なにも手につかなくなった時に、死んだ小鳥の絵本と出会う。
いま、すすんでいる仕事のうちのひとつは、
いろんなことを調べて、いろんなことを考えて、
どぶんと創造の海に全身、身を投げ、
ふさわしい方向をさぐっていくものです。
ねるときも起きてるときも歩いているときも
切り替えた方がいいのに、考えてしまい、
なにかのバランスを崩しながら、
いつも、いつも、考えます。
一緒にやる人間とも、感覚のやりとりになる
ことが多いので、ヒリヒリ、ヒヤヒヤした
濃厚な時間を過ごします。
ロジックや、前例やマニュアルでは、
たどりつかないところに、
暗中模索しながら、進んで行きます。
うまく行っているときには、
恋愛以上の感覚(!)になりますが、
いちど、なにかが、かみわなくなると、
かなりナーバスで重い進行になります。
(これも恋愛と似てる。。)
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きっかけは、ある一通のメールでした。
そのメールを読んでから、あんなに、
のめりこんでいた発案作業が、いっさい
手につかなくなりました。
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あまえてるな、とか、免疫ないな、とか、
社会ってそんなもんじゃん、とか
思っても、普通の事務作業はできるのですが、
どうしても発案作業に関わるかけらの
ようなものを目にするだけで、
吐き気がして、まったく携われなくなって
しまいました。
(ま、あまえですよね。。。)
一緒にとりくんでいるチームのスタッフは、
相変わらず熱心に、すすめてくれているので、
申し訳ないけど、二、三日、黙っておこうと思いました。
そう、経験上、こういう落ち込みは、
論理的に解き明かすより、
二、三日、ほったらかしにすると
ならされてきたりすることが多かったからです。
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そんな訳で、いちど、なにもかもから、
すこし離れて、ちょっと近くの
青山ブックセンターを
ふらついてみることにしました。
いくつかのコーナーを眺め、建築コーナーで
アルヴァ・アアルトやグンナール・アスプルンド の
写真集を手にとり、ぼんやりと
「これ欲しいかな」なんて思ったりしていました。
その間、背後の壁に、なにかが飾られていることには
気づいていました。
いつもそこは、小さな展示スペースになっていて、
写真やアートがよく飾られていました。
いつもは、あまり感心をもたず、建築の本に
見入ってしまうのですが、
そのときは、ふと振り返って、その展示を
なんとなく見ていきました。
それは、ほんとんど黒と白しか使われていない、
絵本の原画展でした。
横に長い展示の終点には、
その作家のいくつかの本と
寄せ書き帳が置いてありました。
今度は、しっかりと、最初から見ていきました。
原画は、ひとつの本のストーリー順に
並んでいました。
その最初の絵は、死んだ小鳥を
くまが呆然と見ているシーンでした。
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その日、私は、その原画の「くまとやまねこ」と
その作家、酒井駒子さんが、特集されている本と
「金曜日の砂糖ちゃん」という本を買って帰りました。
私は、絵本や絵本作家に特別詳しくはありません。
酒井駒子さんという名前も、
彼女がとても有名は作家であることも、
「金曜日の砂糖ちゃん」と言う本が、
ブラティスラヴァ世界絵本原画展の金牌を
受賞していることも知りませんでした。
電車の中で、家に帰って、
「くまとやまねこ」と
「金曜日の砂糖ちゃん」の2編目の
「草のオルガン」という短編を
何度も読んでしまいました。
そして、いつのまにか、
「吐き気」がなくなっていました。
まるで、「草のオルガン」の
主人公にように、誰も知らない、
誰も入ってこれない、秘密の場所を
みつけたような感覚になりました。
誰にも教えたくないし、
説明したくない、
ただ閉じこもっていたい、
そういう非社会的で非生産的で、
非道徳的なものが
自分の中に冷たく確保されたことによって、
再び、社会に取り組もうという
気力が出て来ました。
つまり、
いつでも、そこに帰ってくればいいんだから、
と思えました。
