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未来に見放されながら前に進む。*6.29 首相官邸前15万人抗議行動(デモ)*

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6月29日 首相官邸前 大飯原発再稼働に抗議するひと、15万人。

はじめは、帰り駅が混むだろうから
ちょっと「見て」、近くでお茶でもして帰ろう、と思っていた。

気づいたら15万人の最前列にいて、怒号の中で
首相官邸をじっと見ていた。


実際に見ないとわからないことは、確実にある。

ローマのパンテオンという建物の奇跡的なバランスの良さ。
オルセーにある、ゴッホのオーベルの教会という絵の
背景の青の気を失うような美しさ。



youtubeでアップされた前々回のデモの映像を
リツイートしたことがある。

それは予想以上にあつまった抗議するひとの
列を女の子が歩きながら、撮っている映像。

そのどこまでも続くひとの多さ、
声の熱さに、撮っている途中から、
女の子が泣き出して、だんだん号泣しながら
ずっと列を撮っている映像。



そこにいったら、ほんとうにそう言う気持ちになった。
もう、参加した多くのひとが言っていることだけど、

感動する。


途中で帰ろうと思ってた人間が、前に進みたくなってしまう。





もうひとつ、思ったこと。


多くのひとが声もあげるが
自分でメッセージを書いたカードを掲げている。


ここには言葉がある。


職業柄、言葉の価値、効力はあちこちで下がっているように
思える。コピーライターが偉い時代になんてとっくにすぎている。
だいたい今の若者でコピーライターに憧れる、志望する
人間っているのか、と思ってしまう。


でも、ここには言葉があった。

いちばん強い刃物として。



同時に思った。

今のこの国には、外国のように、唱和するシンボルになる
言葉、歌、記号、というのがないんだな、
とも。


たとえば、昔なら we shall over comeとか
歌なら、power to the peopleとか。


no nukes という外国の言葉を借りなければならないんだな。


きっと、ここは、メッセージと表現が
乖離してる国なんだろうな、と直接関係ないことを思った。



でも、すぐに、シュプレヒコールと
あたりのカードの言葉を見て思った。


シンボル、アイコン、スローガン

そいうのを、追い抜いて、
とてもとても多くの人間が、
切実に、性急に、必死に、なにかを伝えようとしている。


切実に、性急に、必死に、「スローガン」になる前の言葉が、
生きたまま、メッセージをしている。
生きた言葉をまのあたりにする。


こんな風に。




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昔、父母が参加した日米安保条約のデモのとき
当時の首相は、

「国会前に抗議にきてるひとより
後楽園で野球を見てるひとの方が多い」

と言った。


今回は少なくて15万人だから
東京ドーム 3公演分か。





この日、野田首相は、
抗議行動中の午後7時、
官邸を出て公邸に向う途中、
抗議行動の声を耳にし、
「大きな音だね」とSPに話した。





「大きな音」。


正確にいうと「小さな音」だ。

上空を旋回する報道のヘリの音や
警察がピーピー吹く、笛の音の方が大きい。


われわれの声は、「小さな音」だ。






妻の福島の親戚は、福イチ爆発後
東京の親戚宅に家族で避難した。

避難先の家族に悪いから
ペットは置いてきた。

ペットはどうしてるかは
考えないようにしてる、悲しすぎるから、
と言っていた。

そうやって避難されている方が
いまでも15万人。



これは、わたしは当事者ではないので
軽々しくわたしごとのようになにも言えない。



ただ、未来に見放されて
悲しい音をたてているのは
そのペットだけではない。


事故から1年3ヵ月後の2012年6月、

福島第一原発から250km離れた
東京町田市の生椎茸から
1キロあたり98ベクレル、
330km離れた伊豆大島のアシタバから
1キロあたり122ベクレル、
長野のニホンジカからも基準超セシウム。


おそらくわれわれはとっくに
被爆している。
とっくに未来に見放されている。



経団連のひとたちは
東電のひとたちは
政治家のひとたちは
被爆と避難の現状の中、受け取る
ことしのボーナスや所得で
自分たちの子どもに
どんなものをたべさせ、どんな服を着せるのかな。


