は、たしか、こんな感じだった。


「だから、一度、来て欲しい。
生きた本物の迫力に触れて欲しい。
そして、存分に愉しんで欲しい。
いざ、川崎。」



とかなんとか。





これは、たしか、十何社の競合で
勝った。



もちろん、

社内で案を競い合い、
緊張感のある絵をつくり、
素晴らしい写真を仕上げ、
関係者との信頼関係を築いていた

チームの功績。









ま、仕事もしてます。
by ayu_cafe | 2011-11-09 23:54 | 仕事もしてます | Trackback | Comments(0)

夢か。地元の小さな駅前に、ZARAとユナイテッドアローズとキャスキッドソンカフェとimaxシアターが。

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地元の海辺の駅前に、

「ZARA」「ユナイテッドアローズ」「coach」「アルマーニ エクスチェンジ」
「H&M」「KEYUCA」「franfran」「無印良品」「ロフト」
日本初店舗のハワイのお店「Hula Lehua(フラレフア)」、
世界初店舗の「キャスキッドソンカフェ」、
imaxシアターを含む「109シネマズ」が、

テラスモール湘南、として、

あさってオープンする。
(今日、プレオープン)



この前まで、北口は、葬儀屋さんしかなくて、
南口は、小さな商店街しかなくて、
駅の改札のあたりでは、おせんべいとか売ってたのに。





たぶん、地元のひと、
ぼうぜんとしてる。

たぶん、地元視野というより、
静岡あたりまで、視野に入れてる、という話を聞いた。

横浜や渋谷まで出なくてもいいように。


いずれにしてもぼうぜんとしてる。
夢か。


チャリでZARAやimaxシアターに行けるなんて。



あと、ボンジュールレコードと
恵文社と、オルネ ド フォイユと、
スフェラと、青山ブックと、

まぎさんのお花屋さんと
gla_glaと
jasさんのカフェと
チガーヌができて欲しい。
by ayu_cafe | 2011-11-09 08:18 | 海辺の生活 | Trackback | Comments(6)

KIKIさんの本の最初にいる奄美。

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そして、そこへゆき、

扉を開けると、

それは、あった。





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by ayu_cafe | 2011-11-08 10:09 | 奄美 | Trackback | Comments(0)