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翌日、もう一度、青山ブックセンターに行きました。
こんどは、原画展を見るために。
「くまとやまねこ」のくまは、
相変わらず、悲しみに呆然としていました。
そして、しばらく先のページで
くまが出会う彼が、
冷たく、清々しく、静かなあの目で
こちらを見ていました。
生死感に満ちたタッチと鋭い線の冷たさ。
私は、それを切実に必要としていました。
そして、それは、生理的に体に作用しました。
私は、熱心な絵本フアンではありません。
それが、絵本だからではなく、
その作品だから、引き込まれました。
原画展の最後に置いてあった
寄せ書き帳には、
匿名の男の子が一言、
こんなコメントを書いていました。
「今日、ここに来れて、よかった。」
同じ意見だったので、私は、
寄せ書き帳には何も書きませんでした。
(酒井駒子さんの作品をいくつかご紹介させてください。
画像に関して、問題あればすぐに削除します。)
S5Pro + Carl Zeiss Planar T* 1.4/85 先日「pooka」という雑誌を通りすがりの本屋で見つけ そこに酒井 駒子さんの特集を発見してからと言うもの、 古い出来事のように棚の奥深く忘れ去られていた絵本を取出して眺めては くたくたな身体を横たわらせ過ぎゆく秋の夜を甘味に浸しています ちょうどayuさんも同じような記事を載せていらっしゃったので 酒井駒子さんのあの静かな色彩は忙しかった日々の終わりの密かな楽し...... more
大人に向けて描かれたような絵の雰囲気に、少し驚いたのを覚えています。
またまたayuさんに、素敵な出逢いを紹介して頂きました(嬉)
青山ブックセンターへ行ってみます(*v*)ノ
コメント、ありがとうございます。
たしかにあのトーンはびっくりするかな。
でも、私は、子どものころ見ても好きになったような気が
なんとなくします。
随分以前も、真っ暗なところに居たような気がするので。。
で、ですね、青ブックの展示は、すみません、
もう終わってしまっています。
冷静に記事にするまで、時間がかかってしまいました。。
いまは、吉祥寺の小さな本屋さんで、4年ぶりの個展を
やってます。
段ボールに書いたりしてるんですよね。。
出版物なら、青ブックにも、ちょっとしたコーナーは
ありますね。。
なにかでも、行動半径、近そうですね。。笑
お仕事サボって拝見してたら、コメントしたくなりました!
酒井駒子さん大好きなんですよ。
個展など観たら一日中うっとりして足が3センチ宙に浮いたまま帰ってきそうです w
お仕事は人生の中で一番大切だとは思っていないのですが、
やはりチームで行なう場合、自分のポテンシャルを発揮出来る良い時間だと思います。
「草のオルガン」みたいに、ちょっと疲れたらそこへ帰ろう、と
思える心の余裕も大切にしたいですね。
久々に読みたくなってしまって、、、帰宅したら早速探してみようと思います♪
昔々、私はテレビも、新聞も、何もかも見れなくなり
手が震えて字も書けなくなったことかあります。
生きてきた分のストレスが一気にずんときた感じ。
自然以外のすべてのものが作為的に見えて、
素直に感動できなくなっちゃったんですね。
クリエーティブなお仕事は、ほんとに
身を削って、削って、削って成立するものだから…
いろいろ大変でしょうけれど
なにも手につかなくなってしまったayuさんも
素敵と思います。
私の『金曜日の砂糖ちゃん』は
朝目覚めて、いちばん目につくところに
鎮座しております(笑)
「草のオルガン」のお話ができてうれしいです。
実は、先日、吉祥寺の酒井さんの個展に行ってきて、
はっきりいって、いまだに足が3センチ宙に浮いてます(笑)
ねねさんのお部屋にもひっそり「草のオルガン」の
あの空き地があるんですね。。
あるんですね。
なぜか、驚くというより、ほっとします。。笑
われわれは機械ではないので、
手がふるえることもあると思うんです。
パソコンや機械だって、へそを曲げることもあるので、
われわれの体もへそを曲げることもあるかもしれません。。
そういうことのあとにまた別の景色が見えてくれば、
あるいは、新しい出会いのようなものがあれば、
それはそれで、面白い、と思います。。
作業は再開できましたよ。
素敵の件は、まだまだ自信ありませんね。。
暗中模索組です。。でも生きてる感じはするかな。。
それにしても、酒井さんのあの黒い背景の向こうには、
目覚めのまどろみがあったとは。。