葬式無用、戒名不用☆
白洲次郎さんにシビレたのは、
本屋で立ち読みしていた本に載ってた
この遺書を見たとき。
あと↓この写真を見たとき。
かっこいい〜〜〜。
と、シビレた。
(ちなみに本屋さんは、クライアントの近く。
仕事の打ち合わせの直前。)
白洲次郎さんは、なんかポルコロッソと重なる。
エンジンを、血肉化してるところ。
(油にまみれるところ。)
政治に近いところにいながら、深く関わらないところ。
地位や評価にこだわらないところ。
自分の原理・原則があるところ。
そして、インスピレーション、ということばを使うところ。
(ポルコは、フィオに、いい設計士の条件は?
と聞かれて、インスピレーションだ、と答える。
白洲次郎さんは、結婚前の正子さんに、
あなたは、わたしにとってインスピレーションの泉です、
っていう言葉を贈っている。)
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葬式無用。戒名不用。という遺言は、
彼の思想がすごくわかりやすい。
あと自分の家につけた「武相荘」という名前も。
「武相荘」は、武蔵と相模の国の境にあるから、
つけられたが、「無愛想」ともかかってる気がする。
彼は、権威有るもののどこにも愛想なんて
ふりまかなかった。
葬式無用。戒名不用。
つまり、そういう世俗的なものが
アイデンティティではなかった。
主義や立場ではない、
いち人間としての誇りがあって、情にあつかった。
はっきり言ってこういうひとは出世しない。
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わたしの会社でもよく出るはなし。
なんで、こんなにやってるのに、
こんな評価なんだ。。
こんな評価なんてやってられない。。
とかとか。。
でもそれって、結局評価が欲しいのか。
自分がどれだけ、その仕事をきちんとやって、
最善をつくして、挑戦を試みて、効率と精度を両立して、
問題点を見極めて、やり方への改善を試みて、
まわりのひとをきちんと尊重できて、
いつ会社がつぶれても、他の環境で、自分が
きちんと即戦力になれるように、成長できたか、
ひととして恥ずかしくない仕事ができたのか、
という方が、そもそも大事なはず。。
で、それできてると、自然と評価ってついてくる
ケースが多い気がする。。にゃはは。
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わたしもそうだけど、
「評価」を欲しがってしまう。
「評価」をもらえないと気にいらない。
ところが彼(白洲次郎さん)は、
「評価」を欲しがらない。
え、そんな小さなもの、欲しいんだ、
って笑われてる気がする。
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ドラマを見てると彼は、負け続きだ。
連戦連敗。
とくに敗戦というのは、
これ以上の「負け」はない、という状況。
(これにくらべたら、おれの「負け」なんて。。)
この最悪の「負け」の状況で、
彼は、毅然とケンブリッジ仕込みの流麗な英語で、
GHQに啖呵をきる。
「われわれは、戦争に負けただけで
奴隷になったわけではない!」
く〜、これ、こんど仕事で使いたいな(使えないけど・笑)
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たぶん、どのような「負け」であっても、
人間としての原理・原則を失わなければ、
誇りをもっていられる。
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政局にも関与しながら、家に帰ってきて、
米や野菜づくりもする、
当時において、彼のこのメンタリティーってすごい。
あと、子育ても家事もしない正子さんの
しなさぐあいもすごいけど、
それを尊重する彼のメンタリティーもすごい。
いまなら、だいぶわかるし、
いま、そこがかっこいい、と思われるところなのかも
しれないけど、当時の風潮の中では、
かなり特異だったと思うし、無意識にかなりの
重圧を感じてたんじゃないかな。
でも、土に根ざして、食べ物をつくること、
自分のインスピレーションたりうるひとの精神性を
尊重すること、
挫折しても、挫折しても、誇りある提言を繰り返すこと、
これこそが、人間の原理、原則な気がする。
そして、それが確保されていれば、
どのような風評にも状況にも耐えられる。
自分が、何者で、なんというカテゴリーの職種の
なんという地位の人間か、というのは、
そんなに大事なことではないよ、
もっと大事なものがあるだろ、
葬式無用。戒名不用。とさらさらっと書いて、
いなくなった彼が、
そんな風に言ってる気がして、
やれやれ、黙って、すこしでも
よりいい仕事とよりいい仕事の環境づくり、するか、
なんて思う。