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庭園美術館と内藤礼。日本の戦後は、こんな美しい場所で舵取りされていた。

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こちらから転載させていただきます。

http://s.ameblo.jp/tonisumu/entry-10512764196.html





戦後、朝香宮邸の新しい住人は時の総理大臣 吉田茂でした。

1947(昭和22)年頃から1954(昭和29)年まで、外相公邸、首相公邸として使用していました。

吉田茂は外交官として出発し、日本の戦後処理と復興に尽力した名宰相ですね



政界に登場してからの吉田をサポートした、秘書の三女和子さんのお話によると、

「しばらくして、父は外務大臣公邸から永田町の首相官邸に居を移しました。

ところが、永田町の総理官邸は父の気にいりません。

お掃除が行き届いていない分ほこりっぽくて、とても住めるようなところではないと父はいうのです。

そこで白金の朝香様の御殿を拝借して、もうひとつ目黒の公邸としました。




第1次吉田内閣は昭和22年5月に総辞職しますが、

その後の吉田政権は、23年10月の第2次内閣から6年余り続きました。

昭和29年12月7日付朝日新聞には「目黒の六年」の大きな見出しが踊り、

第5次まで続いた長期政権の終わりを告げました。




「目黒にうかがいを立てる」という言葉は、ここからきたもので、

戦後、白金台の旧朝香宮邸はまさに宰相吉田茂が戦後の舵取りを行った歴史上重要な場所だったのです。


こんな美しい場所で、時代を動かしていたのかと思うと、

うまくは言えませんが、戦後の日本を作った人たちはすごいなと、感慨深いものがありました。










by ayu_cafe | 2014-12-10 09:43 | ayuCafe 建築 Bar | Trackback | Comments(0)
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