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2009年 05月 04日 ( 1 )

強烈な幸運。

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著名人の方の大切な文章を転載させていただきます。



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渋谷陽一さん

何を書いたらいいのか分からない。書かないままでいようかとも思ったけれど、きっとどんどん何を書いたらいいのか分からなくなる気がして、どんな事でもいいから書く事にした。正直、覚悟しなければならないのだろうな、とは思っていた。先日、送られてきたファンクラブの会報に、いつも掲載されている本人の近況とコメントがなく、とても心配になったばかりだった。今はただ悔しいという思いだけが強くある。とにかく、いろいろな事が悔しい。凄くエモーショナルで、センチメンタルな心を持った男だったけれど、同時にハードで前向きな姿勢を常に崩さなかった。そのファンクラブの会報で、宗教関係の本を送ってくれる人がいるけれど、そうしたものは必要ないので送らないでいい、というコメントを出しているのが、いかにも清志郎らしかった。何かこうやって書いていると気持ちが落ち着いて来た。後ろ向きのセンチメンタリズムを清志郎は潔しとしなかった。俺をネタにセンチになっているんじゃねえよ、と言われてしまわないようにしないと。前に、同い年の清志郎が闘い続けているので、自分も逃げられない、という原稿を、彼の何周年かの記念ライブのパンフに書いた記憶がある。清志郎は闘う姿勢を全く変えないまま僕らを残して、この現世のステージから去って行った。後は残った僕たちが闘いを続けていくだけだ。ゆっくり休んでもらいたい。一緒に同じ時代を生きられて幸運だった。




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大根仁さん

5月2日。
朝、近所の公園に行く。
ものすごく良い天気。
気温も適度。風も爽やか。
「たぶん、今日が一年で一番気持ち良い天気なんだろうな」
と思う。
ビールが飲みたくなるけど我慢我慢。
午後、自転車で渋谷へ。
井の頭通りを走り、代々木上原のあたりで
「あ、このへん清志郎んちだなあ」
と思う。
パルコ劇場で宮藤さん作・演出の「R2C2」。
客入れと客出しのBGMがRCサクセション。
「あ、それでこのタイトルか」
と思う。
舞台はほんとうに素晴らしく、宮藤さんの作品で一番か二番目に好き。
ロックの扱い方が素晴らしい。
「少年メリケンサック」よりこういう
「R2C2」みたいなのを映像化すればいいのに宮藤さん。
客出しBGMのRCを聴きながら「清志郎、観ればいいのにこの舞台」
と思う。
夜、事務所で、ゆらゆら帝国ライブの編集。
我ながらちょっとすごい編集ができて満足。

良い天気で、良い舞台観て、良い仕事して、出来すぎな日。


と、帰り際。
AD川井がひきつった顔して
「大根さん・・・」




SMASH日高さん、
今年のフジロックフェスのオープニングの
「田舎へ行こう!」はひとつ大音量でおねがいします。






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サンボマスター山口さん

特に当時テレビドラマの主題歌だった<サラリーマン>という曲は強烈に好きだ。

<サラリーマンのドラマ君にみせてあげたい 映画のようにすぐには終わらない 遠く遠く続くこのドラマ>

<サラリーマン 子供じゃなけりゃだれでも二つ以上の顔を持ってる サラリーマン 心の傷みっつよっつあてもなく漂うだけ>

上京した頃、僕はこの曲をずっと聴いてる事が多かった。

思い返すと、自分が上京して親元を離れいよいよ大人に近づいていくことへのぼんやりした不安を、この歌が埋めてくれていたからだと思う。


そして今でもこの曲は僕の中にあるぼんやりした不安を埋めてくれている。


僕は、たとえ忌野清志郎さんが亡くなられたとしても、その音楽はこの世に残って色あせないのだということを、これを書くことによって自分自身でも確かめたかったのです。


実際、僕自身、今は喪失感でいっぱいです。


しかしながら僕は(そしてあなたも)忌野清志郎さんの音楽を<好きだった>と過去形にする必要はないはずです。



音楽は残るんだ。




今日はサンボマスターは関係なく、いちファンとしてお礼とお別れをいわせて下さい。



忌野清志郎さん、素晴らしい音楽を(過去形ではなく)どうもありがとう。




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茂木 健一郎さん


忌野清志郎さんが亡くなった。

しばらくyoutubeで清志郎さんの
ライブの映像を見る。


表現者は、いいわけをしてはいけない。
しかし、どんな思いで、心を込めて、
そして勇気をもって表現しているか
ということは、必ず伝わるはずだ。

そして、根底には、愛がなければならない。
自由がなければいけない。
勇気がなければならない。




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増子直純さん(怒髪天)

神様のクソ野郎!
この世に必要なモノとそうでないモノの区別もつかんのか?