そんなひとたちが夜眠りにつくころ
しんと静まった闇の中で

未来に見放されたものの
小さな声が聞こえてくるはず。

ね、聞こえるよね。



未来に見放されるのは、
べつにたいしたことではないし、
いまにはじまったことでもない。

事故がおこらなくても
ずっとそんな気持ちだった。


でも、だから夢をみるし
だから表現はうまれる。

忌野清志郎さんがステージで
イマジンを和訳して

「夢かもしれない
でもその夢を見てるのは
君ひとりじゃない
仲間がいるのさ」

とうたったあと、

暗がりのステージの中で
そっとしずかに言った。

「ほら、ここにいるぜ」





6月29日
15万人と一緒に未来に見放されながら
その列を少しずつ前に進んだ。
by ayu_cafe | 2012-06-30 09:39 | Trackback | Comments(4)

自分がいま目で見てきたことを、全くなかったことにされる国。

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先週は、1万1千人
昨夜は、4万5千人
首相官邸前、大飯原発再稼働反対の抗議行動。

先週、報道機関は黙殺。
今週、報道機関はほぼ黙殺。

昨夜9時のNHKニュースで報じられたのは、
「ホッケの大不漁」。

Yahoo! JAPANがずっと黙殺してたのが印象的だった。
(なんだ、だめじゃん)






先週の長谷部千彩さんのブログ。






今日は朝から忙しい。
連載の打ち合わせ、提出書類の準備、夕方は講義を聴きに行く。
今日のテーマは"パキスタンにおける「核開発」論の展開"。

講義終了後、一旦恵比寿まで戻り、Yと落ち合い、地下鉄で霞ヶ関へ。
明日、16日、大飯原発再稼動は決定される。
今日は相当数の人が首相官邸前に集まるだろうという噂。

抗議をしに行こうと思ったわけではない。
言い訳でも何でもなく、折角、日本に住んでいるのだし、いま私は東京にいるのだから、
抗議活動の様子を見ておきたいと思ったのだ。
そこで自分がどんなことを考えるのかも興味があった。
家から車で30分もかからない場所で起こっていることを、
動画で観ているのはナンセンスだと思ったというのもある。

国会議事堂前で地下鉄を降り、改札を抜け、出口に向かって歩く。
地下通路にまで地上で繰り返されるシュプレヒコールが聞こえてくる。
その声だけでものすごい人が集まっているというのがわかる。

オオイゲンパツサイカドウハンタイ!
オオイゲンパツサイカドウハンタイ!

チャーベ君(CUBISMO GRAFICO)とばったり会う。
「あれ?どうしたの」
「見に来たの」
「沖野(修也)さんも来てるよ」
「へえー」


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階段を上り、表に出ると、気持ちのいい夜風が吹いていた。

オオイゲンパツサイカドウハンタイ!
オオイゲンパツサイカドウハンタイ!

歩道には、抗議の人が整然と並び、声をあげている。
熱気はすごいけど品はいい。
パレードみたいに大騒ぎするパリのデモを見慣れているので、
さすが日本人、きちんとしていると感心する。
とりあえずどれぐらいの人がいるのか知りたかったので、地下鉄出口を右に折れ、
抗議に並ぶ人たちの横を通り、列の最後尾を目指して坂を下りていくことに。

想像していたよりも若い人が多い。お勤め帰りのような女の子もいる。
年配の人。家族連れ。プラカードを持っている人。幟を持っている人。
もちろん何も持っていない人も。iPhone片手の人はいっぱい。ツイッターをやっているのかな?
大きな声でシュプレヒコールを叫ぶ人。黙っている人。手を叩く人。楽器を鳴らす人。
最後尾はまだ見えない。

オオイゲンパツサイカドウハンタイ!
オオイゲンパツサイカドウハンタイ!

