冬の庭は、ふきすさぶ冷たい風に、まるで絶望を装いながら、春をたくらんでいる。
ここ数年のことだけど、四季を通して庭を見てると、
冬の庭と言うのは、ほんとうに愛おしい。
それは、「枯れた庭」ではないんだ、ってやっと気づいた。
それは、
あの春のこぼれる花々を、
あの夏のこんもりと茂る枝葉を、
あの秋の焦がすような彩りを、
その硬い枝の中に、
その冷たい土の中に、
「育んでいる庭」
「孕んでいる庭」なんだとわかった。
前にやってた、棟方志功のドラマで、
東北の雪化粧した冬の山を、
真っ赤にスケッチする志功さんに、彼の奥さんが尋ねる。
「山は、赤くありませんよ」
すると志功さんが奥さんに前のめりに説明する。
「だって、ほら、見えませんか、
春がいまにも爆発しそうなのが。」
(※うろおぼえのため脚色)
ちょっと、まえは冬は、花も咲いてないし、
庭も地味だし、人なんて呼べないな、なんて思ってた。
でも、いまは、冬の庭が好きでしょうがない。
枯れ木の枝のあの豊かなフォルム。
たとえば、MACで枝を描いてみる。
でも、自然の造形にはまったく追いつけない。
あのアンバランスと、不自然なかたちや間隔が、
同時に、奇跡的なバランスを実現している。
日本画で枯れた梅の木とかをなぜ描いているのか、
いまごろ、勝手にわかった。
死と生。
そのあまりにも豊かなシルエット。
わたしは、まだ、冬の庭の「豊かさ」を
たとえば写真かなにかで、とらえることができない。
でも、いつか、とらえてみたい。
野望があるって、うれしい。
たぶん、すべてのものには、
枯れているようにみえるものにも、
豊かさがあって、それを見出すのが、
文学や絵画や音楽かも、
あと広告もかな(かな)
冬の庭は、
ふきすさぶ冷たい風に、
まるで絶望を装いながら、
春をたくらんでいる。
てなことを、もごもご考えている間に、
もう、梅が、咲きはじめた。
でも地味ながらの存在感もあるし、土の中では、春を待ちわびてる草花たちが確かにいるんですよね。
冬の庭は、
ふききすさぶ冷たい風に、
まるで絶望を装いながら、
春をたくらんでいる。
くぅーカッコイイ~~ayuさん。。。
そうですね、近年だんだん冬が好きだと言えるようになってきました。春の前の夜明け前の何かが始まる前のわくわく感が。
梅きれいですね〜
待って、まだ開かないで...なんて思ってしまったりして。
実際、極寒でこんな軽口たたけないんだろうけど。
なんかごごえて背中丸めて歩きたい。。
実はおなじこと思ってました。
この前の雨の夜に、すこし温度がたかめで、
春の匂いみたいなのがしかけて、
ああ、もう冬おわっちゃうのか、
なんておもいました。
庭のかまくら!
いいですねー。
スパイダーマンツアーとかしたりして。クィーンズ橋の横のロープウェイにぶら下がったり:)
街の中はそう寒くないですよ。スキー場で着るような防寒着があれば大丈夫!(ってかなり寒そうですね:)文化芸術方面の充実はやはり秋が一番ですが、冬も悪くないです。...といいつつ今年にはいってからは映画館くらいしか行ってないんですが。いやはや、寒いとフットワークがにぶりますー
久しぶりにまたコメントさせていただきます。
葉の落ちた木は、枝の模様の中に入っちゃえば
世界ができるのかなと思います。
模様の外縁が区切る空間の
外はない、その中だけ、てことにして。
そうするとその模様の中は豊潤(芳醇?)で
永遠に再生を繰り返す、生き生きとした世界が生まれる
のかなと思います。
模様って音楽みたいです。
植物の中には音が流れてて
だからまっすぐじゃないのかも。
>寒いとフットワークがにぶります
って、やっぱ寒いんじゃないですか。。笑
スパイダーマンツアー!いいですねー。
ぶらさがりキス、まねしてみたり(嘘)
秋がいいんですね。なるほど〜。
秋のイサムノグチノのアトリエなんて、よさそうだなー。
あー、面白いですねー。
>植物の中には音が流れてて
>だからまっすぐじゃないのかも。
まっすぐじゃないものって音楽がながれてるんだ。。
そして、音楽ってまっすぐじゃないんだ。。
いいなあ。すべてのまっすぐじゃないものが
報われる気がします。
わたしとか☆