今日、代わりに本当の神様がそっち行ったからオマエはもう用無しだ。


俺の心の中の大きな柱が崩れ落ちた…泣きすぎて具合悪い…

バンドマンにとって大切な事を沢山教えてくれた神様。
あなたの「うた」は俺の中で死ぬ事は永遠にありません。


本当に本当にありがとうございました。




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フジテレビプロデューサーきくちさん

また、ひとつ
ニッポンの
ロックが
死にました。。



『LOVE LOVEあいしてる』に
最初のSMAP;
木村拓哉くんが来てくれたとき
木村くんが撰んだ
LOVE LOVEなうたが
「君が僕を知っている」。
木村くんは、清志郎さんのこと
ちゃんと知ってるなーて思った。
もちろん清志郎さんと共演です。

きりが、なぃ、な。


あぁ、もぅ逢えないのか。。。
現実感がなかったけれど、
なんか、やっと、涙が出てきた。
清志郎さんに
『瀕死の双六問屋』で叱咤された
あのときの気持ちのままで、
わたしは、わたしらしく
きちんと音楽と向きあいます。

ありがとう。
ボス、安らかに。。。




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中川敬さん(ソウル・フラワー・ユニオン/モノノケ・サミット)

当日の清志郎さんは、トリで登場。ジョン・レノンの<イマジン>を日本語で歌い上げたのだが、そのあまりの素晴らしさに、終演後彼の楽屋へ速攻突入。「原曲より良かったですよ〜」「ホント〜?」「あんまり日本の歌手を褒めない俺がわざわざ楽屋まで来て言うんやから、これはホンマのホンマ!」「ホント〜? アリガトウ!」みたいな、軽い会話。実際、その日の彼は本当に素晴らしかったのだ。ややもすれば、RCサクセションのギミック性や、タイマーズなどの企画性が覆い隠してしまう、歌手・表現者としての凄み。先人に素晴らしいロック歌手がいたことを、ステージ脇でつぶさに再確認出来て、妙に嬉しく高揚したのを、昨日のことのように覚えている。俺が最も良く聴いた清志郎さんのレコードは『初期のRCサクセション』。タイマーズのコンセプトも良かった。彼の作る、怒り、焦燥、痛みを伴ったユーモアたっぷりの唄が俺は大好きだった。そして、どんと同様、「あんたと同じような表現作法はとらないぜ!」とキッパリ思わせてくれた、数少ない「内なるライバル」でもあった。
 清志郎さん、沢山の素晴らしい唄を、ありがとう。




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辻仁成さん

合掌。

覚えているのは、広島ピースコンサートのとき、20年くらい前かな。彼がなんかステージで放送禁止用語羅列の歌、やったあと、スタッフや放送局側は上から下への大騒ぎになっていた。へえ、すげえな、と思って楽屋に戻ると、そこに、本人がひとり、いた。エコーズの辻です、と頭下げると、ああ、辻さん、と返ってきた。おれのような若造なんかに、ちゃんとさんづけしてくれた。清志郎さん、あっちすごいことになっていますよ、と言うと、本当? すごいことになっている? と申し訳なさそうに笑っていた。やらずにいられないロックの血のようなものがあふれ出ていた。そこにロックみさせてもらいました。ロックがあれば何でもできるということを教わったっていうのか・・・。おこがましいですが感謝いたします。静かに眠ってください。お疲れ様でした。




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小林晴雄 さん「僕の好きな先生」のモデルとなった元美術教師


72年に「ぼくの—」を発売したときには、レコードを持ってきて、
「こんなこと歌にして迷惑じゃなかったですか」と恐縮していたという。
「優しい子でしたね」と自慢の教え子の死を惜しんでいた。




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糸井重里さん

「なんでもない日」というのは、不思議です。
毎日がそうなんだよ、とも言えますし、
そんな日はなかなかないよねぇとも言えそうです。
毎日誰かが生まれ、毎日誰かと別れている。
そういうことも含めて「なんでもない日」なのでしょう。
祈るということはできるので、祈ろうと思います。




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曽我部恵一さん

清志郎さんは最後までロックした。
お悔やみを申し上げるその前に、じゃあぼくは死ぬまでロックできるだろうか?と考えてしまう。

いまごろきっと天国でオーティスと一緒にセッションしてるはず、とかそんなことは全然言いたくない。
だって、あの世なんてあるかどうか分からないのだもの。

清志郎さんは「宝くじは買わない」と歌った。
自分の生を、だれから決められるまでもなく、自分で歩いていく。
そんなシンプルなことを、清志郎さんはずっと歌っていたと思う。


