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わたしはそれを許さない、という強い嫌悪感が、美しさをさぐりあてる。

わたしはそれを許さない、という強い嫌悪感が、美しさをさぐりあてる。_b0072051_1647714.jpg



芙蓉の花が咲いた。

絵が描けないから
絵のような、日本画のような写真を
撮りたいといつも思う。




別にたいした写真をとっているわけでは
全然ないけど、

写真をとるとき、
トリミングの位置を決めるのは、

ここがベスト、という価値観ではなくて、

他のアングルが、いやだから、という
消去法から。


これでは、美しくない、という嫌悪感から
そういうアングルをよけていくと
シャッターを押せるアングルに落ち着く。



嫌悪感。


他人や状況に対して抱き続けると
悪循環なので、自分に向けてみる。

がんばろうとか、よくなろう、ではなく、

自分の中のなにかを許してしまっていることへの
嫌悪感。

ずっと、このままでは嫌だ、という嫌悪感。


「そういう自分は、許せないだけ。」


案外、そういうところで
人間は形成されていくのかもしれないし、


そこにいたくない、それでは全然美しくない
という強い嫌悪感が

ごくごく自然に

美しさをさぐりあてるのかもしれない。




だから、ゴッホや酒井抱一の絵を見るたびに

ここにいたくない、これでは全然美しくない、

わたしは、それを許さない、

美しいものをさぐりあてて救われたい

という悲鳴のようなものを感じる。
by ayu_cafe | 2012-08-23 05:43 | Trackback | Comments(0)