叔母の日本画と、有野契章の毎日。
叔母(有野契章という日本画家)の毎日。
お昼までに、祖母(叔母の母)の施設に行く準備。
ゼリーとか、食べさせるもの、新しいタオル、新しい着替え、
つめきりや、もろもろはいった祖母セットを
わたしがあげたDEAN & DELUCAの真っ赤なトートバックにつめこむ。
11時10分に、家を出る。
櫛形山や、北岳を横目に、
富士山を真正面に見ながら、
個展後に入ったお金で、一括支払いした
クルマをぶっとばして、祖母の施設へ。
お昼ご飯がくるまで、祖母をマッサージ
話しかけたりしながら。
叔母は、よく話す、よく笑う。
祖母もつられて笑うことがある。
お昼。
30分から40分かける。
すりつぶされたメニューをうまくまぜて、
祖母の口に、あるタイミングで入れる。
祖母がごくりと飲み込む。
もう、他の誰も、できない。
施設の人は、よく食べさせられますね、と感心する。
たぶん、叔母が来ないときは、
針のついてない注射器とか使っているのかな。。
ねこに水を飲ませるみたいに。。
でも、根気強く食べさせてくれてる。
いい悪いではなく、祖母くらいの終末期の
複数のお年寄りに、ある時間内にご飯を食べさせる方法が他にあるだろうか。
叔母は、
「ここマッサージすると、よく口動かして
のみこんでくれるさ、
のみこむ力があるから、すごいじゃんね、
かなりやせて、いよいよぼちぼちかな、
と思ったけど、
こりゃ、まだ、元気だね(笑)」
と山梨弁で笑う。
前にも、書いたけど、叔母は情が厚くて、
気に入ったひとは、とことん大事にして、
失礼なひとには、とことん啖呵をきる。
前に、祖母に足に痣ができていて、ふくれあがって
はれていた時、
「これは、一体、どうゆうことですかっ!!!
うちのお母さん、ちゃんとみてもらわないと困るんだけど!!!」
と施設のスタッフ全員に詰め寄ってた。
施設には、ほとんど面会のひとは来ない。
つまり、文句をいうひとなんていない。
文句をつければ、いないとき、どう扱われるんだろう、
とわたしなんて考えてしまう。
だから、叔母は、毎日くる。
祖母が、重い認知証のまま足を骨折して入所した日から、
5年も6年も。
もちろん、何事もなければ、
基本的には、よくしていただいている
施設のスタッフの方々には、
とことん感謝をしめす。
施設に差し入れるお中元のビールを何箱も、
一緒に運んだこともあった。
「これ、みんなで、食べて」
って言って炊込みご飯を持って行ったり。
祖母は、かなりやせたけど、
たぶん、叔母が、毎日、祖母のところに行って、
毎日、ご飯をたべさせ、顔や手足をふいたり、
マッサージしたり、しなければ、
こんなに、すべすべつやつやしていないだろう。
まわりに入所していたなじみのお年寄りは、
ほとんどいない。
いとこも来てくれる。
母も来る。
(わたしは、がんばるけど、たまにしか来れない。)
でも、叔母の献身は、みんなおどろく。
「そんなにしなくても、もういいじゃないか、
自分の身体も大事にしなよ」
と声をかける。
叔母は、おととい、こんな事を言ってた。
「ほら、○○が、亡くなったとき、
あれもしてやれんかった、これもしてやれんかった
って後悔ばかりしてたからさ」
○○は、高校生のとき亡くなった叔母の息子。
わたしは、それだけでも、ないのでは、と感じる。
それをせずには、いられない、という業のようなものも感じる。
祖母にご飯を食べさせると、叔母は、
口元や、口の中を拭いてあげて、
「じゃ、お母さん、また明日ね」
と言って帰る。
帰って、お弟子さんに絵を教える日もある。
学校から帰ってきた孫たちには、
なにかおやつになるものをつくってあげる。
最近、叔母は、絵がやさしくなったと言われるそう。
介護の経験が絵をやさしくした、
というような、きれいなことは、わたしは決して言えない。
叔母の、いとこたちの、母の介護の苦労は、
そんなきれいな苦労ではない。
そして、近くに暮らす家族である以上、
もちろん、いい面ばかりではなく、いいことばかりではない。
人間である以上、そんなきれいな言葉だけで収まるわけがない。
そして、育ててもらった祖母の面倒もろく見れないわたしには、
なにも言えない。
ただ、京都で友禅を学んだ祖父が亡くなる前に、
叔母が祖父から教え込まれた、葉のひとつひとつの描き方のことを考える。
葉がどうやって生きて、開き、育つか、ちゃんと見て、考えなさい、
と奇跡的に渡された日本画技法のバトンのことについて考える。
いろいろな業や、日々、できごと、運命。
正しいか、間違っているか、幸運か、不幸か、
という問いの外側で、絵は描かれ続けた。
わたしは、京都の伝統的で、高価な絵の具が盛りつけられた、
叔母の絵の背景の地に、魅入ってしまう。
なにも言えないけど、
叔母の絵はとてもいいなと思う。
そして、絵を描くということ、
ものを創造すること、に対して、
厳粛な気持ちになる。
絵って、
なんて、業が深くて、エゴイスティックで、激しくて
なんて、深い愛情があって、やさしいんだろう。
よかった。この世の中に、絵があって。
おば様の絵・・・凄いですね・・・
なんか・・こんなふうに何かを作ってるかなって 自分を省みて糺してしまう力があります。(押しつけがましい感じ ではなく、あくまで凛としてるので こっちが勝手に ですね。)
少し前にこんな気持ちになったのは・・・うーん
若冲を見た時!! でした。
今日もayucafe 来てよかった。
凛としているものっていいですよね。
たしかに若冲も絵の中の生命が凛としてる。
なにか、のんきに悲しんでる場合じゃないよ、
なんて思いますね、そういうものの前では。。
おばにも伝えておきますね、
よろこぶと思います、ありがとうございますね。
1年ぐらい前から来させてもらっています。
ここへ来ると自然とほっとしたり、リラックスします。
いつもありがとうございます。
おばさまの絵、素敵ですね。とても好きです。
こんなに優しい絵を描いていらっしゃるからこそ
毎日大変な介護ができるのかなと感じました。
私の祖父も父も書家ですが、
私はグラフィックデザイナーの職を選びました。
こういう作品を見ると、やはり純粋な芸術のパワーには
嫉妬してしまうというか(笑)いいなぁと感じずにはいられません。
また来させていただきます。
ほんとに励みになります。
叔母にも伝えますね、とてもよろこぶと思います。山梨弁で(笑)
書家。。すごい。
いい書はほんとにいいですよね。。
ああ、いろいろ見たくなってきました。。
同業さん、なんですね、お疲れさまです(笑)
でも、血がつながってる。芸術の血が。
嫉妬か。。たしかに。。
芸術の人間の本気のパワーってすごいな、
とたしかに思いますね。。