なぜだろう、たくさんの人があげる声の中を歩いていたら、
胸がいっぱいになって涙が出そうになった。
どうして胸がいっぱいになるのか、自分でもわからない。
ただ、言えるのは、それが、みんなの思いがひとつになっている!
というような"感動"ではないということだ。
私は感激したのではない。
動画で観るのとは違う、そこに身を運んでこそ感じる迫力だとか、
これだけの人に実際足を運ばせる原発再稼動というテーマの重大性、
また、その重大性に対して集まっている人数が多いのか少ないのかよくわからないという戸惑い、
こうして人が集まっているという現実から受ける希望のようなもの、
同時に、この声を政府は無視するだろう、という絶望的予測、
一年たって世の中はちっとも良くならなかったのだ、と痛感する悲しみ、
ならば私は一年間何をしてきたのだろうという無力感にも襲われ、
感情の切れ切れがグシャグシャに交じり合い、
私は自分の気持ちをかなり正確に言語化できる人間だと思うのだけれど、
今日はどうにも言葉が見つからなかった。

オオイゲンパツサイカドウハンタイ!
オオイゲンパツサイカドウハンタイ!

シュプレヒコールを叫ぶ声は、大きく、低く、怒気に満ちている。

私の知り合いはいなかった(会えなかった)。
Yの知人は何人かいたようで、時々、列の中から声をかけられ、挨拶している。
坂を下りきったあたり、財務省上交差点まで来て、
やっと最後尾を示すカードを持った人を見つけた。
振り返ると、総理官邸前交差点まで続く人の波。
何人ぐらいいるのだろう。5000人?6000人?見当がつかない。いや、もっといる?
途中で帰った人、私のように遅く来た人もいるはず。
こういうとき、人数は延べで数えるのだろうか。

折角だから、引き返さずに内閣府下交差点のほうへ回り、
そこから坂を上って再び総理官邸前へ出て右に折れ、
また坂を下ってぐるりと一周したところで、
抗議の列に並んでいたYの知人の隣に割り込ませてもらった。

オオイゲンパツサイカドウハンタイ!
オオイゲンパツサイカドウハンタイ!

声をあげるでもなく、私はぼうっと辺りを眺めていた。
赤いTシャツを着た男の人が、カウンターをすごい速さで押して人数を数えている。
見物に来たつもりだったけど、列にこうして加わって、
カウンターを一押しさせたのだから、私は抗議しに来た人になったのだな、と思った。
坂の下から上ってきた人が、私の横を通りすぎていくとき、
「よし、一万人超えた」と呟いているのが聞こえた。
青いシャツの警察官がたくさんいたけれど、別に怖くはなかった。
この人たちの中にも「未来を守れ、子供を守れ」と思っている人がいるのだろうなあ、と想像したり。

行列が動き始めたので、どうしたのだろうと思ったら、解散の時間だった。
どうやら夜8時までと決められているらしい。
一度は地下鉄駅の入り口へ向かったものの、
混雑したホームに下りていく気になれず、少し散歩してから帰ることに。


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裏道に入ると、パリと同じオレンジ色の街灯が辺りを照らしていた。
アスファルトの上、そこここに、春を越えた葉が落ち葉となって散っている。
今日初めて袖を通したワンピースの裾が、夜風を孕み、歩くたびにフワフワ揺れる。
官庁街のビルはどれも四角く、青白い蛍光灯の明かりの漏れる窓が、
規則正しい光の粒になって並んでいた。
少し前までただ単純に"綺麗だな"と思っていたものに、いまは小さな疑念が付きまとう。
寂しいことだと思う反面、これで良かったのだとも思う。

私は横断歩道の白い縞々を渡りながら、Yに言った。
「なんかね、私が書いていることには意味があるのかなって思っちゃった」
「え、どうしてそんなこと思うんですか」
Yは私の言葉に驚いている。
「私は私でこの一年いろいろ感じたこと、考えたことがあったし、
それらをコツコツ書き綴ってきたつもりだけど、
一年以上前から毎週ここに来て抗議をしていた人たちもいるわけで、その人たちのことを考えると、自分が何もしなかった人みたいに感じるの」
「いいじゃないですか、抗議に来る人もいれば、書く人もいる、で。
ハセベさんの文章を読んで考えるきっかけにした人もきっといると思いますよ」
そうYは慰めてくれたけど、自分の考えは全然まとまらないし、
心にボコッと大きな穴が開いてしまった感じ。