数年前、あるセッションでたまたまいっしょにステージに立ったときの清志郎さんのでっかくて太い声、そのあたたかさとほがらかさが思い出される。




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矢野顕子 さん

心の美しさが歌に表れている人でした。永遠に友達です 




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ギターウルフ セイジさん

一度手紙をもらった事がある。
それはビリー(ギターウルフのベース)が死んで少したった時だ。ギターウルフをずっと追いかけて
くれていたカメラマンの三島君が、ギターウルフの写真集を出す事になった。
彼はその写真集の表紙のコメントを清志郎さんに頼んだ。
オレはそのコメントを見てその事を知った。


行け!ギターウルフ


それは清志郎さんがオレ達にくれたメッセージだった。
シンプル過ぎるその言葉にオレは感動した。




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保坂展人さん(社民党 衆議院議員)

最後にみたステージは、苗場で行なわれた05年夏のフジロックだった。7月30日、1時間40分にわたってライブを堪能した。清志郎は、ステージ狭しとジャンプし、歌い、叫んでいた。あの時のこんな、セリフが頭に残っている。

「俺は36年もロックンロールをやっているんだ。ベトナム戦争の頃から戦争に反対してきた。でも戦争はずっと続いていて終わらない。21世紀になっても、終わる兆しが見えないじゃないか」

いつも時代を走ってきた清志郎が、先に逝ってしまうとは、なんとも寂しい。憲法9条を捨てて、戦争を始めたい世襲議員が支配する「毒牙の城=アンシャンレジーム」に攻め込む、ぼくらの解放歌(テーマソング)は、RCであり、ザ・タイマーズであり、清志郎だと心に決めて、今日も動き始めよう。




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スチャダラパー BOSEさん

あまりにショックで、まだ、自分の中で消化しきれてもいなくて、こういうところで、なにか書くような気にはなれなかったのですが、なにもなかったかのように、楽しいことを書いたりするのはやっぱり無理なので、少し、書きます。

僕たちの世代で、RCの音楽を聴かないで育った人なんていないわけで、もちろん僕も、田舎の中学生時代に、友達にテープをダビングしてもらったりして、聴いていました。「トランジスタラジオ」とか「雨あがりの夜空に」とか「スローバラード」なんかは、どんな田舎の中学生でもビンビン来るような要素があって、夜中にラジカセで聴きながら、なんだかたまらない気持ちになっていたのを思い出します。

清志郎さんの活動の中で、個人的に一番影響受けたのは、タイマーズでした。最初にCDが出たのはもう20年ぐらい前ですが、その頃、確かまだ専門学校生で、ラップをやり始めたぐらいだった僕は、こんなに社会的なメッセージを自由に、しかも、楽しく、面白く表現出来るんだ!と思って、完全に打ちのめされました。
そして、20年経った今でも、歌詞を書いたりする時には、あのアルバムが、いつも心のどこかにあって、言葉にはしにくいけど、しっかりとした基準になっていたりします。

今聴いても、まったく古びてない、というか、この頃、清志郎さんが歌っていた、政治的な問題、戦争や原子力の問題なんかが、未だになんにも解決もしていないっていうことなんですよね。そして、こういう問題に、しっかりと向かって作品を作ったり、ちゃんと発言して、世の中に影響を与えることが出来たミュージシャンやアーティストが、清志郎さん以外にほとんど出て来ていないっていうのも悲しい。

僕はすでに、タイマーズをやっていた頃の清志郎さんの年齢をとっくに超えてしまったけど、こういう年齢になってこそ理解出来る部分もあるし、自分たちも、こういう気持ちで音楽を作ったり、発言をしていかないと、と、今さらながら、強く思う。

孤独な闘いも多かったと思います。
あの声を、もっと聴いていたかったです。
長い間、お疲れさまでした。




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片山尚志さん



せや、いつか死ぬぜ俺たち。
それでも、歳を取るって素晴らしいのだ。


昔、テレビ番組の中で若者に向かって清志郎さんが言うてた。
大人になれば出来ないことが増えるなんて嘘、出来ることだらけになる。
大人はサイコーなのだ。


ああ。
俺、やりたい事やらなくちゃ。
山ほどあるのに。


出来ること、出来るだけやったったぜ、俺。
言うて死にたい。




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山川健一さん


 とても物静かな知的な感じの人で、しかもリハでは非常に真面目だった。展開部にいくところが納得できないらしく、
「今のところからもう一回やりましょう」
 そう言うと、何度も同じところを繰り返して演奏し、しかもそれを毎回持参したカセットテレコで録音するのである。
 リハを終えてコーヒーを飲みながら、清志郎さんがつぶやくようにこう言った。
「西武・ザ・ライオンズ」
「えっ?」
 意味がわからず、コーヒーカップを持ったままぼくは清志郎さんの顔を見上げた。
「いや、それぐらい軽い気持ちでやったほうがいいですよ。この歌はいい詞だけど、シリアスになりすぎるとつらくなるでしょ?」
 ぼくは、たった今自分があの忌野清志郎と向かい合っているのだということを、その短い会話で実感したのだった。





