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宇多田ヒカル。祈り。願い。救済の予感。

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宇多田ヒカル。

ヘッドフォンから、脳にダイレクトプラグインしているみたいな
itunesの時代のクリアな音像。

サーバーがダウンしそうな感情量。


この時代の幸運。





彼女の著書から。


※これを、書き写していると、気持ちが落ち着く。




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0〜8才

引っ越し、引っ越し、たくさん引っ越し、空港、飛行機、

飛行機の中楽しい、ハサミ使うのがうまいってほめられて嬉しい。

自分のバースディーパーティーで急に悲しくなって

すみっこに座る、心配されて余計悲しい、大人のいい争い、

大人の会話、大人の笑い声、ママ大好き、ママこわい、

お父さん大好き、お父さん嘘つき、消えたい、

テーブルの下にいると落ち着く。

ママの公演のステージのそでからずっと見ている。

ママ泣いてるみたい、お客さんの方を向いてる、私の方は見ていない。



有名であることは、いやなことにしか思えなかった。

いろいろな目的の人がいつも私達のまわりには、たくさんいて、

私はその人たちが嫌いだった。


お金や人間関係のトラブルが絶えなかった。


親は普通の生活をしていなかったし、激情的で、世間からいつも

異分子扱いされていた。

娘の私からしても、なんて非常識な人たちなんだって

理解に苦しむことが多かった。


夜、寝る前に、「明日から日本に帰ることにした」と告げられ、

クラスメイトにお別れも言えないまま引っ越す、みたいなことが

普通にあった。

そんな親に対して自分の無力さを思い知らされ続けた私は、

おとなしくて頭の良い子に育った。


トランプカードで神経衰弱、パズル、読書、お絵描き、

空想ごっこ、ぬいぐるみと遊ぶのが好きだった。



だんだんくやしい時も悲しい時も、泣かない子になった。

母の前で泣くと、ひどく怒られたから。

悲しくて泣いてるのは私なのに、なぜか彼女の方が

傷ついて、泣いて、私を責めた。

すると私は泣く気が失せた。泣くよりももっと深い悲しみを知った。

彼女に悪気は無いんだ、って分かってしまう自分が、

体の芯からひんやりしていくようで、こわかった。



親の前ではもちろん、人前では決して泣かないことにした。

慣れれば、音を立てずに泣くのは案外簡単だった。

ドアの開け閉の際に音を立てないよう注意するのと同じだった。



9才の時、怒りとか不満といった感情が完全になくなっていることに気づいた。


外界になにも求めなくなっていた。
(わたしの求める救済はそこにはないんじゃないかな・・・。)


そう感じはじめると、外界の出来事にいちいち心を振り回されるのは、

時間とエネルギーの無駄にしか思えなかった。

「間違っている」と感じる他人の行動や世界のあり方を、

理解しようとするのをやめた。「どうして?」なんて問うことは、

無意味に思えた。外の世界のことは、ただ「知る」だけでよかった。



自分の内側の世界のほうが大事だった。

そこには、自由があった。想像と思考は無限で、最強だと思った。


うちに秘めた想いには、神聖なものが宿るようだった。



「諦め」という屍を苗床に、「願い」と「祈り」という雑草が、

どんどん私の心を覆い尽くしていった。

絶望が深くなればなるほど、この雑草もたくましさを増すようで、

摘んでも摘んでもまた生えてくる、やっかいなものだった。



でも、「願うこと」「祈ること」は、「求めること」と決定的に違う。

それは、「希望」と「期待」の違い。

それに、願いと祈りをなくしたら私になにが残るだろう。

人ではいられなくなるだろう。


ならば雑草よ、好き放題に生えるがいいっ!