帰宅後、ネットを繋いで知ったのだけれど、
今日の抗議行動をテレビのニュース番組は一切取り上げなかったらしい。
偏向報道は日本だけではなく、フランスでも政府に都合の悪いニュースは流れないから、
今更憤慨したりはしないけど(所詮テレビとはそんなもの)、
自分がいま目で見てきたことを、こうして全くなかったことにされるというのを
実際に経験すると、やはり怖いと思う。

深夜、女友達に電話して、いまの気持ちを聞いてもらう。
あまりうまく説明できなかったけれど、
動画で観る以上のものがあったということだけは伝わったのか、
「私も首相官邸前の抗議活動を見に行ってみる」と彼女は言ってくれた。
こうして理解しようとしてくれる人がそばにいるというのは幸せなことだ。

ベッドに入って考える。
二、三日すれば、この混乱した気持ちをまとめられるようになるだろうか。
もう少しましな言葉で説明できるようになるだろうか。
わからない。
いまは、「せめて真っ直ぐ歩こう」という言葉しか、私の頭の中には浮かばないけれど。








昨夜の様子
by ayu_cafe | 2012-06-23 09:00 | Trackback | Comments(12)

6月の朝食の花。レイブラッドベリの小説のタイトル。

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* たんぽぽのお酒 (Dandelion Wine)
* 何かが道をやってくる (Something Wicked This Way Comes)
* 死ぬときはひとりぼっち (Death is a Lonely Business)
* 緑の影、白い鯨(Green Shadows,White Whale)
* さよなら僕の夏(Farewell Summer)
* 黒いカーニバル (Dark Carnival)
* 太陽の黄金の林檎 (The Golden Apples of the Sun)
* 10月はたそがれの国 (The October Country)
* メランコリイの妙薬 (A Medicine for Melancholy)
* よろこびの機械 (The Machineries of Joy)
* とうに夜半を過ぎて (Long After Midnight)
* 万華鏡 (The Vintage Bradbury)
* 十月の旅人 (The October Game and Other Stories)
* 火の柱 (Pillar of Fire and Other Plays)
* 火星の笛吹き (The Piper)
* バビロン行きの夜行列車 (Driving Blind)
* 二人がここにいる不思議 (The Toynbee Convector)
* 瞬き(まばたき)よりも速く (Quicker Than the Eye)
* 猫のパジャマ (The Cat's Pajamas)
* 永遠の夢 (Now and Forever)
* 未来の回廊 (Yestermorrow)
by ayu_cafe | 2012-06-08 07:24 | 朝食の花 | Trackback | Comments(2)

繊細な通り雨のふる夏の空白。*ビーチボーイズの新作。村上春樹さんの文章*

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6月4日 きのう ビーチボーイズの新作が
全世界同時発売された。

朝イチでタワレコに行ったら、まだ棚卸しされてなくて
夜仕事後に行ったら棚に並んでいたので手に入れた。

ビーチボーイズを新作体験できるなんて。
あの(元廃人)ブライアンウイルソンが総指揮で、
その出来が最高で、もうすぐ夏がくるなんて。
そして、この夏をずっと
この「やさしすぎて無垢すぎて美しすぎる波動」と
一緒にすごせるなんて。
そんなこともあるんだな。


きのう朝イチでレコード(CD)屋をうろうろしたひとが
世界中でどれだけいただろう。
すくなくとも、村上春樹さん、山下達郎さん、
桑田圭祐さん、とりみきさんは、うろうろしてたのでは。




同時に再発されたベスト盤の村上春樹さんの
渾身のライナーノーツが素晴らしいのでところどころ写経。
このライナーには、表現や作品というものについて
すべてが書かれている、と思う。



*****************************



彼らの音楽は僕を
ー猿のように無知で、ウミウシのように無力であった僕をー
やさしく温め、励ましてくれた。
それは音楽であると同時にひとつの心のあり方であったのだ。



僕が「ペットサウンズ」という音楽世界の真価を隅々まで実感し、
理解できるようになるまでには、ずいぶん時間がかかった。
それまでにいろいろな体験を(個人的にも音楽的にも)
積まなくてはならなかった。