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横尾忠則さん


忌野清志郎さんが亡くなった。阪神大震災の時、神戸で展覧会を開き、細野晴臣さんに協力してもらった時も清志郎さんに歌ってもらった。「一緒に何かやりましょうよ」とその後もいわれていた。そして先週彼の展覧会が企画され、そのポスターの依頼を受けていた。デザインはやらないことにしていたが、彼のポスターならやってもいいかなと思っていた矢先だった。生きて一緒にやりたかった。




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吉井和哉さん



2009年5月6日 ゴールデンウィークは


いかがでしたか?
関東は雨続きでしたね

いろいろ辛いことあるけど明日から
また頑張ろうぜイェー!

この「イェー!」を日本でポピュラーに
したのは、清志郎さんです。

僕もこれから大事に使わせていただきます。




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昨日の心斎橋QUATTROにて

元ストリートスライダーズのHARRYが

「ある1人の死んでった男に捧げます」

って言って「あんたがいない夜」をやった。




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奈良美智さん

『5月2日』

今は5月6日の朝で、僕はもう日本に帰って来ていて、さっき1枚の絵を完成させたところだ。最近はわりと頻繁にこのブログを更新してきてたけど、清志郎の死はとてもショックでこの4日間あまりは、制作もなにも普通には出来なかった。ネットを検索して見れる限りの映像を見たりしてた・・・古いやつから新しいやつまで数々のライブ映像・・・それからチャボと一緒にあの歌を演ってたり・・・多摩蘭坂の角に立ってアコースティックギターで歌ってた。あの石垣も今はないんだよね。


音楽にのめり込んでいった十代から、ずっと清志郎はリアルタイムで一緒だった。というか、反骨精神あふれる先輩だった。フォークもロックもRCはいかしてた。シングルマンのジャケには脱帽した。ライブアルバム『RHAPSODY』は、東京から愛知へ引っ越す時に荷物と一緒に乗っていったトラックの荷台でずっと聴いていた。あのタイマーズは、友だちが送ってくれたカセットテープをドイツで聴いた。ドイツの空の下、東京FM夜のヒットスタジオ事件には飛び上がって、学校へ向かう道を自転車漕いで笑いながら大声で同じく歌った。

・・・・・・20才の時に出会ったOのことを、ずっと言葉にしたいと思っていた。彼と僕とを結び付けていたのは清志朗の歌だったはずだ。お互いに絵を描くことで繋がっていた気がするけど、実際は清志朗の歌の中にあるスピリットが僕たちを強く結びつけていたと思う。宮崎から東京へやって来た、ひとつ年下のOは20才の僕にもっとも影響をあたえた人かもしれない。

・・・・・清志朗は、東京から愛知へ引っ越してからの大学生活、僕を1年下のKとも繋いでくれた。Kのこともいつか声を大にして話したい。彼と一緒に曲を作りボロッちい機材でデモテープを作ったのは86年頃だ。

嗚呼、まだ清志郎への感謝の言葉がうまく出てこないや・・・

3年前かな、どっかの新聞社から「好きな人!会いたい人!と、対談できますよ〜♡」という話があって、「じゃ〜忌野清志郎さん!」って即答して、忌野さんには既に一度出てもらっているので他の人で・・・と言われて、「・・・他の人は即座に思いつかないので、じゃ〜いいです〜」と断ったことがある。僕はほんとに清志郎に会えるなら会いたかった。会って、何を語れるのかはわからないけど、オーティスやレノンやミックやドリス・アレンやリヴァプールやベイエリア・・・・・・・。会って話して、普通の人間だって事を確かめて安心したかった。

最後に見たのはフジロック・・・ちょっと小雨模様の中で、キングはシャウトしてた。僕らはオーディエンスかきわけて、最前列まで踊りながら進んでった。ステージは輝いていた。