8才までに形勢された、私の基本姿勢です。



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10代の始まり


安心は他人に与えられるモノじゃない。

種が実を結ぶまでゆっくり、大切に育んで、

自分で自分に分け与えるモノだったのか〜。ふー。

浅瀬で溺れてたんだな私。


それに気づくまでの過去の出来事全てに

かたっぱしから感謝した。

世界の全てが有り難い、尊い。

私も世界の一部。だから安心。

窓を開けて爽やかな風を肌に感じてるみたい。

いつまでもこの窓は開けておこう。

いつも、この風を感じていたい。



そんな雰囲気ではじまった10代。


25才の今は、もう内と外を区別していない。

どこにも家はない。

私が私の家。

世界が私の家。




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最初の2年


もやもやを振り払うたったひとつの方法は、

たとえば、歌を創る、文章を書く、写真を撮る、絵を描く、

といった創作活動なんじゃないか、

それもまた逃避のひとつであるけど、

闇雲にエネルギーを無駄使いするのとは大きく違う。


創作行為って不思議。ただのストレス発散とは違って、

内なるプロセスなのに、自分とは別の、形あるものが残る。


なにかを残すために「創造」するんじゃない。

「作品」は「創造」の副産物に過ぎない。


自分の作品を見てそう思う。




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大学、結婚


今思うと、私は自分のアイデンティティーを、それと真逆の方法で

保ってきたんじゃないかと思う。

「人でありたい」という気持ち以外に、

自分がどういう人か?なんて考えたことがなかった。

いつも全部でありたい、と思って生きてきた。


男であり女であり、赤子であり老人であり若者であり、

子であり母であり、黒くあり白くもあり、無力であり無敵であり、

下品であり上品であり、歌うことが大好きであり大嫌いであり・・・。



両極とされることは個別の円に見えても、見る角度や、それぞれの

円の深さを知ることによって、全ての円が重なり合う

素敵な領域があるような気がしてならなかった。



全部でありたい、という気持ちは、「自分を定義する」ことの逆なのかもしれない。

自己定義は、ただ自己を制約するものを羅列するだけのように思える。

自分はああだこうだと、内と外の境界線をはっきりさせる考え方には

興味がわかない。


むしろ世界の全てと共通したい。



素晴らしい会話に夢中になってる時、どこまでが自分でどこまでが相手か

分からなくなる瞬間がある。

友だちと大爆笑している時、私の一部はもうそこにいない。



世界を自分の「内」と「外」で分別し出すと、

自然からも本能からも離れて行く気がする。

なんでもないと同時になんでもある存在になりたい。

そんな感覚をずっと持ってた。

そんな救済の予感をずっと追っかけてた・・・。



すでに自分はこの世界の一部なのだから、万物と共感、融合することは、

決して自己の喪失ではない。


その帰途に音楽が位置する。


メロディーは、誰かの心の原風景。

懐かしい場所からのメッセージ。

リズムは、死へ向かう生命の行進の音。

歌は祈り、願い、誓い。

音楽は慈悲。


それ以上、音楽の難しいことは知らなくてもいいと思う。





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さっき、久しぶりに、passionのピアノバージョンを聞いた。


「前を向いてれば、また会えますか」


と慈悲深い音楽が鳴っていた。
by ayu_cafe | 2011-01-12 01:49 | non category | Trackback | Comments(8)
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Commented by maisey at 2011-01-14 15:40
宇多田さんのこの文、あまりにも良くて何度か読み返しました。

私は彼女のような子供時代を送ったわけでも
「創造」する人間でもないのですが、
彼女の言う言葉のひとつひとつに共感し、融合してしまいました。

個人的にはあまり人の世界観とか、
言葉にして読んだり聞いたりするのは好きではないのですが
それは受け売りのように聞こえたり、
自分の外のことのように聞こえるからなのかも。
口でたいそうなこと言うよりも、行動で見せてみろよ、
みたいに思ってしまったり。