でもそれは、逆説的な言い方になるのだけれど、
とても意味のあるようなことだったように思う。
というのは、そのアルバムを人生の折りに触れて聴き込み、

そこにある新しいなにかを理解し、
自分の中に残されていた空白を埋め、
誤解を正していくことで、
僕は自分の10代を少しずつ
ーまるで巨大なジグゾーパズルを作り上げていくみたいに
ひとかけらづつー
完成させていくことができたからだ。

30代になっても40代になっても、
まだ自分の10代と正面からかかわりあって、
残されたなにかを実質的に埋めたり、
あるいは追いついたり、修正できたりできるなんて、
それはじつに素晴らしいことだと思いませんか?
僕は思う。
奇跡的なことだとさえ思う。
ブライアンウイルソンの音楽は、どうしてかわからないけれど、
実にそういうことを可能にしてくれたのだ。



うまく言えないんだけど、(「ペットサウンズ」の音楽の)
その世界はそこにあるものであると同時に、
僕らが深く抱え込んでいる内的な状況でもあるのだ。
そこにあるカオスや哀しみやむずかしさは、
僕らが内側に抱え込んでいる、僕ら自身のカオスや
哀しみやむずかしさでもあるのだ。

その出し入れの中にこそ、
相互的なリフレクションの中にこそ
本当の価値があるのだ。
それが「ペットサウンド」という世界のあり方であり、
ひとつの哲学なのだ。
それはただ向こうから提供されるものではなく、
同時にこちらからも呼応するべきものなのだ。
僕らもやはりそこに向って、なにかを差し出さなくてはならないのだ。




*****************************




「自分の中に残されていた空白を埋め
自分の10代を少しずつ
ひとかけらづつ
完成させていくことができる」



この10代を「自分の中の無垢」と
(おそれおおくも)言い換えてもいいかもしれない。

作品に出会うこと、作品に分け入ること、表現すること、
(本当に大事なひとと出会うことも)
は、ただただ、この空白を埋めることにすぎない。


50年目のビーチボーイズの新作
「THAT'S WHY GOD MADE THE RADIO」の最終曲
美しすぎる「SUMMER'S GONE」の
音楽が鳴り終えた後、
さああ、と繊細な通り雨の音が入っている。
(この雨の音が良すぎて、自分のなにかに
触れてしまって、こわくて、一度聴いたらもう聴けない。)

その雨は、その空白の中にふっと降っている。
そこでは、夏はみずみずしく、
夜の路面はつややかで
樹々は気持ち良さそうに緑の息を吐いている。

そこに立ち戻るのではなく、わたしはそこに、いる。
いままでもずっとそこにいて、これからもずっとそこにいる。

そこで会うべきひとがいて
そこで紡ぐべき言葉がある。

繊細な通り雨のふる夏の空白。
それはあまりにも繊細だけれど、
それは、同時に、血のようにあまりにも強固なもの。

揺るぎようがない。

さ、生きてゆこう。
そして、今日も自分の空白を紐解いてゆこう。
by ayu_cafe | 2012-06-05 07:15 | Trackback | Comments(2)

蕾を覆う水滴は、朝のうちに蒸発する。

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by ayu_cafe | 2012-06-04 08:06 | Trackback | Comments(0)

薄暮の紫陽花。レイさんのイベント。

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レイさんのイベントに呼んでいただいたので
おそるおそる出かけた。


