1995年1月17日
1995年というと、私が、あてもなく就職活動をしていて
広告制作会社、CM制作会社、広告代理店、などなどの
会社の面接や試験に落ちまくっていた年☆
どうしても、これになりたい、これがやりたい、
というのがなくて、
あんまり気がすすまないけど、広告かなあ、
なんて思って面接を受けてた。
(↑受かるわけない☆)
たびたび試験の課題や、面接で聞かれたのは、
最近、気になった広告は?というやつで、
これには、ほんとに困った。
(興味がなかったので☆)
で、まあ、考えてみたら、やっぱりあれかな、
と思って答えてたのが、
「水」と「ファイト」だった。
「水」というのは、このCM。
1995年1月17日の阪神・淡路大震災直後につくられた
公共広告。
「水 自由に使って下さい」
という貼紙とおじさんの声。
そして、フレーズ。
「人を救うのは、人しかいない。」
この表現の基礎にあるのは、取材(観察)。
「あの」時、「あの」場所にこの貼紙があった。
それが、どんな震災で
どんな風に人が生きたかを
口数少なく饒舌に伝えている。
これは、20年後も100年後も瞬時に効果を発揮する
極めて秀逸な作品だと思う。
もうひとつ「ファイト」というのは、これ。
(ネット上のお写真お借りしました。)
神戸のホテルオークラが震災直後に、窓の明かりで
つくったメッセージ。
これも、たしか、広告の題材に使われていた。
大きな被害を受けた神戸の空に、
こんなみもふたもないメッセージを
浮かび上がらせる、ってすごい。
いまでも、なかよしがつるんで安心してるような
広告にも、音楽にも、アートにも、興味がもてない。
そして、いまでも広告をつくるときに、
大事にしているのは、
「取材」と「みもふたもないメッセージ」かな。
そういう意味では、
1995年1月17日は、わたしの中で
出発点のようなものでもあり、
いまも、ずっと生々しく息をしている。
その、15年前の神戸の真ん中 三宮に住んでおりました・・・・
まいにち「ファイト」を見ながら、壊れた会社の帰りを 寒さに負けないように、弱い自分に負けないように、歩く自分の一歩一歩を確認しながら歩いていました。
「ファイト」をうっとおしく思う日も、その単純な応援に感動する日も、無視する日も じっと見つめる日もありました。
記念すべき15年後のこの日に マイケルジャクソンの「This is it」を見て来ました。
マイケルの穏やかさと、その生きる姿勢に もう彼がこの世にいなくても「今日の自分を乗り越えて生きる」事を教えられた気がします。
震災を経験した私達は大変な何かを失い、そして大変な何かを授かったのかもしれません。
15年後も変わらずに思うのは、もう 世界の誰もこんな経験をしないで済むようになって欲しいと言う想いです。
多分、ayuさんからは遠い しかし 同じ空の下で ブログを通して温かい想いを感じている窓の明かりがひとつ・・・・・
ほんとに いつも心あつくしてもらってます。
コメントありがとうございますね。
うれしいです。
そうだったんですか。。
「ファイト」をうっとおしく....、って実は、すごくわかります。このCMにしても、そして、こうやって遠くはなれた場所で書くブログの記事も、うっとおしく感じるかもな、と思って書いてました。わたしは、強い表現ってその良し悪しに関わらず、現実やおもいや記憶への入り口なのかな、なんて思います。その先のものに近づけるから、表現って面白いと思います。
上手く言えなくて、表現のことばかり言っていて、ごめんなさいね。
安易なことは言えないので、わたしなりに、自分の今に深く影響している側面を書きました。それが、わたしが遠い場所なりに授かったことかもしれません。
>無視する日もじっと見つめる日もありました。
ってすごくリアルなものがおしよせて言葉につまります。
でも、こんな貴重なコメントをいただけて
ほんとによかった。書いてよかった。
穏やかさと生きる姿勢、
そして失ったものと授かったもの。
学ぶことや大事にするものはたくさんあるんでしょうね。