でもこの宇多田さんの文は、
ポップカルチャーの一部としてしか見ていなかった
彼女の芯に触れられて、
なんか自分のなにかにも触れられて、
良かったです。

こんなだから、このcafeは癖になってしまいます。
Commented by ayu_cafe at 2011-01-16 10:36
maiseyさん
あらためて、この言葉、思想は、すごいんだな、
と思いました。
これ、なにか、仏教や、宗教的かつ、
なにかの真理みたいですよね。。

昨日、彼女、最後のTV出演してたんですが、
新曲のCメロで、

万物が巡り巡る〜

ってシャウトしてました。。
こんなことがあるんだな、現実は、と思います。

そして、こういう真理が、無意識に
大勢に指示され、融合できている世の中に
ちょっと安心しますね。

しかし、行動で見せてみろよ、は、重いですね笑
土にまみれてみろよ、ですよね。

でも、そういうひとに届いている
こともすごいなあ、と思います。

ありがとうございます!
Commented by maisey at 2011-01-16 18:45
コメントを投稿してしまった後で、
「行動で見せてみろよ」はキツかったなあ、と
後悔しておりました(笑)。
今読み返してみても、キツい!きゃー!

言い訳しちゃうと、周りに多いんです。
口が達者で「俺の哲学は〜〜」と自慢しているのに、
全然土にまみれてない人。
雨が降れば言い訳を作って外に出ない男たちに、
カッパを着て作業する日本女子として、
お前ら、その農法とやらを行動で見せてみろー!
と言ってしまいたくなるんです。(あ、またキツい・笑)

そんなフラストレーションを和やかなcafeで吐いてしまって
ごめんなさい!
Commented by まる at 2011-01-16 19:06 x
宇多田ヒカルさん、大好きです。
土曜日の特番はまだ観れていないのですが、先日のライブ、インターネットでの生中継を観ることが出来ました。
逞しく凛々しく、表情も眼差しも、迷いの無いその姿は美しかったです。
年々変化していっているようで彼女の精神性は何も変わっていない、ライブの最後に歌った「time will tell」、この曲がデビューシングルだったことを知り、そう思いました。
彼女の言葉を聴いていると、素直な気持ちが良く伝わってきます。
家族からの孤独と他人からの過保護、「普通が一番」と知っている人だからこそ、ちゃんと違和感を感じられるのでしょうね。






Commented by ayu_cafe at 2011-01-19 07:59
maiseyさん、ぜんぜんきつくないので☆
重いけど、ありがたい。
この土まみれ感覚がないと、やばいですよね。
あと、和やかなわりに、死とか、殺せ、
とか出てくるんで、大丈夫です笑
行動と言葉は課題ですね。
Commented by ayu_cafe at 2011-01-19 08:04
まるさん、まるさんもブログで宇多田さんの
こと書かれてましたね。
逞しく凛々しく。。まさに。
歌番組で見ると、違和感を感じるほど、
普通のひとですよね。普通、って偉大だと思います。
このライブは、仕事で見れなかったんですけど、最後、「time will tell」だったんですね。
そっかー。
♪時間がたてばわかる〜
のあとのフェイクがせつなすぎるですよね。。

Commented by TM at 2011-01-20 02:06 x
以前書かれていた
「スープをつくる、ことが、そのひとをつくる。」
の中の、辰巳芳子さんの言葉みたいです。

「いい料理は我を落とさなければできない。
そして、我を落とすことで、
生きることが、ずいぶんと楽になる。」

「全ての円が重なり合う素敵な領域」
よしもとばななさんの作品も、こういう場所につながってますね。
SNSではつながれない場所。
自分を定義せずにはいられない時代でしょうか。
Commented by ayu_cafe at 2011-01-23 00:59
TMさん、そうですね、
自分なんて定義しないほうがいいですよね。
なにもなくて、全部あるのが自分、って言う方が。

でも、わたしも、その境地になかなか
たどりつけない。安い定義にほっとしたり、
強い我によって、苦しんだり。

こまったものだけど、これもまた
人間なのでしょうかね。。