途中、バス停の側で、
薄暮の中、紫陽花がいい彩りで咲いていた。


花がいちばんきれいに見えるのは
薄暮の中だと思う。

朝の光は、朝の光が主役になってしまうし、
昼の光はもってのほか。
曇りや雨の日もまあまあいいけど
肉眼で見るのは、薄暮の中がいちばんきれい。

まるで夕暮れの最後の残光が
花に残っているように感じて
薄暮に色がじんとにじむようだから。

よっぽど高感度のフィルムじゃないと
もう写真に撮れない。

写真に撮れないところがいい。
薄暗がりの中、胸の中で色を勝手に
増幅しているのかもしれない。

そういう感情的な彩りだから
薄暮の花の色がよく見えるのかもしれない。


レイさんのイベントのカフェは
横浜の港の近くの川の側で
なつかしい初夏の夜の海の匂いがした。

気をつかっていただいて
いろいろ話せてよかった。
※ホストなのに申し訳なかった。

作品を見れてよかった。
面白い。
テーマが素晴らしい。

「中二男子の女の子の妄想、憧れ」


帰り、
よさげなカフェや飲み屋さんが
ずいぶんできていて
だいぶ変ったなと思いながら、
駅まで歩いた。
by ayu_cafe | 2012-06-04 00:32 | Trackback | Comments(0)

melencolia. トロワ

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トロワ 三つ数え息を吸って
トロワ 鳥の瞳 海が溢れ
真夜中になれば
青いプラットホーム
六月の寝台車
チケットは
月の光で燃やしてしまおう



トロワ 三つ目の駅は真夏
トロワ 湖の眠りは深く
毒を持つ蔦の葉は
ほかに愛し方を
知らないから今夜も
愛しい
蝶を抱きしめ燃やしてしまう



トロワ 10年が三回過ぎて
トロワ 今日は何度目の幸運?
紫陽花の情熱が
潮騒に引火する
青白い炎
ひろがって
海一面が燃えあがっている











*********************


きのう、深夜バスが目の前でドアがしまり
行ってしまったので、「あれれ」と
おもったけど、しかたなく
歩いて帰った。

駅から海へ向う道は、6月になったら
夜おそくても人の声がしてすこし活気があった。

雲に翳る月を眺めて曲をつくりながら歩いた。

夏に近づくと、海の近くのこの辺は
湿度がだんだんふえてきて
その増えかけのこの季節が
とてもいい匂いがする。

そして、湿度の濃度がふえてくると
空気の中の生命の濃度も増えて来るように感じる。


パリに5月にいく前、
いい匂いのするこの季節を満喫できる、
と思って楽しみにしていったら
乾いているから、あまり空気の匂いがしなくて
「あれれ」と思った。
(でも限りなく緑がきれいだった)


ソフィアコッポラのバージンスーサイズの
甘い音楽と、6月の夜と、生命の濃度に
ついて考えながら、曲をつくった。


ちょうど夜の庭に着く頃
だいたいできた。


「青いプラットホーム」
と「引火」という言葉が使えてうれしい。


バスが行ってしまってよかった。
by ayu_cafe | 2012-06-02 10:06 | Trackback | Comments(0)

melencolia. タオルミナ・ブラッド・オレンジ

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朝のブラッドオレンジジュース
朝のブルータオルミナ

崖の上の円形劇場
大理石の客席
草がそよぐ上段の席で
紀元前も風に吹かれてる

舞台の後ろは借景で
眼下の海岸が見える
いつか響くピアノの音
波の音は届かない

朝のブラッドオレンジジュース
朝のブルータオルミナ



ホテルのプールのそばに
グレープフルーツ並ぶ
朝採って誰かがおいた
キッチンへ運ばれるフルーツ

暑くなりそうな朝の
光 フィアットに反射する
いつものシチリアの
一日がはじまる

朝のブラッドオレンジジュース
朝のブルータオルミナ






***********************


たとえば、出来はどうであれ、

休日の朝に、タオルミナの
ブラッドオレンジジュースのことを
歌った歌がラジオから流れてきたら
素敵だよな、とおもってつくった。

紅の豚でポルコが

悪いがおれは休暇だ
白いシーツ 美しい女たち。。

って言うシーンに流れるあの音楽の
ような太陽とイタリアの実りの
ような曲にしたいと思ってつくった。


タオルミナのホテルは
窓枠が赤で海が紺碧だった。

シャワーがものすごく使いづらくて
ものすごくデザインがカッコよかった。
人間の使いやすさよりも
美しさが優先されていた。
by ayu_cafe | 2012-06-02 09:31 | Trackback | Comments(0)