もう少し時間が経った時、もっと冷静に彼に関するいろんなことを話したい。




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吉岡正晴さん

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オーティス。


清志郎さんといえば、メンフィス。オーティス、サム・ムーア、ブッカーT…。彼の飛び入りを数えてみると僕は5回も見ていた。サム、ブルース・ブラザース、ブッカーTだ。みんなメンフィスつながりだ。彼が大好きだったそういうアーティストのライヴに彼は足を運び、そうしたアーティストたちは彼をステージに上げた。
『オーティスが教えてくれた』 忌野清志郎、スティーヴ・クロッパー
(作・忌野清志郎)


オーティスが教えてくれた
遠い遠い あの夏の日
オーティスがシャウトしてた
勇気を出せよ 君の人生だろ?
オーティス・レディングが歌っている
オーティス・レディングがあのラジオで
ガットゥ! 
オーティスが教えてくれた
遠い国のやせっぽちの少年に
オーティスがそっと教えてくれた
歌うこと 恋に落ちること
愛し合うこと 君と歩くこと 笑うこと
涙をふくこと しゃべること 信じること
抱きしめること 旅にでること
叫ぶこと 愛し合うこと 戦争をやめること


+++++

ガット。


言葉がわからなくとも、スティーヴ・クロッパーはその歌声に涙する。それは、清志郎の音楽にソウルがあり、そのソウルの塊がクロッパーにも強い衝撃で伝わるからだ。(そんな解説はヤボ、この映像を見ればわかる。ただ、映像を見られない人のために) オーティスのところを今、清志郎に変えて聴きたい気分だ。


最後にブルーノートで見たブッカーTの飛び入りのエンディングで、清志郎は「ありガット、ガット、ガット…」と叫んだ。清志郎さん、素晴らしい音楽をありガット、ガット、ガット! 




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ヒダカトオルさん


洗練されたYMO一派が好きだったので「RCは泥臭い大人のロック」
と勝手に決め付けていた自分にとって、
それは相当な衝撃を与える「POP」なライブでした!

「軽い」のに「深い」。
「ブルース」なのに「POP」。
「R&B」っぽいのに「R&R」。

それまで点でしか捉えられなかった色んな音楽のジャンルが、
一気に一つに繋がる快感を味わい、
それからはRCのギターを死に物狂いでコピーする毎日…
もちろん幸宏さんのコピーも同時進行でしたが!


RCサクセション『KING OF LIVE』

このレコードのおかげで、
ブルースや7thのスケールのギターソロを覚えられたのです。
今でも本当に感謝しています。




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清水ミチコさん




時計とトリオのような
かわいい
シマウマ親子。

時計は去年
買った物ですが、
シマウマ親子は
先日、散歩中に
たった100円で
買いました。

だいたい
私は動物ものに
弱いのです。

それにしても
なんでこんなに
安かったか。

親の足が
欠けていたんでした。


顔がなんだか
キヨシローさんに
似ていなくもないような。

子供のは、若い頃に、
親の方は最近の横顔に。

つか
何を見てもそんな風に
思えてくるんですね。




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田島貴男さん

キングがオレに話してくれたくだらないかっこいい話で思い出し笑いしたよ。




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江川ゲンタさん



アナタの意志は、オイラに受け継がれています。

最高のアマチュアミュージシャンでした。





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三宅伸治さんのブログより


「告別」 2009年05月08日
    
 
こういう集まりは、ボスもちょっと苦手だった。
みんながいないところで、よく2人でタバコを吸って、なんだな〜なんて
話をしていた。それを想い出して、出棺の準備の時間、みんなが別の部屋で、
待ってる時、棺桶のボスにそっと話かけてみた。
よく、あの頃ちょっと抜け出して話をしてたように…
『ちょっと、待ってもらえませんか…行かないでもらえませんか…』と
それには、理由があった。デビュー40周年何かやろうと、思うんだ…と
話していたのは、ボスだった。それに向けて曲を作って、ナイスミドルで
録音しよう…と、それまで完治するから…と
でもほんとは、それは引き止める理由のひとつにすぎなかった。
ほんとは、ボスが行ったら…なんて、考えた事もなかった。。
だから、『そうだな…やめとくか』って、言ってもらわないと
だめだった。
でもなんにも、話してくれなかった。
ただ、とても穏やかな顔だったけど『いや、行く』と
確かに、俺にはそう感じた。そして、確かに俺にこれからのメッセージをくれた。


ボス。いつも、一緒にあっちこっち旅をさせてもらってたから、
見送るのは、とてもつらいです。
また、会えますよね。絶対ですよ。
気をつけて、行ってきてください。
約束は、必ず守ります。
ボスあなたは、最高です。

ボスへ              
三宅伸治
by ayu_cafe | 2009-05-04 20:55 | Trackback | Comments(5)