子どもモルモット。冬のボーナス。移染。

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山川さんのブログから。



花鳥風月人間の独り言


未だに放射能汚染で自分の家に帰れない人が16万人もいるのに、野田政権が関西電力大飯原発3、4号機を再稼働させる方針を決めた。正式決定は来週だが、事実上の決定だろう。「経済産業省の副大臣や政務官を現地に常駐させる」などと無意味なことを言っている。

決定すれば6週間で再稼働することが可能だ。8月頭には動く計算である。夏のピーク時を原発なしてやれたという実績を作らせたくないのだろう。国民のことなど置き去りもいいところである。

家庭向け電気料金を平均10%超の値上げを申請している東京電力は、社員の今冬の賞与147億円分を料金値上げの原価となる人件費に計上している。唖然としたのぼく1人だろうか?

国から1兆円規模の公的資金(ぼくらの税金)投入を受ける東電は、今夏のボーナス支給は見送ったが、冬のボーナスに関しては「未定」としていた。姑息なやりクチである。東電社員のボーナスの前に、補償すべき人々が大勢いるではないか。東電の非人道的なやり方に、みんな疲れ果てているではないか。

橋下徹氏は原子力ムラの方に身を寄せた。大飯原発では、町長の息子が4億円以上の工事を受注している。なにもかも、今のこの国はデタラメである。

「除染」なんて言語はまやかしである。「移染」と言わなければならない。「移染」し「封じ込め」るしか方法はない。燃やしたり食べたりすれば、当たり前の話だが被曝する。

枝野官房長官(当時)は「メルトダウン・放射能漏れ分かり切ったことで言わなかった」なんて言い訳をした。 http://nico.ms/nw271534  あまりにも国民を愚弄した言説で、これはとうてい許されるものではない。311以降、この国にはまやかしの言説がはびこっている。

「除染が確実に効果を上げているか確かめるため4年間かけ子どもの被ばく線量を測定」というニュースをNHKが伝えた。 http://bit.ly/K0zAD4 違和感を覚えるのはぼく1人だろうか。「除染」の効果を子供で確認する? これが日本人の所業だ。子供をモルモットにする国に未来があるのだろうか。

ぼくは花鳥風月と表裏一体の日本文学を愛してきた者に過ぎない。その花鳥風月が、今、死につつある。

それにしても奇妙なことだらけだ。ぼくのような花鳥風月人間がちょっと考えてみるだけで、政府も原子力ムラもやり方が稚拙すぎやしないかと思うことばかりだ。彼らは追い詰められたあまり暴走しているのではないだろうか? 想像力が欠如しているとしか言いようがない。

5月5日に日本のすべての原発が止まった──それがそもそも、彼らにとっては致命的な失敗だった。その後、強引に大飯原発3、4号機を再稼働させれば、急速に国民に背中を向けられるのは明らかではないか。緻密な戦略があれば、あんなミスはおかさなかったはずだ。

東京電力の清水正孝前社長が、東京電力が筆頭株主になっている「AOCホールディングス」の傘下にある石油元売り会社の社外取締役に就任する。来月の株主総会で退任が決まっている東京電力の勝俣恒久会長は、電力各社などが出資している「日本原子力発電」の社外取締役に再任される。これだって稚拙の一言だ。

清水正孝前社長や勝俣恒久会長などあまりにも目立つ輩の「天下り」は、彼らとしては戦略的には慎むべきだったのではないだろうか。誰もネコの首に鈴を付けられなかったのだ。これもまた、追い詰められたあまりの暴走と見るべきかもしれない。

1年以上にわたりテレビや新聞のおかしな報道を眺めてきたが、今のところのぼくの結論は、どうもどこかの「圧力に屈した」わけではなさそうだということだ。記者クラブ利権を守りたいだけの「自主規制」なのではないか。

政府や経産省や東電などの原子力ムラには、「中心」とか「指導者」なんてものは存在しないのではないか。その場その場で行き当たりばったりに様々なことが決定されていくだけだ。みんな自分の利益のことしか考えてはいないのだ。それに気がついたぼくは、暗澹とした気分に襲われた。

しかし、だとしたらぼくら個人の力もまた侮れないのではないだろうか。日本の全体で今、原発を巡るバイキンと白血球の戦いが繰り広げられている。高熱のあまり死んでしまうか、バイキンを排除することができるか。それは、ぼくら個々人にこそかかっているのかもしれない。

昨夜、官邸前に2700人が集まった。個々の意志がそれだけ集まったということだ。http://t.co/MPgMy91m 行って下さった皆さん、お疲れさまでした。ありがとうございました。希望はまだある。あきらめてしまうには、ぼくらの人生には素晴らしいものがありすぎる。

前にもツイートしたことだが、もう一度書かせていただく。愛する人を失えば、子供達を失えば、ぼくらには何ものこらない。だったら怖れるものなんて何もない。

(6月2日未明のツイートより)
by ayu_cafe | 2012-06-02 08:28 | Trackback | Comments(0)

核というカードを使ったパワーゲームに対してどう意見していくか

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千彩さんのブログから。



THE LADYBUG DIARY 20* 謎が解ける

May 14, 2012

夕方、慶應大学東アジア研究所2012年度講座「アジアにおける『核』と私たち-フクシマを見つめながら」*を聴きに行く。
一週間ほど前、ネットで調べものをしているときに偶然告知を見つけ、一般の人でも聴けるとあったので参加を申し込んでおいたのだ。

フランスで考えていたことがひとつある。
それは、原発の問題というのは、エネルギー問題ではなく、外交問題なのではないか、ということだ。
そんなことを考え始めたのは、代替エネルギーが見つかったら、日本は原子力発電を手放すだろうか?と思ったことがきっかけなのだけれども。
日本人は経済の話が好きだから、利権のために、という話に流れがちだけど(もちろんそれもあるだろうけど)、
それだけではない、何かこう、原発に対する執念みたいなものを、日本(国家)から感じるんだけどなあ、と思ったのだ。

それと、フランスのような国にいると、国と国とのパワーゲームに敏感になるから(国の歴史=外交史みたいなものだし)、
そういったゲームにおいては、経済力だけではなく、核兵器を保有しているかどうかの他に、
核を扱う力があるかどうかというのも重要なのね、程度のことは、普通に暮らしていてもわかるようになる。
つまり、軍事における利用(核兵器)であろうと、電力における利用(原発)であろうと、"核"は"核"。
電力利用だから電力会社が考える、といった話ではないのだ。
だから、原発がこんなにたくさんありますよ、というのは、他国に対して、これだけ核を扱ってますよ、というアピールにもなってたりするのかなあ、
そうだとしたら、子供たちの安全を守れ!という理屈だけで脱・原発を訴えても足りなくて、子供たちに安全な世の中を残すためには、
核というカードを使ったパワーゲームに対してどう意見していくかなんじゃないかなあ、と。

今日は講義の第一回目。テーマは『日本における核の「平和利用論」の展開』だった。
どちらかというと"原発が安全かどうか"よりも、"どうして日本にこんなにボコボコ原発が出来たのか"が気になる私には、とても興味深い内容。
そして、私がひとりでボンヤリ考えていたことは、わりとそのまま肯定された(嬉しいような悲しいような)。
1969年に外務省がまとめた「わが国の外交政策大綱」という文書の中に、
"核兵器は保持しないが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは保持する(=いつでも作れる状態にしておく)"と明記されていると聞き、
あーやっぱりそうだったのか・・・と至極納得。
核分裂物質も一応手元にあるんだもんね・・・じゅんびばんたん・・・ってことか・・・。
まあ、このあたりのことは、私が無知だっただけで、核の問題に詳しい人の間では常識なのでしょう。
(家に帰ってきてからネットで調べたら、あちこちで書かれていたし)

講義終了後、バスに乗って帰ってきたのだけれど、停留所で降りたら、いきなり体がフラフラした。
自覚していなかったけれど、ものすごく頭を使っていたみたい。
慌ててサンマルクカフェに入って、チョコクロとベトナム珈琲(練乳入りらしい)を口に入れる。
血糖値を上げ、20分ほどボーッとしてから帰宅。
部屋に戻って真っ先にステイシー・ケントの『Dreamsville』*を聴く。
by ayu_cafe | 2012-06-02 08:17 | Trackback | Comments(0)